あなたの言葉が光になったの ①

 青白く半透明なゼリーのカラダに同化してあたしは漂う。

 見下ろす地上には廃墟の街が広がっていて、空は紫色……それも生き物の中身みたいな模様が浮き上がってる。ここはもう、学校とか家とかのある世界じゃないんだ。


「ねえ、あなたは……どうしたいの?」

(何でもいいの。ぜぇんぶ壊れちゃうならね……うふふふふふ)


 あたしはもうひとりのあたしと会話する。

 クラゲのようなその姿はあたし……別の世界からきたもうひとりのあたし。レースのように繊細な触手で撫でる空気がなめらかで気持ちいい。

 その空に、無数の刃を突き出した巨大な歯車が浮かんでいる。じっと見つめてようやく分かるくらいゆっくりと、それが回転している。


「あれが……破壊の車ね」

(うふふふふ……この世の決まりごと、付き合わされる勝手なルール、みぃんな壊してもらおうよ)


 あたしはゆっくり地上へ降りていく。

 廃墟の塔が密集して建つそのあたりに、高層ビルほど大きな女の人が……ねじれた無数の角を持つ恐ろしい姿があって、あたしの夢にしては随分と派手でハリウッド調だ。

 建物や地上のあちこちには、毛色の変わった大小さまざまな生き物らしい影が動き回っていて、奇妙な格好をした人間らしい姿もちらほら。


「こんなに集まってるんやね」

(冥界とつながったからねぇ。ワタシ達・・・・はずうっと閉じ込められてきたけど……これでみんな一緒に行けるんだよ)


 暗がりで小さな灯りを探すように、あたし達は仲間を求めて、くっついて、最後は大きな存在に溶けていく。そのことがいまはよく分かる。


『やあ、新しい子が来たよ』

『美しい子だ。あの歪んだ魂……もうエレシュキガルと感応してる』

『ミーアクラアはいなくなったけど……あの子なら代わりを務めてくれるかな』


 皆があたしを迎えてくれる。頭に届くその声がくすぐったい。

 塔の間を漂いながら巨人へ近付くと、窓からは角や翼を生やした魔物みたいな人達が歓迎するように顔を向けてくれる。

 ゼリー状のカラダはほとんど見えなくなって、あたしはいつものあたしの姿に戻っている。空を飛ぶって思ってたよりずっと気持ちがいい。


(うふふふふ……ほら、肩に乗るよ。感じるでしょ?)

