あやかし主従の夢現(ゆめうつつ)

椎名蓮月

さくやこのはな




 俺はサクヤ。烏天狗の朔矢だ。

 今は坊ちゃんと一緒に暮らしている。

 坊ちゃんていうのは、俺の、……なんなんだろう? ぬしさまじゃねえし、術も使えねえ、ただの子どもだ。

 とにかく坊ちゃんは、俺とゆびきりして、ずっと一緒にいると約束した相手だ。

 俺は今の時代から四百年か五百年くらい前に生まれた。最初はただのカラスだったんだけど、俺はほかの兄弟と色が違ってた。カラスは本来、黒い。だけど俺は白かった。坊ちゃんの兄上は、俺があるびのってえやつだったんじゃないか、と言うけど、そのあるびのってやつは毛や肌が白くて目の色は赤いらしい。俺は肌は白いけどひとの姿になったときの髪は赤いし、目の色は榛色だ。だからそういうのではないらしい。

 とにかく俺は兄弟の中でもとくべつ変わった風体だった。それで親も不気味に思っていたみたいだし、兄弟も俺をあまりよく思っていなかったみたいだ。

 生まれて動けるようになって、親が運ぶ餌を取り合うようになったとき、俺は兄弟に巣から突き落とされた。目障りだったのもあるけど、俺がいなかったら餌の分け前も増えると思ったんだろう。まあそりゃ、気持ちはわかるさ。

 そんなわけで俺は満足に飛べもしないうちに、地面に這い蹲って鳴いた。そのときの気持ちは、思い出せるような、思い出せないような……あまり思い出したくないというか。俺はどうして自分がそんな目に遭わなきゃいけないかまだわかってなかったし、気持ちよかった巣から落とされて冷たい地面の上で、満足に飛べないってより、ろくに歩けもしなかったんだ。不安でいっぱいだったと思う。

 思う、というのは、俺があまり昔のことを憶えてないからだ。

 俺はいろいろなことを忘れちまった。長いこと、ずっと山奥でひとりきりで引きこもってたせいらしい。何百年も誰とも会わず、誰もあの山に入れないように、ただそれだけを考えて生きていた。そのせいで、どうしてあの山に誰も入れないようにしていたか、その理由も忘れちまった。

 まあ、バカだよね、俺も。

 だけど、その理由は最近になってわかってきたし、いろいろとぼんやり思いだしてもきた。

 俺のいた山はある一族の持ちものだった。何度も戦乱があって世が変わってもその山はその一族の持ちものとして扱われてたんだ。もちろん山といっても孤立した山ではなくて、連なった峰の一山だから、山を伝って入ってくる者はいなくはなかった。それでも俺は、そうして入ってくるものを、誰であろうと追い払った。ただまあ笑っちまうのは、ヒトの場合はたいていがさまよって間違って入り込んじまってたらしくて、俺が追い返すと、化生が道を教えてくれた、とありがたがっていたらしい。

 その『化生』がやがて『山の神』にされるまでに時間はそうかからなかった。

 俺のいた山は神がいる山とされて、山を少し入ったところにちいさな祠がつくられた。そこには山の神にと、ときどきお供えものが置かれたりしたもんだ。

 そこからさらに奥に入ると、見事な山桜の木があった。今は枯れちまってる。

 それが、俺のぬしさまの墓標だった。


 地面で鳴いてた俺を拾ったのはちまっこいヒトの子どもだった。元服どころか、ほんとうだったらまだ乳母につきっきりで世話されていてもおかしくないような年ごろだったはずだ。

 その子は地面で這い蹲っていた俺を見つけると、憐れんで拾ってくれた。情け深い気質で、連れ戻った先で俺を介抱してくれて、寝る間も惜しんで世話してくれて、弱っていた俺が元気になったときはにこにこしてとてもうれしそうだった。

 俺はその子を命の恩人だと感じた。それに、その子の一家は術使いの家系で、人外化生と交わる力があった。そのころは妖力って言ってたよ。その子のお家はもともと都にいたお姫さまが検非違使と駆け落ちしてきたのが源流らしい。そのお姫さまの力が子や孫にも伝わって、近在の人外化生は家中の者といい関係を結んでたんだ。

 だから俺を拾った子どもにも妖力があって、俺と話ができた。俺が兄弟から追いやられたというと、妬まれたのだと笑ってくれた。それで俺は胸がすっとした。要らないからと捨てられるより、妬まれて追いやられたと思うほうが俺にとっては気が楽だったんだ。

