世界に抗うキミの武器を ②

 沈む夕陽が大通りの人々や車を染めて、世界の終わりのようだった。


久凪くなぎくん!」


 待ち合わせたビルの前で弥鳥みとりさんが手を振っていて、俺はああよかった、昨日までのことは夢じゃないんだって思う。


「どう……? 昨日の魄魔体ヴァーサナーは」

「うん、あっちだよ」


 ビルの向こうを指す弥鳥さんを、通り過ぎる人達が怪訝そうに振り返る。


「じゃ、行こう!」


 彼女に手を握られると、表層の現実がゆらりと崩れる。

 建物は奇妙にねじれ、人々の姿は溶ける。彼らの意識からも、俺達の姿はあっという間に消えたことだろう。消えたことに気付くこともなく。

 冒険を始めるこの瞬間が、俺は大好きだった。


「……! あっちか」


 レイヤーを移ると、すぐに奴らの気配が感じられる。

 俺はジャンプを重ねてビルの屋上へ上がった。“物理法則”に囚われないイメージ通りの動き――真夜マーヤーの使い方にも慣れてきた。


 うぐぅぅる……


 唸り声がして、1区画向こうに巨大な獣の影が見えた。あのステゴサウルスに比べれば小さいが、それでも大型車並のサイズ。

 黒いもやおおわれて分かりにくいが、ヒョウやトラのような猫科の獣らしい。動きがいびつに見えるのはあしの数が多過ぎるせいだ。


「あの魄魔体ヴァーサナー……やっぱりなんか変だよ」


 俺の隣に立つ弥鳥さんが怪訝そうにつぶやく。


「いいよ、まず戦ってみる……」


 俺は右手に意識を集中する。戦いにはやる気持ちが抑えられない。新しい能力を発揮する快感――。


「我が手に来たれ、勇者のつるぎ……!」


 手の平から伸びる光が剣の形をとる。

 想像が創造の力となる真夜マーヤー――ゲームやマンガに浸った妄想は、ここではすべて現実となる。


加速ヘ・イ・ス・ト……!」


 叫びに合わせ、全身が青白い光に包まれる。

 リアルに想像しさえすれば魔法だって使える。しびれるような高揚感の中で、俺はこの10日あまりの記憶を思い返していた。






「……ボク達はまず、真夜マーヤーの力に慣れなきゃね」


 校庭で戦った日から、俺は地下迷宮の代わりに変形へんぎょうした街へと潜った。レイヤーを深く、ジャガナートへ近付くために。……この世界から出ていくために。


「夜は真夜マーヤーが活性化するから、レイヤーを潜りやすいんだ」

「……でも魄魔体ヴァーサナーやって夜になると活発になるんやろ?」

「そう……だからこれは、ボク達がレベルを上げる戦いでもあるんだ」


 もとより弥鳥みとりさんのレベルは充分のようだった。

 俺を先導して空を駆ける弥鳥さんの、はためく赤いリボン、白い制服を眺めながら、これはレベル上げというよりチュートリアルだと俺は思った。

 世界に抗うチュートリアルだ。


「ボクはまだこの世界に馴染んでないから……あまり無茶すると、世界から弾き出されちゃう。だからキミの力がいるんだ」

魄魔体ヴァーサナーを……倒すときに?」

「そう。世界にあらがうのは、その世界にいる人だけの特権だから」


 魄魔体ヴァーサナーにとどめを刺すたび、俺はあのおぞましい暗黒と汚泥におかされた。

 どろどろに溶け落ちた魄魔体ヴァーサナーの残骸に倒れ込むとき、弥鳥さんはいつも俺を抱き締めてくれる。

 

「大丈夫だよ久凪くん……苦しいときはずっとこうしててあげるから」


 俺はいつだって、そのまま死んだっていいと思っていた。そうして戦いを続けられたんだ。






 るぎゃぁぁぁ……!


 猫じみた魄魔体ヴァーサナーが跳び、ビルの屋上にいる俺の目の前に音もなく着地した。その巨体で信じられない跳躍力だ。

 体を覆う黒い靄越しに、あかい瞳が光る。

 

「ひぐ……っ!」


 思わず漏れる悲鳴を噛み殺し、俺は加速能力を開放して相手の背後へ回り込む。周囲の時間が遅く感じられ、空気が水中のようにまとわり付く。

 無数の肢をなめらかに動かして走る怪物のスピードも凄まじいが、いまの俺の方が速い。とにかく剣を突き立てさえすれば決着だ。


「危ない!」


 弥鳥さんに身体を引き寄せられた直後、俺のすぐ傍を激しい衝撃が通り抜けた。

 魄魔体ヴァーサナーの背後から無数の鞭が……尻尾が飛び出していた。


 るっぎゃああああ!