「うん。あなたのおかげで思い出した……あたしの閉じ込めてた感情」


 蒼白い肌をした女の肩に、あたしはそっと舞い降りる。

 地上から、建物や塔から、姿かたちの違う皆があたしを見守ってくれてる、そのことが嬉しい。

 足元がその大きな肩に触れた瞬間、痺れるように甘い感情が湧き起ってあたしは泣きそうになる。寂しい……あたしは寂しかったんだ。いつからこんなに暗い場所にいたんだろ。

 大きなカラダにゆっくり溶け込みながら、あたしは目を閉じる。


『……助けて……取り戻して……』


 あなたがエレシュキガル。皆がそう呼ぶ、冥界の力を統べる女神。あなたがこの世界に顕現させた仮のカラダを通じて、あたしは深い深い冥界からの声を聞く。


『……光を……もう一度……』


 そうだね、あなたの気持ちはあたしの気持ち。


「さあ……光を取り戻そう」


 あたしの足元には真っ暗な淵があった。果てのない深さ。

 その向こうから、どろどろした感情の濁流がせり上がってくる。その黒い渦はあっという間にあたしを飲み込み……廃墟の世界へと溢れ出していった。






「何が起きやがった!」


 凄まじい轟音に、俺は意識を取り戻す。

 黒い羽根を刃のように伸ばした、機械と生物の融合体のような飛行機――ワタリガラスが思考する鴉フギンと呼ぶそれが激しく振動している。座席から身体が投げ出されそうだ。


「おい少年……見てたんだろ!?」


 操縦桿らしいものと半ば一体化したワタリガラスが、黒髪をなびかせながら振り返る。こいつの黒いセーラー服姿はそのままで、かえって現実感がなくなって困る。


「あやのは……冥界の支配女神エレシュキガルのところや。そこから何か黒いもんが溢れて……」

「冥界の力か……!」


 前方から黒い雷光が走り、危うくかわした思考する鴉フギンはバランスを崩してきりもみ状に高度を下げる。

 雷光は廃墟群を破壊しながら飛びすさり、吹き飛ぶ瓦礫が視界をよぎるがこっちもそれどころじゃない。


「……いよいよ始まったな」


 強烈な加速度に声も出ない俺の耳にワタリガラスの声が響く。妙に楽しそうなのは気のせいか?

 あわや地面に激突、という寸前で旋回した思考する鴉フギンが地上すれすれを飛んでいく。周囲には大小の魄魔体ヴァーサナーがいたが、どれもはるか先に見える歯車へ……いや、エレシュキガルを目指している。

 そこからまた黒い雷光が四方に飛び、建物を壊しながらどろどろした黒い泥流を撒き散らしている。まるでみんな死にに行くようだ。


「引き寄せられてるんだよ。あの影どもの行き着く先こそが冥界だからな」

「じゃあ来訪者達は何がしたいんや!?」

「できるだけ派手にやりたいんだよ。この祭典をな」


 風を切る黒い飛行機を操縦しながら、ワタリガラスが胸を躍らせるような口ぶりで語る。


「冥界の力が流入すればするほど、ジャガナートが牽き潰す供物が多くなる。供物が多いほどジャガナートは荒れ狂う……無数の世界を巻き込むほどに。世界を憎悪する奴らが、自分を供物にして世界に復讐しようとしてるんだよ」


 魄魔体ヴァーサナーの数がどんどん増える。

 いまでは建ち並ぶ塔の隙間にはっきりと、エレシュキガルの蒼白い姿が見える。立ったまま微睡まどろむ穏やかな顔……その額が時折轟音と共に黒い雷光を放つ。


「だから来訪者達は、お前みてえな奴らに接触したがるんだよ。その世界の住人が基点になってはじめて、外からの力を流入させられるからな」

「お前も……世界を壊したいのか?」

「ははははは!」


 ワタリガラスが振り返る。風に舞い狂う黒髪ごしに、紅く輝く瞳が俺を見つめた。


「世界を壊したい……当たり前の感情だろ? そう思ったことのない奴がいたら心底哀れだと思うね。お前だってそうだろ?」


 まただ。こいつの顔に、黒髪を三つ編みにしたメガネの少女がダブって見える。泣き崩れるのを必死にこらえる顔でじっと俺を見つめている。


「そう……かもな」

「まあそんなのは前提だ。俺はもう少し別の目的がある。束縛する鎖を断ち切る、そのために来訪してる奴らもいるんだよ……こいつみてぇに!」


 突如思考する鴉フギンが急旋回して俺は座席に叩き付けられる。

 回転しながら飛来する巨大なハンマー……そいつをかわしたんだと直感できたのは、俺の胸のなかで緑色に輝く賢者の石のおかげだろう。世界で起きていることが見渡せる……まるで物語を外部から映すカメラだ。


「何をそんなに急いでおられる……虚海渡り殿」

「祭りの会場はここじゃねえぜガラハド」


 ワタリガラスが笑みを浮かべて話すその視線の先……建物の屋上に灰色のマントに身を包んだ男が立っていた。

 思考する鴉フギンの羽ばたきがそのマントをひるがえすと、フードに隠れていた頭部があらわになる……が、その上半分が無い!