 俺はその子を俺のぬしさまと決めた。だって命を救ってもらったし、俺のことをそんなふうに言ってくれたからね。今でも運がよかったと思う。俺ごときちっぽけな化生なんて、わるい人間に拾われていたらどんな目に遭ったかわかりゃしない。適当な呪詛の身代わりにされておしまいだっただろう。

 だけどぬしさまは俺を可愛いと言ってくれたし、どこにでも連れて行ってくれた。俺は飛べるようになると、ヒトの姿に変わることもできるようになった。俺はそうして、ぬしさまの従者として認められた。ふたりでどこにでも一緒に行った。

 ぬしさまのお家はあたり一帯の荘園領主だった。ぬしさまの兄上は病弱だったから、いざというときのために次子のぬしさまにも武芸や学問を修めさせていて、だけどぬしさまは、それは兄上の役に立つためだと考えていた。決して兄上に成り代わろうとは思っていなかったよ。領主はたいへんだとお父上を見ていて思ったみたいだ。

 そのうち世間がきな臭くなってきた。ぬしさまのお家は近くのおっきな領主に仕えてたんだけど、そこがいくさでよそのやつに負けちまったんだ。そうなると仕える相手は鞍替えだ。もっと大きな家に仕えなきゃいけなくなった。そうしないと家中全員皆殺しだったかもしれないからな。

 その仕えなきゃいけない相手ってのが、たぶん当時、いちばん権勢を誇ってたとこさ。容赦のないそこの首領が、敵だった相手が仕えるといってもすぐさま信じるわけにはいかないからって、人質を差し出せと言ってきたんだ。しかも女じゃだめで、領主の血を継いだ男子を、って無茶を押しつけてきた。

 もちろん、跡継ぎの兄上を出すわけにゃいかねえ。最初は兄上をと言われていたけど、病弱だからと代わりにぬしさまを差し出すことになっちまった。

 ぬしさまのほうが都合がよかったのはよかったんだ。俺がついてるからね。俺はぬしさまと一緒に、その領主の城に入ったよ。そこのお姫さまや家臣たちに囲まれて、俺とぬしさまはふたりきりだったけど、思ったよりいい暮らしはできたんだ。そこでぬしさまは元服して大人になった。武芸の鍛錬も欠かさず、強くなったよ。ぬしさまは山にいたころから弓の名手で、遠くまで見える目だったから、弓のうでを磨いたんだ。最後には、馬に乗ったまま的に当てるのは、城内ではぬしさまがいちばんになった。名前の通りだってお褒めいただいてたよ。名前……俺はもう思い出せないんだけど。だっていつもぬしさまって呼んでたしね。

 そこは都ふうの暮らしをしていたから、木の花は梅がもてはやされてた。でも坊ちゃんは山桜が好きで、いつも見たがってた。山まで遠かったけど、夜にこっそり抜け出して、俺が連れて行ったこともある。坊ちゃんは、もし死んだら桜の木を目印に植えてほしいと言っていたな。ほら、今は違うけど、昔って、塚山に死骸を埋めたら杉を目印に植えてただろう? あれを桜にしてほしいと俺に言ってた。俺は、そんな不吉なことを言わないでよって嫌がったけどね。

 ぬしさまの兄上は頭のいいひとだったから、お家はその領主に仕える家臣としてどんどん重用されるようになった。兄上が嫁を取って生まれた子が大きくなって、ぬしさまと人質を代わったけど、ぬしさまはそれでも家には帰らなかった。その領主に心酔したんだな。

 でも、その領主も、家臣の裏切りで殺されてしまった。

 あのころは本当に殺伐としていてね。俺たちは城から命からがらで逃げた。ぬしさまは人質だった甥っ子を抱えてなんとか逃げ延びたよ。俺は必死で追っ手を撒いた。ぬしさまのお家の領地はそこから遠かったし山の中だったから、追っ手もそのうち諦めたんだ。

 ぬしさまは仕えた相手に恩義を感じるようになっていたから、家臣が裏切ったことを怒っていたし、降伏するよう兄上に勧められても嫌がって諾とは言わなかった。でも、兄上はお家を繋いでいく役目をわかっていたから、困っていたよ。ぬしさまもそれはわかっていた。それで、しばらくしてからお家を出たんだ。もちろん俺も一緒だったさ。

 ぬしさまは同じように考えてる者を集めていくさの準備をした。その中には俺と同じ化生もいたなあ。あとになったらわかったと思うけど、どう考えても勝てるはずのないいくさだった。

 何年か経って決起をしたけど、やっぱりだめで、ぬしさまは何人も得意の弓で敵を射殺したし、なんなら敵の本陣の総領の兜だって吹っ飛ばしたくらいだけど、それでもだめだった。弓は近くの敵にはあまり有効じゃない。斬り込んできた敵に斬られて致命傷を負った。

