傘は畳まれ
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248 :あなたのうしろに匿名さんが……:20XX/07/09
たった今だけど、すごい怖い目に遭った。パクった傘の中にお化けが出た。
249 :あなたのうしろに匿名さんが……:20XX/07/09
当然の報い。あとageんな。
250 :あなたのうしろに匿名さんが……:20XX/07/09
>>248 kwsk
251 :あなたのうしろに匿名さんが……:20XX/07/09
〇川駅前のコンビニ出たらひどい雨になってて、悪いとは思いつつ、傘立ての女物の傘一本、適当に拝借したんだよ。
それは確かに私が悪かった。でも、帰る途中でその傘の中にいきなり長い黒髪の女が出たのは怖すぎ。
250 :あなたのうしろに匿名さんが……:20XX/07/09
>>251
その傘呉れ
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匿名掲示板に投稿されたその目撃談は、最近まで報告されているものとおおむね似たり寄ったりの内容だった。この後は延々とその板特有のノリと無責任なまぜっかえしの中、おそらくは高校生程度の年齢と思われる投稿者の、恐怖と戸惑いがつづられている。
残念ながらそれ以上の情報をたどることはできなかった。掲示板の過去ログはとっくに消えていて、その投稿はたまたま同時進行していた別の創作っぽい連投に混ざる形で、まとめサイトの記事の中に残っていたのだ。たぶん、サイト管理人の琴線にもなにかしら触れるものがあったのだろう。
興味深いのは、この目撃者は現れた女に「見覚えがある」と書いていたことだ。
――少し前に近所で見た気がする。だがその時は別に何のおかしなところもない、普通の綺麗なお姉さんだと思った――
目撃者はそう述べていた。ということは、あの傘の女はもともとは普通の人間だった、ということか?
生身の肉体をもつ普通の女が、まるで電球に灯る光のように傘から傘へと瞬時に移動し遍在する、何ものかに成り変わる――
そんな現象をもたらすきっかけは、僕の作家的想像力をもってしても二種類くらいしか思い浮かばない。
死んで霊的な存在になるか、或いは何らかの異能力に目覚めるか、といったところだろう。荒唐無稽なのはどちらも同じだが、前者の方がまだしも「常識」の範疇にある。だが、そうすると――彼女はこの最初の目撃談からそう遠くない過去に「死んで」いることになる。
パソコンの画面から視線を外して一休みした。僕の視線の先にはアパートの玄関ドアがある。その向こう側にはあの傘が。
傘の中に現れた女の顔は今もありありと思い出せる。あの美しく整った容姿の持ち主を彼岸へと渡らせ、空間そのものに虚無の穴が開いたようなあの虚ろな眼差しを宿らせた死とは、一体どのようなものであっただろうか?
容易く想像がつく。尊厳の全てを奪いつくすような殺人か、あるいは失意と絶望の底に追い込まれての自殺だ。
であれば、彼女の死はどこかに記録されているはず――そう考えたのだが、再びディスプレイに視線を戻し検索を続けても、ネットで閲覧できる範囲の記録の中に、関連のありそうな失踪事件や殺人事件の記録を見つけることはできそうになかった。
なにも捜査機関の記録が部外秘であるとか、そういう理由ばかりでもない。
多い。多すぎるのだ。最初の目撃例があったその年における失踪者の数は、届け出があったものだけでも八万人を超えていた。
結局、僕はそこでいったん追跡をあきらめた。仕事の都合もあったし、そもそも僕の周辺ではその後何も起こらなかったというのもある。多分傘を開かない限り、彼女はそこに出現することができないのだろう。
そうして、一か月ほどが過ぎた。
* * * * * * *
「またまた先生。そんな面白いことがあったんなら、次の連載それでお願いしますよ」
「いや、女が出ました、消えましただけじゃ話にならないでしょうが。だいたい僕はホラーを書いたことなんてないんだし」
その日、僕は編集の大上氏を誘って学生時代から行きつけのラーメン屋に来ていた。場所はちょうど、あの最初の目撃例が報告された駅のそば。商店街の途中にある四つ角の南東にある、怪しげに床が傾いた古い店だ。
ここの店は、恐ろしく巨大な豚の角煮を定食につけてくれる。僕自身は運動不足も相まって遠慮したが、健啖家の彼はその角煮を肴に上機嫌でビールをあおっていた。
「そこはほら、その女を美少女ヒロインにしてちょっとホラーちっくなラブコメとかで――」
「大上さんの部署、そういうレーベルじゃないじゃないですか」
大上氏はいい人だ。仕事はまじめにしっかりやってくれるし、引きこもりがちになる僕のような作家を、こまめに外へ連れ出してくれる。ただ、酔うとどうも僕に無茶振りをするのが困ったところ。
お互いにその辺は分かっているから、酒の席での話は決してまじめな提案としては扱わない約束になっている。
「……そもそも怪談の当事者になっちゃうとね、それを面白おかしく作品にするなんてことはなかなか難しいですよ。なんというかこう、時間的、空間的に絶対安全なところまで逃げ切った、って確信してからでないと……」
「ああ、わかります。うちで出してるホラーコミック誌『アルラウネ』の
「ああ。だからこそ、書けるんでしょうねえ」
わかる気がする。愛生先生のマンガは僕も愛読しているが、その怖さは実体験では逆に絶対ありえない、絶妙に計算しつくされ研ぎ澄まされた代物なのだ。
「しかし、惜しいなあ。絶対面白いのに……そういえば先生、その女はどんな服装をしていました?」
「服装……?」
愕然とする。顔はありありと思いだせるし、今でもそれだけで鳥肌が立つほどだ。だが、彼女は何を着ていた?
「思い出せない……漠然と、首から下が黒かったような気がするけど、それだけしか認識できてない……」
大上氏の顔に失望の表情が浮かんだ。
「先生、しっかりしてくださいよ。元は漫画家志望だったんでしょ? せっかくいいキャラクターできそうなんだから、捏造してでも細部までイメージしてくんなきゃあ……」
ビールの酔いが回ってきたのかやや危なっかしい感じになった彼の視線が、その時ふと僕の顔から脇にそれた。どうやら僕の後ろを見ているようだ。
「あ……こんな感じいいかも! ほら、いかにも厄いじゃないですか」
指さした動きにつられて、僕も自分の背後を振り向く。そこにはざっと二十年ものくらいの、古いブラウン管式の十五インチTVがあった。
音声は消してあるが画面にはテロップが出ていて、そこに映し出された黒いハーフコートを着た若い女性が何者なのかを十二分に伝えていた。
「大上さん……こいつだ」
「え?」
――
犯人の突然の自首によってまさに今日発覚した殺人事件の、美しすぎる被害者。長い黒髪に縁どられたその顔は、あの傘の中に現れた女そのものだった。
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