31

 木戸遥は自身の重さでたくさんのものを引きつける。あらゆるものを収縮し、圧縮して遥の中に閉じ込めてしまう。吸収してしまうんだ。遥の周りではすべてが遥に集まってしまう。集約してしまうんだ。すべてを奪われてしまう。木戸遥はそういうタイプの天才なんだ。ブラックホールみたいな人。恵みを与える太陽では決してない。

 夏は思う。きっと遥と出会ったことで運命が変わった人は大勢いるだろう。天才の重力はそこに存在するだけで周囲に影響を与えてしまう。本人の意思とは関係なくただ出会うだけで、その存在を知るだけですべてを吸収されてしまう。遥と一つになってしまう。なんて危険な存在なんだろう。なんて悲しい存在なんだろう。夏は遥が孤独を好む理由がちょっとだけ理解できた気がした。

 夏の髪がかすかに風に揺れている。大気が動いているんだ。まるで私に風が話しかけてくるように感じる。風は私に家に帰りなさいと言っている。ここはとても寒い場所だ。長居をする場所じゃない。

 夏は駅のベンチから立ち上がる。それからふと、私はこれからどこに帰るんだろう? とそんなことを疑問に思う。列車に乗って自分の家に帰るのか? それとももう一度橋を渡ってあの変わり者の家に帰るのか?

 ……まずいな。きっとこの場所が寒いからだな。また心が弱気になっている。いけない、いけない。

 夏は両手を青色のジャージの上着のポケットの中に入れる。夏の顔は笑っている。それから夏は迷わずに研究所へ向かう道の上を歩き出す。その足取りはさっきこの道を歩いたときよりもだいぶ軽い。

 そんなことはもう決まっているんだ。だって私のすべてはもう遥に奪われているんだから。思い出すのは遥のことばかりだから。私は遥とずっと一緒にいて、そして、……私はいつか遥の体の中に(心も体も、……魂も)吸収されて、……そこで、私は、遥と一つになるのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る