おはよう、夏。

雨世界

1 12月24日 夕方 久しぶり。元気にしてた?

 おはよう、夏。


 登場人物


 瀬戸夏せとなつ 訪ねてくる少女 お嬢様 十五歳


 木戸遥きどはるか いなくなった少女 天才 十四歳


 木戸照子きどてるこ(旧名、雨森照子あまもりてるこ) 白い女の子 七歳  


 木戸澪きどみお(旧名、宿木澪やどりぎみお) 白いクジラ ?歳 

 

 プロローグ


 二羽の小鳥


 幸せを探しに行こうよ。ずっと、遠くにさ。


 私は今日、旅に出ます。 


「一人旅ですか?」

 列車の中で、偶然、向かい同士の席になった女の人がそう言った。

「はい。そうです」

 私はにっこりと笑って、女の人にそう言った。

「実は私もそうなんです」にっこりと笑って女の人は言う。その女の人は同じ女性である同性の私から見ても、思わずつい目を止めて少しの間、時間が止まったかのように見とれてしまうような、すごく上品で、すごく綺麗な女の人だった。

 女の人は真っ白なワンピースを着ていた。耳に真珠のイヤリングをしていて、足元はバラの模様の入った白いミュールを履いている。それに今はとっているけれど、最初、席にやってきたときには、大きな白い帽子をかぶって、大きなサングラスをその顔につけていた。

 綺麗な髪は短くて、頭の後ろでまとめている。

 顔はすごく小さくて、目はつり目。眉は太めで、なんとなく猫っぽい顔をした人だった。

 私はその女の人の眩しい笑顔を見て、ちょっとだけどきっとしてしまった。

 私はそんな自分の気持ちを女の人に隠すために、視線を動かして、列車の窓から外に広がる風景に目を向けた。

 すると、そこには永遠に広がる緑色の大地があった。

 その緑色の大地の上には真っ青な夏の青空が広がっている。それは、とても美しい風景だった。(私がずっと求めていた風景がそこにはあった)

「あの、すみません。少しだけ窓を開けてもいいですか?」

 女の人を見て私は言う。

「ええ。もちろん」

 にっこりと笑って女の人はそういった。

「ありがとうございます」

 私はそういって、列車の窓を少しだけ開けた。

 するとそこから、気持ちのいい夏の風が列車の中に吹き込んできた。

 少し強いけど、素敵な風。

 ……透明な、清らかな風だった。

「気持ちいい」

 思わず私は夏の風の中でそう言った。

「ええ。本当に」

 にっこりと笑って、女の人が言った。

 私はあっと思った。声に出しているつもりはなかった。なので、私は、自分がつい少し変なことを言ってしまったと思って、顔を赤くして女の人に「すみません」と慌てて言った。

 すると女の人はくすくすと声を出さずに小さく笑った。

 私はなんだかすごく恥ずかしくなってしまって、思わず、自分の荷物の上に置いていた白い花の飾りのついた麦わら帽子を手にとって、自分の顔を女の人から隠してしまった。(私の顔はあまりの恥ずかしさで、さっきよりもずっと真っ赤になっていたと思う)

 ……恥ずかしい。麦わら帽子の後ろで、私は思った。


 お願い。どこにも行かないで。

 ずっと私のそばにいて。


 あなたと一緒に空を飛ぶ。

 あなたと二人で空を飛ぶ。


 扉


 ……扉を開いて。


 この扉は、どこに続いているんだろう?


 そんなことを空想させる扉が、この世界には確かにあった。

 そんな扉を見つけた人は世界にたくさんいると思う。(私だけじゃない。きっとたくさんの人たちがそうした不思議な力を持つ扉を世界のいたるところで見つけているのだと思った)

 その扉を見つけたあとで、『その扉を開けて、その向こう側に行ってみよう』と思った人はどれくらいの数、いるのだろう?

