極まっていくメタフィクション

 Web小説の形態というのは、先にあげた「書き方そのものの問題」とは別に、了承読者と作者だけで通用する「さらなる変化球の問題」とがあります。


 それでなくとも、Web小説というiTunesばりのアップデート繰り返しで、日々、参照と引用のルールが書き換えられているジャンルで、その特殊な書き方を前提にしておいて、そのルールをひっくり返すというような事まで起きているわけです。


 カウンター小説というヤツですが。


 例えば男が主役のハーレムモノが出てくれば、そのカウンターに非ハーレムだったり、ハーレム男を批判する作品が出てくるわけですが、これがそもそものハーレムモノと同じ文脈で語られる。つまり、変化球というわけです。

 しかしこれ、元のハーレムモノのパターンというものを知っていないと、何をカウンターしたのかが解からないという、完全な内輪ネタなのですね。


 ちょうど、「僕だったらこうする、」の、そのまんまをカタチにしたわけなので。


 一般的な小説ならば、まずハーレムの問題点をなんらかの描写で描き出してから、つまり、ハーレムモノを読者に理解してもらってから、カウンターを繰り出すのですが、ここを「お約束参照」と称して省いてしまっているわけです。

 お約束を知らない読者は切り捨てです。つまり、内輪作品であり、二次創作なのです。それを言っているわけですが、まだ理解できませんかね?


 これに慣れていくばかりで、普通の小説がまだるっこしくて読めないという読者がどんどん増えていく……それって、本当の意味での小説の終焉ではないのか、という危惧があります。



 Webはハードルが低いほうが参入人口増えていいんですが、それがそのまんま文壇でまで認められるというのが、あまり良い傾向ではないと思います。出来るだけ質を落とさず、内輪ウケな書き方から修正して一般の、「なろうなどWeb小説を読まない層にも届く」ような書き方に直させるのが出版業界のやるべきことではないのか、という疑問。


 そういう書き方が出来ないわけではないだろうに、と思うのです。

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