 ――そこでね。俺はぬしさまを背負って逃げたんだ。追っ手は来なかった。走って、いくつも山を越えた。ぬしさまが水をのみたいっていうから、途中の沢で飲ませたら、笑ってくれたよ。そのときに、言ったんだ。

 おまえはすぐれたあやかしだから、自分が死んでも誰かに仕えるといいって。それってつまり、もう死ぬって言ってるんだよ、ぬしさまは。でも俺はそんなのは絶対にいやだった。ぬしさまが死んだら俺も死ぬつもりだった。そう言うとぬしさまはこまったやつだなと笑って……ならば絶対にこの世に舞い戻ってくると言ったんだ。このように天下に刃向かう者となったからには、地獄に堕ちるだろう。それでも罪科を雪いで必ずこの世に再び生まれる。時間はかかるが、それまで待っていろ。忘れても、待っていれば迎えに行くからって……

 それだけ言うとぬしさまは死んでしまった。魂が抜けるのを俺は見たよ。俺がうんともすんとも言わないうちに、言うだけ言って、いなくなった。

 俺はうんとは言わなかったんだ。でも、そんな言い逃げされたら、ぬしさまのあとを追って死ぬわけにはいかなかった。待ってるしかない。だってぬしさまはそれまで、言ったことは絶対に実現させてたからね。

 俺はぬしさまの鎧兜を脱がせて単衣だけにして、背負ってまた逃げたんだ。亡骸になっちまったけど、敵には渡したくなかった。敵がぬしさまの亡骸を見つけたら首を斬って河原に晒すのはわかってた。俺のだいすきなぬしさまがそんな辱めを受けるなんて耐えられない。だから俺は、俺が拾われたあの山に戻って、ぬしさまの亡骸を埋めたんだ。ぬしさまが以前に言っていたように、桜の若木を引っこ抜いて、そこに植えた。桜の若木は文句を言ったけど、そのうち亡骸をもりもり喰らってでっかくなっていったよ。

 まあそんなわけで、俺は毎年、ぬしさまを喰らって大きくなった桜が咲くのを眺めてた。桜の花が散るたびに、いろんなことを忘れていった。


 何百年か経ってから、山に子どもが迷い込むようになったんだ。いつも同じくらいの年ごろの男の子だった。俺が出会ったころのぬしさまと同じくらいの歳じゃないかと思う。

 みんな、俺が出ていって脅かすとたいてい逃げていくんだけど、その子が大きくなると、自分の子に、あの山にはやさしい烏天狗がいて、迷うと道を教えてくれる、なんて伝えてたらしい。

 それでも怖がらないで何度か来た子もいたよ。飢饉で困ってるから山菜を採りに来たんだとか、そういう理由でね。何十年か前は、父親が戦争に行くから帰ってくるようにお祈りするって子も来た。それがたぶん、坊ちゃんのじいちゃんだったと思う。

 坊ちゃんが来たのは、俺にとっては本当につい最近だよ。今よりもっとちっちゃくて。

 あ、でもその少し前に、べつの男の子が迷い込んできたんだ。その子は脅かしたら帰っていったけど、その子を捜しにきた女のひとが、俺は何もしてないんだけど、足を滑らせて沢で溺れてさ。さすがに俺も慌てたぜ。いくら経っても浮いてもこねえんだから。あの山は誰も入れないようにしてたから、人死にだってなかったんだ。

 俺は泳げなくってさ。よほど助けにいこうかとハラハラしてたら、そのうちぽかりと浮かんできて、川に流されていくから、せめてと浅瀬で河原に押しやってやったんだ。そうしたら、男のひとが来て運んでいった。その男も、前に子どものころ、山に迷い込んできたことがあるやつだった。

 あとでわかったんだけど、その女のひとは坊ちゃんの母上で、その男のひとは坊ちゃんの父上で、男の子は坊ちゃんの兄上だったらしい。

 そのあと何年か経ってから、坊っちゃんが来るようになった。最初は雪の深い時季で、危ねえなと思って見てたら吹きだまりにはまってさ。それを助けてやったんだ。ここには二度と来るなって言ったのに、次に来たときは俺にって、焼いた餅を持ってきてた。何度か来た子がいなかったわけじゃねえけど、そんなふうにくいもの持ってきた子なんて坊ちゃんが初めてだったんだ。坊ちゃんが俺に食べろっていうから、祠の前で半分こして食べた。旨かったよ。

