ブルゴーニュ大公国

シャルルードーブルゴーニュ

第1話汝婚姻せよ

ブルゴーニュ大公国という当時フランスの王家の一員で有りながら、フランスとは違う矛盾した公国でもあった。

ブルゴーニュ大公国の歴史はネーデルランドの歴史と言っても過言ではない。

ブルゴーニュの歴史は婚姻ロイヤルマリッジと経済とフランス王家の血による3つ事象の歴史でもあった。

世界で大公国という体制はブルゴーニュ大公国しかいない、と言っても過言ではない。

王をも凌ぐ強大な力を一地方の田舎公爵が持っているのである、それがブルゴーニュ公爵であった。

婚姻ロイヤルマリッジ

ブルゴーニュ大公国の発生はフランス王国のヴァロワ家から始まった。

時の王が息子にブルゴーニュ地方を拝領させた事により、ブルゴーニュ公国家は誕生した

ある時親戚のフランドル伯爵のルイ2世が、イングランド王国との戦争中に戦死した。

彼はブルゴーニュ公爵の血筋であった、フランドルの領主に空きが出たので、フランドル伯の領土を継承者には、ブルゴーニュ公爵が継承する事と成った。

その事でブルゴーニュ公爵でも有りながら、同時にフランドルの領主でもあった。

フランドル地方は豊かであった。フランドル地方を継承した事による圧倒的な経済力を有したブルゴーニュ家は、低地諸侯国ネーデルランドに魅せられたのである。

何としてでも低地諸侯国を手に入れたい。

そんな野望が出たブルゴーニュ家は低地諸侯と婚姻をして血のつながりを求めた。

フランス王国が誇る名門中の名門、ヴァロワ家の血は低地諸侯としても受け入れて損はなかったのである。

しかしながら一地方の田舎公爵が国王をも凌ぐ強大な力を有するのは、フランス王国家の諸侯達は我慢行かなかった。

ブルゴーニュ家はフランス王国家の一員として考えて行動をしていたが、フランス諸侯達の反発する態度に危機感を抱いた、ブルゴーニュ大公国は当時敵対するイングランド王国との繋がりを求めた。

ブルゴーニュ公国家はイングランド王国との血の繋がりをより強固をするために、イングランド王国との永久同盟国先のポルトガル王国との血のつながりを求めた。

イングランド=ポルトガル両者蜜月の関係からイングランド=ポルトガル=ブルゴーニュの強固の盤石である体制を得たのであった。


しかし事件が起こった、イングランド王国領土のオルレアンがフランス王国に占領されたのである。

フランス大陸の北沿岸部と西沿岸部はイングランド王国の領土でもあり、軍事力でも優位であるイングランド王国がフランス王国に負けたのだ。

しかも取られた場所が防衛要所の要である、オルレアンであった。

ここが落ちるという事は、今後イングランド王国はフランス王国に勝てないという位の大事件であった。

ブルゴーニュ公国は焦っていたまさに争点の霹靂あった。

イングランド=ポルトガル=ブルゴーニュの体制を苦労して得たにもかかわらず、突如としてのイングランド王国の没落であった。

フランス王国家がイングランド王国家の領土を毟り取るのは時間の問題でもあった。

しかしブルゴーニュ公国はどこか達観視していた、何故ならフランス王国家とはブルゴーニュ公国家でもあったのだ。

フランス王国家はヴァロワ家の血筋で

ブルゴーニュ公国家もヴァロワ家の血筋であった。

同じ親戚同士でどうして殺し合いが出来ようか?同じ家族なのである、ブルゴーニュ公国はフランス王国との対立はしないと考えていた。

しかし事件が起こった。ブルゴーニュ大公国の大公ジャン1世がフランス宮廷内で暗殺されたのである。

身内でしかも同じ家族で親戚でもある、ブルゴーニュ公国家の人間をフランス王国家の人間が殺したのである。

これにはブルゴーニュ公国家側も怒り心頭であった、自分達の家族が殺されたのは流石に黙っては居られなくて、フランス王国に報復をする事となった。

同じヴァロワ家という名門で有りながら両者は互いに袖を分かつようになっていった。

同じフランス王国家で有りながら、フランス王国と見なされていない、フランスとは完全に独立した勢力ブルゴーニュ大公国がここに誕生したのであった。

とは言えフランス王国と敵対するには相手が強大過ぎた、いくらブルゴーニュ大公国の力が強くともフランス王国は脅威であった。

イングランド王国が没した代わりの同盟国先を見つけなくては成らなかった。

しかしながらも、イングランド王国とフランス王国との関係も早々には切れなかった。

ブルゴーニュ大公国は時の神聖ローマ皇帝である、オーストリア皇帝マクシミリアン1世に目を付けた。

彼は才能に優れた優秀な若者で有り皇帝でもあった、幸いな事にブルゴーニュ大公国とオーストリア皇帝マクシミリアン1世とは遠縁での親戚でも有ったし、

フランス王国に対抗したいブルゴーニュ大公国の思案と、ブルゴーニュ大公国が有する圧倒的な経済力を有したいオーストリア皇帝との思案が両者共に一致して両者は血で結ばれた。

この事により後のオーストリア皇帝はフランス王国と400年に渡る対立関係を築く事になった。

ブルゴーニュ大公国の血統は、フランス王国の血、イギリス王国の血、神聖ローマ皇帝オーストリアの血が混ざったまさに血のサラブレッドでもあったのである。



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