 両眼のあるべき位置から上はぼんやりした闇に紛れ、口元だけが苦笑いを伝えている。よく見ると身体のあちこちも欠損していて、逆に腕の数はちょっと多いようだ。バグを起こしたゲーム画面のキャラクターのように、見てると頭のネジが狂ってくる。


「何やあれ!?」

「……ちょっと大人しくしてろよ少年」


 思考する鴉フギンがあり得ない急角度の軌道で男へ飛びかかる。

 とっさに座席に隠れた俺だったが、こいつらの異常な戦いぶりは否応なく脳裡に知覚された。

 ガラハドと呼ばれた男の周囲に、何の兆しもなく奇怪な物体が実体化し、次々に襲いかかってくる。無数の棘に覆われた立方体、燃え盛る巨大な鞭、派手な装飾のギロチンの刃……。

 思考する鴉フギンはそれらをかわしながら、不可視の波動を放って応戦する。それは建物や地面に当たると金属的な音を立てて一帯を融解させるので、地上はすぐ絨毯爆撃の跡地と化した。

 ワタリガラスの苛立ちが俺に伝わる。ガラハドは一瞬で姿を消し、まったく別のところから現れるのでまるで捉えられない。


「遊びが過ぎると病気がひどくなるぜガラハド?」

「虚海渡り殿にご案じいただき光栄の至りなれど、我にはもうさほど時は要らぬ」


 思考する鴉フギンが建物の残骸にとまり、俺はようやく座席から顔を出せた。表層現実でなら胃の中を全部ひっくり返してただろう。

 地上からこっちを見上げるガラハドが、欠けた身体を明滅させながら話していた。


「その者の持つ賢者の石……それがあればあのような騒ぎに乗じる必要はござらんからな」

「ははははは、よく見つけたじゃねえか。だがそれならひとまず好きにさせろ。物語はいまエレシュキガルに向かってる」

「いや……そうとは限らぬ」

「……ちっ!」


 足元から無数の槍……いや、電柱が飛び出して、飛び上がろうとした思考する鴉フギンを下から貫いた。

 その瞬間を察知できた俺は、間一髪で飛び出して地上へ転がった。

 すぐ傍に黒いスカートが揺れて、見ればワタリガラスも何事もなかったかのように地上に降り立っている。


「融合体とご一緒か、ガラハド……」


 俺たちの後ろで、地響きをたてて半壊した思考する鴉フギンが崩れ落ちた。

 目の前、電柱が飛び出した地面の黒い染みからは、さらに大きなものが姿を現そうとしていた。


「ミーアクラア殿……の者はこちらに」


 ガラハドがかしずくようにその傍に立っていた。

 影から生じた巨大なそれは猫の姿をしていた。無数の肢を持つ猫がいるとすればだが。


『ミーアクラアは寄り添う……ミーアクラアは見守る……ミーアクラアは闇と共にあり、光へ手を伸ばす……』


 影のように黒いその猫の言葉が頭に直接響く。こいつは来訪者だ。そう、こいつは融合していたんだ。あの子と……。


「ええ……そうです」


 少女の声が聞こえる。


「みーちゃんは私に寄り添ってくれてる……ずっと……あのときから。みーちゃんは私……向こう側から・・・・・・迎えに来てくれた・・・・・・・・もうひとりの私・・・・・・・


