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 音楽室


 眩しい太陽の日差しが射し込む学園の音楽室。夏はピアノを弾いている。本人はあまり語らないが夏はお嬢様だ。それも正真正銘のお嬢様。だから当然、ピアノくらいはお嬢様のたしなみとして当たり前のように弾くことができる。

 夏の実家である瀬戸家といえば、この国では誰もがその名前を知っている、というくらいの巨大企業の創業家として、また世界でも有数の資産家として有名な家だった。夏はその瀬戸家の一人娘だ。

 遥は音楽室の席に座って、夏の演奏をただ目を閉じて、暗闇の中で、じっと聞いている。遥の耳に聞こえてくるのは、とても美しい音色だ。音楽室の中にいるのは二人だけ。演奏者は夏。だから観客は遥一人だ。

 それが素直にもったいないと思えるほど、夏の演奏は素晴らしかった。正直、それはとても意外なことだった。ピアノには自信があると夏は言っていたけど、でも夏はたいていのことには自信を持っているので、遥はその言葉をあまり当てにはしていなかった。

(だからちょっと驚いた。夏は本当にピアノが得意だった。現在の時点でも十分才能があると言っても良いくらいの腕前だった)


 開けっ放しの窓の外から音楽室の中に暖かい春の風が吹き込んでくる。その風が止むと、静かに音が閉じていく。演奏が終わり世界に静寂が訪れる。

 ……贅沢な時間だ。少しの間、余韻を楽しんでから(目を開けて)遥はその場に立ち上がって静かに夏に拍手をした。夏は遥を見て、満足そうな表情で笑っている。そんな夏の姿は、窓から差し込む明るい太陽の日差しを受けて、きらきらと輝いている。きれいだな、と遥は思う。そう思うのと同時に、遥の拍手が終わる。

 夏はピアノの椅子からゆっくりと綺麗な動作で立ち上がる。それから遥に向かって姿勢を正し、とても丁寧なお辞儀をした。

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