 統計を取ることはできないし、私の勝手な空想としてはあまりその数は多くないのではないかと思えた。

 小さな子供であれば、躊躇なくその扉を開けるだろう。(というか、子供はそれが不思議な力も持った扉でなくても、ちょっと変わった扉があれば、好奇心に負けて絶対にその扉を開けると思う。あるいは扉でなくても、子供の注意を引くものであれば、なんでも良いのだけど)

 でも、大人になるとそうはいかない。

 大人、とまではいかなくても中学生や高校生になると、そういうことも難しくなると思う。

 だから結果として、その扉を開けた人の数は少ないと私は予想した。

 さて、これから話の本題に入るのだけど、私は先日、ふらっと何気なく休日に街の中を歩いていて、その『不思議な力を持つ扉』を見つけてしまったのだった。

 その事実に私は本当にびっくりした。

 もう私にはそんな不思議な力を持つ扉を見つけることはできないと諦めていたし、またもし偶然にそんな扉を見つけたとしても、絶対にそれを見ないようにして、記憶の彼方に忘却して、それを見つけた事実を忘れて、今ある自分の普通の生活を守ることを考えると思っていたからだった。

 でも、実際にその不思議な力を持つ扉を(きっと十年ぶりくらいに)見つけた私は、すごく心臓がどきどきとしていた。

 ……この扉は、私に見つかることをここでずっと待っていたのかな?

 それとも、この扉を見つけたことは私の運命であり、この扉は『私の運命の扉』なのかな? とそんなことを久しぶりにずっと、緊張しながら、また興奮して考えたりもした。

 私は悩んだ。

 でも、決断はなるべく早くにしないといけない。

 不思議な力を持つ扉は、ずっとそこに、私の見つけた場所にあるわけではなく、ある日、あるときにふっと突然、消えてしまう扉だったからである。(私は経験上、その事実を知っていた)


 まず、結果から話そうと思う。

 私は、『その扉を開けることにした』。

 その扉を開けて、扉の向こう側の世界に移動することを選んだのだった。

 それは本当に価値のある選択だったし、またとても大切な(世界にとって、とは言わないけれど、少なくとも私の人生においては、本当に大切な)選択だった。

 本当ならすごく時間をかけて選択しなければならないことだった。

 でも前述したように、この扉は時間をかければその間に消えてしまう意地悪な扉だった。

 だから私はあまり悩まずにその選択をした。

 本能に従って。

 自分の心と、……夢に従って、その扉を開けてみることにした。(つまり、思いっきり助走をつけて、高い崖からジャンプしてみることにしたのだ)

 その結果、私の人生がどうなったかは秘密(誰かの選択の邪魔になってしまうと思うから。この選択はできるだけシンプルに、自分の心に従って決めて欲しいと思うから)にさせてもらうけど、私はその選択に後悔をしていない。

 そして今、その不思議な力を持つ扉をもう一度、世界のどこかで見つけることができたなら、私は迷わずにその扉を開けるだろう。

 そしてまた、今とは違う、新しい世界に移動をして、その世界で、自分の人生を続けるのだ。

 それだけは絶対にそうだと自信を持っている、私の未来の予測だった。


 たまごの殻


 私は私。あなたはあなた。


 誰もいない無音の、真っ白な窓の開いた教室の中。

 私は一人ぼっちでそこにいた。

 すぐ近くにある窓際のあなたの席もからっぽだった。

 そこには、ただの透明な空気だけが存在していた。

 その事実を確認してから、私は自分の机の上にうつ伏せになって、ゆっくりと目を閉じて、深い、……とても深い眠りの中へと、たった一人で落ちていった。(だって、あなたがいないんだからしょうがないことなんだ)

 私はすぐに眠りについた。(授業中もよく居眠りをしてる私は、本当にすぐに眠りにつくことができた)