 一瞬でこっちに向き直った魄魔体ヴァーサナーがその口を開ける。

 口元は見る間に首から胴へ裂け、体の上半分がまるごと上顎のように持ち上がった。半身を引き裂くように開いたその暗黒の中、俺の身長より長い牙が無数にそそりたつ。

 体の脇から無数の前肢を触手のように広げた姿に、猫らしさは微塵もない。暗黒神話の邪神さながらだ。弥鳥さんが支えてくれてなければへたり込んでいたかも知れない。


焔撃ベ・ギ・ラ・マ……っ!」


 パニックになりながらも俺は左手をかざし、大気を焦がすエネルギーを放射する。

 鼻っ面を焼かれて怪物が一瞬ひるむ。

 俺は恐怖を感じる間もないように無我夢中で加速の力を使う。剣を立てて正面から飛びかかり……というより巨大な顋の中へ身体ごと飛び込んだ。

 ぐにゃりとした嫌な感触があった。






 ……暗転。

 湿った闇の中、俺はいつもの侵食を待ち構える。


――暗いよぉ……寒いよぉ。


 子供の声。小さな女の子らしい。

 いつも幕間劇だ。“幼少期のトラウマ”なんて安直な素材ばかりだ。俺はもう抵抗する気もなく、全身を侵す汚泥に身を任せた。


――みーちゃぁん……。


 気付くと薄暗い部屋にいた。

 周囲には異様に大きな子供向けの小物。おもちゃのアクセサリ、人形、キーホルダー……どれも歪んで見える。


「いつもひとりでなにやってんだ? あれは」

「上の子と違ってあの子気持ち悪いのよね……」


 隣から囁き声が聞こえる。

 ふすまから光が射し込み、薄暗い部屋に白く線を引いていた。


――みーちゃぁん、あたしも連れてってよぉ。


 光から逃げるように、小さな女の子が部屋の奥で身を潜めている。

 その影のような姿に目を凝らしていると、ずぐりと足元が床にめり込んだ。その子のいる隅へ向けて、床が流砂のように沈み込んでいく。


(呑み込まれる……!)


 振り返ると、隣の部屋はすでに遥かな高みにあって、襖越しの光が命綱のように見えた。

 女の子を見返すと、悲しげに呟きながら床の底へ消えていくところだ。


(やばい、逃げなきゃ……!)






「……どうしてわざわざ暗い部分を見つめるのかなあ」


 唐突に馴染んだ声が聞こえて、俺は自宅のマンションにいる自分に気付いた。

 そのとき俺は、弥鳥さんに会いに出かけようとしていた。

 部屋を暗くして映画を観ている父親が、不思議そうに呟いていた。


「面白いなあ、人間て」

「……俺ちょっと出かけてくるから」


 夜歩きの言い訳でもと思ったが、どのみち無害そうに笑うこの父親から小言のひとつも出るはずがない。


「最近いろいろ物騒だからね。夜道で妙な影を見ても見えない振りをしとくんだよ」


 相変わらず、本気か冗談か分からない話し方だ。

 俺は玄関ドアを開けながら返事をする。


「うん、分かってるよ……」


 ……あんたと俺は違うってことが。

 俺はこれから影を見つけに行くんだから。見えなければいない、ってことにはならないんだ……。






「……大丈夫っ!?」


 俺は流砂の渦へ飛び込んでいた。

 かろうじて女の子の腕をつかむ。


「!? お兄ちゃん誰……」


 こっちが見えてる!

 魄魔体ヴァーサナーの心に触れるとき、俺はいつも無力な透明人間だが、いまはその体を掴むこともできる!


「ここから出よう!」

「え……? でも」

「テレポーテーション……! いや浮遊レヴィテーションでも……!」 


 女の子を抱え上げながら、俺はすでに胸まで沈み込んでいた。

 部屋全体が漏斗ろうと状にゆがみ、蟻地獄の底にいるようだ。

 耳鳴りのように外からの声が反響してることに気付いた。


――気色悪い子やなあ……。

――何なのあれ?

――やばっ、こっち来るよ。


 女の子が小さな身体を必死に縮めている。

 俺はその子の頭と肩をぎゅっと抱き締めていた。


「ここから逃げ出せるんやったらなんでもいい……!」


 目をつむり、ありったけの真夜マーヤーを込めながら、自分が生ぬるい闇の奥へ呑まれるのを感じていた。






 背中を打つ衝撃の数秒後、屋上のコンクリートに身体が投げ出されたと分かった。

 魄魔体ヴァーサナーに剣を突き立てたときの、何度やっても慣れない吐き気にうずくまる。


「同調したの……久凪くん」


 弥鳥さんの声がやけに懐かしく耳に響いた。

 涙でぼやけた視界の隅で、魄魔体ヴァーサナーが無数の肢を蹴って逃げて行くのが分かった。


「……ここから……逃げ出せるなら……」


 無意識に女の子の姿を探して、俺は辺りを見回した。

 弥鳥さんが俺を見下ろしている。その背後の空に浮かぶ渦が目に入った。

 この世界の理を消失せしめる破壊の神。それは向こう側へのゲート……。


「久凪くん……キミ、レイヤーを……」


 空の彼方で渦巻くそれが、視界を覆い尽くす。周囲が歪み……大きな流れに呑み込まれるような目眩があった。これはレイヤーの移動……俺ひとりで?