 それから毎日のように坊ちゃんは俺に会いに来た。最後の日に、冬休みが終わるともう来られないっていうから、俺はちょっとホッとしたんだ。毎日、自分のおやつを持って来られちゃたまらねえよ。情が湧いちまう。だから坊ちゃんが来られないって言ったとき、もう会わずに済むと思ったんだ。

 けど春になって雪が溶け出すと坊ちゃんはまた来たんだ。春休みだからと言って。毎日やっぱり自分のおやつを持ってきて半分こして食べた。春休みが終わるとき、次はごーるでんうぃーくに来るって言った。その、ごーるでんうぃーくってやつは、桜の咲く時季でさ。俺たちは一緒に、ぬしさまの桜を見たんだよ。坊ちゃんはその桜を見て、サクヤだ、と言ったよ、なんのことって俺が訊くと、桜の花の神さまはさくやというとおじいさまが教えてくれた、山にいるカラスは桜の精だ、おまえのことだったのだと。そりゃ姫神さまのことだろうがよ、って俺は言ったんだけど、坊ちゃんはうれしそうだった。俺も笑った。あの桜も坊ちゃんがそう言うのを聞いて笑ってたよ、咲くやこの花、って。坊ちゃんにそれはわからなかったみたいだけど。

 あの年のうちに、あのでっかくなった桜は枯れちまった。最期に俺に礼を言ってたな。引っこ抜かれたときはもう死ぬと思ったけど、ここに植え替えられて功徳を積め、役目を終えられた、それだけは本当によかったと。その功徳やら役目やらがいったいなんだったのかは俺にはわからないな。

 とにかくそうやって坊ちゃんは学校が休みになると来た。都会に住んでて、この山はじいちゃんの山だって教えられた。そうやって坊ちゃんに会ううちに、俺はこの世がずいぶん変わってしまったことを聞いたよ。

 とにかく坊ちゃんは来るときは毎日来てくれた。でも来ないときがとても長かった。俺は何百年ぶりかで、坊ちゃんに会えないときに、淋しいって思ったんだ。

 そのとき俺は、坊ちゃんがいないとだめなんだなって、気がついた。でも、それは言えなかった。だって坊ちゃんは子どもだし、子どもの気まぐれで会いに来てると思ってたからだ。夏休みってやつが、俺はいちばん好きだった。坊ちゃんは長いことじいちゃんのうちにいて、毎日会いに来てくれたからな。坊ちゃんに、どうして毎日来るんだ、って訊いたことがある。坊ちゃんは少し怒ったように、会いたくてくる理由などひとつしかない、って言ったよ。

 俺は坊ちゃんに会ってから、坊ちゃんが来てくれるのを待つだけになっちまった。

 それから何年か経った。俺がひとりで過ごしてきた何百年より、その何年かは長かったような気がするよ。坊ちゃんはちょっとは大きくなった。それからしきりに、自分の家に来ないかと俺を誘うようになった。坊ちゃんのじいちゃんの家じゃなくて、都会にある坊ちゃんの家にだよ。なんでそんなことを言うのかと訊いたら、ずっと一緒にいたいからだと。わるいけど、俺、笑っちまったよ。だって嫁でもないのに家に来いって。

 俺が笑うと坊ちゃんは、ずっと一緒にいたいと思うのは自分だけかと悲しそうだった。俺は自分がへまをこいたのがわかったから、すぐに笑うのはやめて真面目に答えたよ。俺だって坊ちゃんとずっと一緒にいられたらどんなにいいだろうって。だけど俺には守るものがある。この山に誰にも入れさせないように……そう言うと坊ちゃんは、何を守っているのか俺に訊いた。