 その深い眠りの中で私は一人、夢を見た。

 幸せな夢か、そうじゃない夢なのかは、まだわからない。

 そのひとりぼっちの夢の中で、私は綺麗なピンク色の花が見渡す限りに大地の上に咲き乱れるとても不思議な場所に立っていた。

 時折、とても優しい風の吹く場所。(きっと、度々感じたことのある、あの優しい風はこの場所から自分の暮らしている遠い街まで吹きてきたのだと私は思った)

 そんな場所に私はひとりぼっちで立っていた。

 そんな優しい風が、まるでそっと撫でるように、私の長い黒髪をゆっくりと揺らしている。

 服装はいつの間にか学校の制服から、真白なワンピースに変わっていた。頭には麦わら帽子をかぶっていて、足元は麦のサンダルだった。

 そんな自分の服装に気がついて、私はついおかしくて一人で笑い出してしまった。

 私って、こんな趣味してたんだ。……幼いな。

 もうわかってはいたことだけど、やっぱり自分でもおかしかった。私は大人になれていない。ううん。きっと一生、大人になんてなれないのかもしれない、と私は思った。

 たまごの殻が固すぎる。

 こんな硬いもの、非力な私に一人で割れるわけないと思った。

 こんこんと頭の中で空想のたまごの殻の中にいる私は、自分を覆っているたまごの殻を手でドアをノックをするみたいにして叩いている。

 向こう側から返事はない。

 別に私も誰かの返事を期待していたわけではないから、そのことを特別悲しいことだと私は思ったりはしなかった。(その代わり私は自分のために小さく笑った)


 なんだか、泣いちゃいそうだよ。


 ありがとう。愛してくれて。


 瀬戸夏


 自由な空


 君が好きだよ。ずっと大好き。

 私の世界が終わっても、あなたが好き。

 ……大好き。


 木戸遥


 空の中へ


 空の中で手をつなぐ。

 あなたと。わたしと。

 笑顔で。一緒に。……泣きながら。


 雨森照子


 手の届かない、高い空


 もうすぐ、あなたがやってくる。

 ……私はあなたに恋をする。


 本編


「遥。いる?」

 そう声をかけると、「なに?」と言って、教室の中から返事が返ってきた。

 遥は窓際のところに立っていた。

 そこから窓を開けて、教室の外に広がる青色の空をじっと、一人で眺めていた。遥の目はいつもと同じように、孤独な色をしていた。

 遥の目には、ほんのりと空の青色が残っていた。

 そんな遥の目を見て、夏はどきっと、自分の心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。

「なんだ、夏か」

 ぼんやりとした表情で遥は言う。

「なんだ、じゃないでしょ? そんなところでなにしているのよ。みんなもう先に帰っちゃったよ」

 そう言いながら、夏は遥のいるところまで移動をする。

 遥は紺色の学園の中等部の制服を着ている。

 夏も紺色の学園の制服を着ている。(夏は、スカートの下に青色のジャージを履いていた)

「なに見てたの?」

 にっこりと笑って夏は言う。

「空」

 いつものように、遥は言う。

「遥は相変わらず空ばっかり見ているんだね。そんなに好きなの? 空」夏は言う。

「別に好きじゃないよ」遥は言う。

「じゃあ、なんで空ばっかり見ているのよ?」遥を見て、夏は言う。(夏のポニーテールの髪型が、その顔の動きで、まるで猫のしっぽのように左右に揺れている)

「……本当は、空を見てたんじゃないよ」そう言って、また青色の空を見て、遥は言う。

「嘘。空見てたじゃん」口を尖らせて、夏は言う。

「私が見ていたのは、もっと遠い場所の風景だよ」遥は言う。

「もっと遠い場所の風景?」

 遥を見て、夏は言う。

「……それって、どこのこと?」

 夏の言葉に遥はなにも答えない。ただ、視線を空の風景から動かして、夏を見ると、にっこりと(なんだか寂しそうな笑顔で)笑っただけだった。

 そんな遥の表情を見て、夏は少し不安になった。

 なんだか『このまま遥が本当にどこか遠い場所に(遥の言う、空の向こうにある風景の場所に)行ってしまうような気がしたからだ』。

「じゃあ、帰ろうか」遥はそう言って、開いている教室の窓を閉めると、(真っ白なカーテンもきちんと閉めた)それから窓のところから移動をして、自分の机に置いてあるカバンを手に取った。