「みと……り……さん……」


 目の前に弥鳥さんの姿はなかった……いや、そこにいるのにうまく見えない。

 脳を撹拌かくはんされているようだ。まるで立っていられない


――久凪くん……ひとりじゃ……。


 微かな声も消えた。

 ……ようやく目眩が治まったとき、巨大な無音・・に取り囲まれているのに気付いてぞっとした。

 俺は慌てて立ち上がる。

 世界は一変していた。


 荒れ果てた廃墟のように、音も色彩も失った地上。

 絵の具を垂れ流したように鮮やかな紫色の空は、巨大なドームの内側のように見えた。そこに目を凝らすと、捻くれた骨格や神経、臓器じみたものがびっしり張り付いている。

 その紫色の空に……高層ビルよりも巨大な歯車が宙に爪を立てるように静止していた。

 至るところ凶器のような牙を剥き出した禍々しい姿。それは宏大な地下トンネルを掘削するドリルのように恐ろしい力を秘めて見えた。


「……ジャガナート……?」


 その静かで暴力的な風景に俺は見入っていた。ここが俺の……俺達の目指した場所なのか?


 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……


 可聴域ぎりぎりの高音だった。

 通りの向こう、十字路から何かが姿を現そうとしていた。


「……魄魔体ヴァーサナー?」


 そう呟いて俺はおののいた。いま俺を助けてくれる弥鳥さんはいない。そもそも彼女なしで、俺は元のレイヤーへ戻れるのか?


 閃光が走る。

 十字路の向こうに姿を見せた何かが発光している。


 ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……


 巨大な目があった。

 ビルほどの大きさの目玉が浮かんでいる。頭から無数の触手を生やし、その一本一本の先にも目玉があった。

 その何本かから、サーチライトのように光線を走らせている。


大凍マ・ダ・ル・ト……!」


 俺は両手を振り上げ、強烈な冷気の嵐をイメージをした。

 地表や廃墟の壁面が一瞬で凍り付き、砕けていく。


 ひぃぃぃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……


 その冷気の嵐は巨大な球体の表面を撫で……微風のように通り過ぎた。

 俺の想像できるだけの強力な魔法……だが、真夜マーヤーは自分の想像を超えて発動しない。現実そのものとしてイメージできなければ、ただ魔法の名前を言っただけだ。

 次の瞬間、目玉の怪物は慣性を無視した異様な飛び方で俺の真正面に巨体を浮かべた。


「ひ……」


 目玉の下部に横一文字の巨大な裂け目が生じ、無数の牙が飛び出た。俺が100人も同時に噛み千切られそうだ。


 ふぁぁぁぁ……ん


 無感動な深淵が俺を頭から呑み込む。まさか……と俺は信じられない思いだった。これでおしまいなのか?


 ……無数の金属片がぶつかり合うような音響が世界を満たした。


 一瞬遅れて、凄まじい衝撃が俺を吹き飛ばした。

 反射的に真夜マーヤーで防御したはずだが、全身が砕けるようだ。何が起きた!?


「……ようやく会えたなぁ少年」


 苛立たしげな声が聞こえる。

 半ば瓦礫に埋もれた身体を起こすと、辺りで崩れた廃墟の残骸に魄魔体ヴァーサナーの肉片が降りかかり、どろどろと溶けていた。

 空気は肌を刺すように帯電し、生臭い匂いが立ち込めている。一瞬でけりを着けるなんて恐ろしく強力な真夜マーヤーだ。


「退屈過ぎて気が狂いそうだぜ。物語の座標系を与えられながら、願うのは逃避ばかりかよ……」


 その声に、俺は聞き憶えがあった。

 砕けた建物の破片が舞い、視界を砂塵がおおう中、長身の人影が見えた。

 針金細工のような手足。黒いフードの奥から、挑みかかるように苛烈な眼光が輝いていた。


「この世界から出ていくなんて簡単だろ?」


 砂煙の向こうから突き出された手……その爪から、悲鳴のような音を立てて黒い影が鋭く伸びる。

 無数の刃。

 それは冗談のようにあっけなく、俺の全身を刺し貫いた。


「……死ねばいいんだよ」



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