新たな住まい

   ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年二月四日 午後一時〇〇分

 トーマスの入院から約一ヶ月が経過し、彼は無事ワシントン大学・メディカルセンターを退院する。トーマスを養子として迎えたハリソン夫妻は、彼を新しい家に迎えるため車で自分たちの家へ向かう。

 そして退院したのが土曜日ということもあり、ハリソン夫妻の仕事はお休み。車の中で世間話を楽しむ間に到着し、二人はトーマスを正式にとして出迎える。

「今日からここがあなたのお家――と言っても、前に遊びに来たことがあるわね。さぁ、遠慮しないで上がってね」


 玄関の鍵を解除してドアを開けると、トーマスの目の前にはハリソン夫妻が済む家の様子が入る。家の中を一通り案内されたあとで、二人はトーマスのために用意した子供部屋へと向かう。

「ここがトムの部屋だよ。一応子供用の机やベッドを用意したけど、他に用意して欲しいものがあったら言ってね」

「うん、ありがとう……」


 家の中を一通り案内するものの、トーマスの表情はやはり暗いまま。病院から退院許可が出たとはいえ、一ヶ月前後で癒えるほどトーマスの傷は軽くはない。だが二人は彼を特別扱いすることなく、普通の子供として接することを常に心がけている。一方でトーマスも相手が以前から知っている両親の知り合いということもあり、若干緊張しているものの警戒心はほとんどない。

 そして今日はトーマスの退院祝いということもあり、ハリソン夫妻は彼のためにご馳走を用意していた。入院中に彼の好きな食べ物を本人から聞いていたので、二人は彼の好きな食べ物を中心にそろえる。


 また今トーマスがいる目の相手は本当の両親ではないものの、“家族でテーブルに座り食事を楽しむ”という何気ない光景が今の少年には嬉しかった。


 彼らが食事を終えると時刻は夜になり、各自寝るための準備を始めた。体を綺麗に洗いパジャマに着替えて歯磨きをする、そんな当たり前の習慣が再度戻ってきた。トーマスにとっては、まさに夢のような時間が始まろうとしている。

 同時に“彼らへ伝え忘れたことがある”と思い出したトーマスは、その日の夜にハリソン夫妻の部屋を訪ねる。“コンコン”とドアをノックすると、奥から“どうぞ”という声が聞こえてきたので、ドアをそっと開けるトーマス。


 トーマスの視線には自分の両親のように楽しそうに会話を楽しんでおり、タイミングを見計らいハリソン夫妻へ話しかける。

「あ、あのね……ケビンにフローラ」

「ん? 何だい、トム?」

多少両親に甘やかされて育ったものの、基本的に真面目な性格でもあるトーマス。これからお世話になるハリソン夫妻へ、お礼の言葉と気持ちを伝える。

「ぱ、パパとママを亡くした僕を養子に迎えてくれて……本当にありがとう。そ、それと色々と迷惑をかけると思うけど……よ、よろしくお願いします」

感謝の気持ちを示しつつも、どこか照れくさく他人行儀なトーマス。


 トーマスから改めてお礼の言葉を聞いたフローラは、思わず涙ぐんでしまう。

「どういたしまして。確かに私たちは本当の親子ではないけど、リースとソフィーと同じくらい……いいえ、彼らに負けないくらいあなたを愛してみせるわ。さぁ、トム。こっちへいらっしゃい」

 フローラは返事をしつつも、ハンドシグナルでトーマスをベッドに誘う。おそるおそるトーマスがフローラの側へ歩み寄ると、彼女は繭を撫でるように優しく抱きしめる。

「ち、ちょっとフローラ!? い、いきなり何するの!?」


 だがフローラから自分の母ソフィーに似た甘い匂いや温もりを感じ、体では抵抗しつつもトーマスの心は次第に彼女を受け入れる。しばらくしてフローラがそっとトーマスを離すと、彼の頭を撫でながらおでこにキスをする。……フローラなりに、トーマスの心の傷を癒そうとしているのだ。

「……ねぇ、せっかくだから今夜は一緒に寝ない? トムも家に来たばかりだから、一人だと色々と心細いでしょ? それともトムは……いつもソフィーと一緒に寝ていたのかしら?」

「な、何を言っているの!? 僕はもう九歳だから、自分のお部屋で寝られるよ」

 フローラの問いかけに動揺を見せつつも、正直に話すトーマス。そんな正直で真っすぐな気持ちに、フローラだけでなくハリソン教授の心も自然と癒されていく……

 

 少し大胆な発言をするフローラとは別に、ソフィーに似た魅力を発する彼女の言葉に安らぎを覚え、静かに首を頷くトーマス。隣にいたケビンも軽く笑みを浮かべつつも、トーマスを自分たちのベッドへ出迎える。退院したばかりでなおかつ夜も遅かったことから、強い眠気がトーマスを襲う。

「フローラ、ケビン。お休みなさい……」

「えぇ……お休みなさい。トム」

「うん。おやすみ、トム」

トーマスがゆっくりと瞼を閉じると、彼は一足先に新しい夢の世界へと旅立つ。


 二人はワシントン大学卒業と同時に結婚し、とても幸せな夫婦生活を過ごしていた。まさに理想の夫婦に思えた関係だが、子宝に恵まれなかったという点において二人の間にどこか暗い陰を見せる。

 そんな時親友のリースとソフィーが事故により他界してしまったことにより、急遽トーマスの面倒を看ることになったハリソン夫妻。しかし以前から子供が欲しいと、心のどこかで願っていたこともまた事実。

「見て、あなた。トムの寝顔……こんなに可愛い。まるで使のようね」

「そうだね、フローラ。……リースやソフィーたちもこの子がいたから、いままでどんなにつらいことがあっても頑張れたんじゃないかな?」

ハリソン夫妻がそんなことを話しているとは夢にも思っていないトーマスは、“スヤスヤ”と寝息をたてている。


 この気持ちや瞬間を大切にしたい――そう決心したハリソン夫妻の心の中には、トーマスという一人の少年が幸せの時間と音色を鳴らしながら舞い降りた。そう、まるで天使のように……

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