「ねえ、遥」

 まだ窓のところにいる夏は、そこから遥に言う。

「なに?」遥は夏に言う。

「……遥はさ、どこにもいかないよね。私から、ずっと、ずっと遠い場所なんかに、私に黙って行ったりしないよね?」夏は言う。

 夏はなんだか泣きそうだった。(なんだか悲しくて仕方がなかった。理由は自分でもよくわからなかったけど……)

 そんな、泣きそうな夏の顔を見て、遥は、ずっと昔の思い出を思い出した。ずっと昔のこと。学園の初等部のころのこと。

 遥の横で、夏はいつも、今みたいに泣きそうな顔をして、ずっと遥のことを見つめていた。

 ……どこにもいかないで。遥。ずっと私のそばにいて。

 夏は、目に涙をためて、ずっと遥にそんなことを言っていた。

 今はもう、夏はすごく明るくなって、昔みたいに泣いたりしないんだろうなって、思っていたけど、そんなことはなかったみたいだ。

 そんなことを思って、遥はくすっと、小さく笑った。

「なに笑っているのよ」夏は言う。

「ごめん」遥は言う。

「夏。私はどこにもいかないよ。ずっと、夏のそばにいる」にっこりと笑って遥は言った。

「え?」そんな遥の言葉を聞いて、夏はその顔を赤く染めた。

「……それってどういう意味?」夏は言う。

「そのままの意味だよ。ほら、行こう。みんなが待ってるんでしょ?」遥はそう言って、わざと夏を置いてけぼりにするような感じで、自分の机の前から(急足で)歩き出して教室から出て行こうとする。

「え、あ、ちょっと待ってよ! 遥!」

 夏は慌てて、そんな遥を追いかける。

 遥と夏がいなくなると、教室の中は無人になった。

「遥、大好き!!」

 そんな夏の大きな声が、廊下から、教室の中にまで聞こえてきた。


 12月24日 夕方 久しぶり。元気にしてた?


 空は厚い灰色の雲に覆われている。予報では今夜は雪が降るようだ。こんなどんよりとした暗い空を眺めていると、なぜ自分がこんな場所にいるのか、よくわからなくなってくる。

 瀬戸夏は鮮やかな青色をした上着のジャージのポケットの中から、もうぼろぼろになってしまった手書きの地図を取り出して、自分の位置を確認した。目的地までは、あともう少しだ。

 冷たい風が大地の上を吹き抜ける。その風が少し癖のある、夏の腰の辺りまで伸びた自慢の美しい黒髪を柔らかく揺らした。夏の足元には舗装もされていない土色の道があり、夏の周囲には緑色の草原と澄み切った空気がある。そんな風景を、夏は道の上に立ち止まって、ぼんやりと眺めている。

 ……まあ、いいところかな。うん、悪くはない。これから会うことになる私の友達は、こんな世界の中で暮らしているのか、……少し意外だ。

 いや、そもそも環境なんて気にしないのかも? 仕事ができればどこだっていい。遥はきっと森にも空にも興味はないだろう。そして、たぶん、私にも……。

 だから私はこうして遥を追いかけているんだ。誰かと出会うことは偶然かもしれない。でも別れは絶対に偶然ではない。勝手にいなくなるなんて許せない。

 夏はその場で、うーんと大きく背伸びをしてから、思いきり深呼吸をした。澄み切った透明な空気が夏の小柄な体の中の隅々にまで吸収されて、数秒後に白い息となって吐き出された。

 そして笑顔になった夏は、それからまた元気に歩き始める。突然自分の前からいなくなってしまった夏の友達(そう。私たちは友達だった)であり、世界でも有数のとびっきりの変わり者でもある、天才木戸遥に一言文句を言うためだ。

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