 いま考えるとおかしな話だけど、俺はそのとき、自分が何を守っているかわからなくなってることに気づいたんだ。

 あの桜が枯れたことで、俺の守っていたものはなくなってしまったんだと思った。俺はもう山にいなくていいんだとわかったんだ。

 それで坊ちゃんと約束した。次に会いに来てくれたら一緒に行くと。ゆびきりをして、ずっと一緒にいると約束したんだ。それが去年の夏休みの話。

 でも、次に坊ちゃんが会いに来る前に、おかしな野郎に呪詛を喰らわされてえらい目に遭ったんだけどね。




「――ってのが、俺の今までの話」

 サクヤは語り終えると、相手を見た。

 相手は、ふっと息をついた。

「なかなかに興味深いではないか。楽しませてもらったぞ、カラス」

 空をよぎる月の灯りが相手の面を浮かび上がらせた。

 美しい男である。まるで魔性のようだ。微笑みを浮かび上がらせた白い顔、黒い髪と、闇のような瞳。

「ところで、……その坊ちゃんとやらは、今はそなたの主ではないのか」

 海に面した公園は、夜が深まりすぎてもはや朝が近い。そうなると、素行のよくない輩や、うるさく飛び交う虫のような、あの珍走団とか呼ばれる者たちもなりを潜めている。

「さあ? どうなんだろうね。俺は、……どうしてか坊ちゃんと一緒にいたいとは思うけど……坊ちゃんは術使いじゃねえし」

 サクヤは口ごもった。

 自分は化生、いまはあやかしと呼ばれる存在だという自覚のあるサクヤとしては、人間は対等な存在ではありえないと考えている。だから、本当なら坊ちゃん――靫正には自分を容赦なく使ってほしいと思う。

 しかし靫正はそれを是とはしない。それを言うなら以前の主もそうだった。

「なぁ、人間って、たまにへんなやつがいるよな。……その、俺のぬしさまもだけど、坊ちゃんも……俺を、だいじにしてくれる。どうしてだろう」

「それはそなたを好ましく思っているからだ。そんなこともわからぬとは、まったくあほうなカラスよのう」

 くっくっく、と男は肩を揺らして笑う。

「好ましくってさ……俺は何もできないのに」

「居るだけでいいのであろう。それは愛着と呼ぶべき感情だ。使い慣れ親しんだ道具にも、そうした感情を抱くではないか」

「まあ、そうか……そうだな……」

 そううなずきつつも、サクヤとしては居心地がわるい。

 確かにぬしさまも坊ちゃんも、自分をたいせつにしてくれた。だが、なぜなのか、理由がわからない。たいせつにされると、うれしい。その気持ちに報いたいと、思う。だから傍にいたいのだ。

「そのような濃い関係は、我輩には向かぬなあ」

 男は苦笑してサクヤを見た。「一代限りの契では、かつて我輩が望んだように遠くまではゆけぬ」

「あんたは家系に憑いてるんだっけ」

 サクヤが問うと、相手はうなずいた。

「そのようにしてくれと願われたからな。末代まで見守ってほしいと、最初の主が」

「因果だね。そっちのほうがたいへんだ」

「そのおかげでさまざまなものを見られた。……我輩はこれが性に合っておる。代替わりして主が死んでも、悲しみはやがて癒える。……ヒトは必ず死ぬ。我輩もいつかはついえて消える。それまでせいぜい楽しませてもらいたいだけだ」

 愉快そうに男は笑う。

「そっかあ……」

 それは淋しいことのように、サクヤには思えた。

 心を分かち合うように寄り添う相手。サクヤにとって今はもういない主も、いま傍らにいるあの子どもも、そんな相手だ。

 そんな存在がいれば、ちっぽけな自分でもいくらでも強くなれる。そんな気がしている。

「だが、最近は、そうでもない」

「ん?」

 男はふと、笑うのをやめた。

「我輩の憑いている家系の、おそらくは最後であろう子どもを見ていると、ときどき羨みのような感情を抱くようにはなったな」

「どういうこと?」

「我輩の当代の主は、まだまだ未熟でな。……だがそれでも、放っておけぬ相手をみつけてしまった。手を差しのべて、死んだあとも一緒にいようと約束した相手がいる。……それが、我輩にはしあわせなことのように思えてならぬ」

「そういや、坊ちゃんのおっしょさんもそんな感じだ。死んだあとも一緒にいると約束したかは知らないけどさ」

 サクヤはそう言いながら双子のことを思い出した。さて、あの双子は靫正の師となってくれるのだろうか。

「あんたの話も聞きたいけど、俺。あんた俺より年寄りなんだろ? あんまりそういうやつにお目にかかったことなくてさ」

 傍らの男は、サクヤの言葉に苦笑した。

「まあそう急くな。こうして茶飲み友だちになったからには、時間はいくらでもあろう」

「そんなこと言ってるとさっさと歳をとっちまうぜ」

「それもまた楽しかろう?」

 彼はにやりとした。「歳を重ね、記憶を増やす。二度と忘れ得ぬものが心の奥底に積もっていく。……我々はそのようにして、ヒトへの情を濃いものにしてゆくのであろう。サクヤ。そなたが何百年と過ごした孤独の歳月も、決して無駄ではなかったはずだ」

「あんたは賢いなあ。今では本当に、俺にもそう思えるよ」

 サクヤは笑ってうなずいた。




 想いが降り積もる。まるであの日に見た散る桜の花びらのように。

 それでも何度でも、花は咲くのだ。

 ――その木が枯れるまで。


 咲くや、この花。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る