 か細い少女のシルエットが黒猫の前にあった。

 ウェーブがかった長い黒髪。

 血の気の薄い顔をあげると、妙に焦点のずれたふたつの瞳が俺を見つめていた。


仮名見かなみ来子くるこ……」

「そう勒郎ろくろうさん、随分待たせてしまいましたがもう邪魔は入りません。さあ……一緒になりましょう」


 来子が微笑むと、後ろのミーアクラアが低く身構えて牙を剥き出しにした。

 やばそうな気配に後退ると、背後から固いものが砕ける派手な音がした。

 振り返れば、思考する鴉フギンに突き刺さった電柱がひしゃげ、その内部に取り込まれていくところだ。


「邪魔しちまったら悪いな」


 黒髪をなびかせながらワタリガラスがにいっと唇を吊り上げる。この能力はあのときと同じだ。


ドグマを司ヴァルる漆黒の羽根ラヴェンは大いなる黒、すべてを呑み込み反転させる……この電柱はお前の創るような虚体じゃないからなガラハド」


 ミーアクラアに向き合って、思考する鴉フギンがすっかり修復したカラダで立ち上がる。その2体は黒猫とカラスそのものだ。人間達より遥かに巨大な、だが。

 次の瞬間、黒猫が凄まじい速度で飛びかかる。

 同時にカラスが身を震わせると、見えざる強力なエネルギーがうなりをあげて飛び、空中のミーアクラアに無数の穴を穿うがった。


「来子……!」


 なぜ俺は叫んでる? その驚きの最中、ミーアクラアは来子の背後にゴミのように叩き付けられていた。


「ふふふ……みーちゃん……」


 背後の惨状を気にもせず、来子は平然と俺を見つめて微笑んでいる。


「一度摩り潰されてますから」


 その後ろでミーアクラアがのけぞるように体を起こすと、見る間にその傷がふさがっていく。


「……ですから何度体を壊されても元通り。このくらい邪魔にはなりません」


 元通りというより、前より大きくなってる。いまや初めて会ったときから倍以上のサイズで、逆立てた毛は鋭い棘と化しずっと禍々しい姿だ。


「これも勒郎さん、あなたのおかげで思い出せたこと……。そしてあなたと出会えたから、私はもうあの大きな力……エレシュキガルと皆が呼ぶあれに頼る必要はなくなったんです。だって……」


――みーちゃぁん、あたしも連れてってよぉ。


 魄魔体ヴァーサナーの中で触れた来子の心が生々しく甦る。

 俺は無数に繰り返したあの行為が、他人の心の傷をわざわざ掘り返すようで、あるいは誰かの負の感情を押し付けられるようでたまらなく嫌だった。一方通行のやりとり。だけどあのとき、来子とだけは会話ができたんだ。


「……だってあなたが『ここから出よう』って、そう言ってくれたから!」


 来子の両目が喜びに見開かれると、ミーアクラアが甲高い叫びと共に飛びかかってくる。身体を引き裂こうとする無数の鉤爪を俺はスローモーションのように眺めていた。

 後ろへ引っ張られる衝撃の後、俺の身体は巨大なカラスの背に……舞い上がる黒い飛行機の座席にあった。


「ぼんやりしてんじゃねえ!」


 俺を引き寄せたワタリガラスが、操縦席に立って黒いセーラー服をはためかせていた。

 思考する鴉フギンが羽ばたいて、高度を上げていく。

 遠くのエレシュキガルから再び恐ろしげな黒い光がほとばしった。そうだ、俺はあやのの元へ急がなきゃいけない。


「ほら、とっとと行くぞ」

「……待ってくれ」


 俺は何を言ってるんだ。いまは誰にかまってる暇もないのに。


「てめえいまさら迷うんじゃねえぜ」

「ワタリガラス……」


 俺は初めてこの女をそう呼んだ気がする。


「ここで……逃げられへん。俺が手を差し出したんや。だから」


 俺の身体は座席から舞い、この高さから飛び降りていた。真夜マーヤーを発動……。

 地上から来子がじっと俺を見上げている。独り言のようにつぶやくその声が俺には聞こえる。


「暗い場所にひとりいるのが当たり前だって思ってた……でもそうじゃない、そこから出ていってもいいって気付けたの……勒郎さん、あなたと出会えて……あなたの言葉が光になったの」


 地上に降り立った俺に向けて、上空のワタリガラスが「バカが……」と呟くのが分かったが、その声はどこか楽しそうだった。


「……だから来子、俺はお前と向き合う」


 巨大な黒猫を背後に従えた来子が俺を見つめる。その瞳が初めて俺を見たように焦点を合わせた。


「ええそう……勒郎さんはいつだって、私の元へ飛び降りてくれるんですね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る