第53話 大切な記憶

 閃光から解放された空には、雲一つなく、深い青に、吸い込まれそうになる。


 我に返り、倒れている二人の元へと急いだ。


 シルフィードは、濡れた大地に横たわり、泥水が彼女を汚していた。


 目立った外傷は無く、揺れる肩から彼女は、息をしていると解り、


 フェンリルから小さな少女の姿に戻り倒れているチビへと、視線を移そうとした時、


 風が声を運んできた。


「ごめんなさい……」

 シルフィードの顔は、濡れていた。


「なに、謝ってるのよっ、大丈夫?」

 いつも強気だった彼女が、今は、弱々しくて、とても心配だ。


「あら? 、泣いたの……大丈夫よ、私は精霊なのよ、消えても、また、生まれるわ」

 彼女の言動は、投げやりで、目を合わせてくれない……。


「ごめんなさい……私のせいで……、それでも、消えたら、今の、あなたには会えないわ! そんなの、嫌よっ!」

 弱気な彼女は、心配だ……


 違う、


 俺は、間違いを叱ってほしいのか?


 彼女に?


 なんで……



「あなたは悪くないわ……、私が、あなたの邪魔をしたのよ……、私は、もう、消えたい、あなただって……」


 地に伏したシルフィードの上半身を持ち上げて起こす。

 泥水が彼女の白い肌を筋となり、胸の谷間に吸い込まれるように流れた。


 彼女は、顔をよそに向け、俺を見ようとしない。


 腹が立ち、彼女の頬を平手打ちした。


 バシーン、


 派手な音が響き、彼女の頬を赤く染める。


「何を言い出すのよ、馬鹿っ!」

 シルフィードは、頬に手をやり、やっと、俺を見てくれた。


 これ以上を、求めるのは酷かもしれない……、今は……まだ、これで良い……。


「バーカ、反省しなさいっ!」

 イ〜ッと、舌を突き出し、チビの方へと急いだ。


 シルフィードは、熱くなった頬をさすり、そこに触れた手の平を眺めた。

 泥水が目に染みていたいし、口の中は苦い……、人の身体とは、不便なものだ。


 前髪を整え、風を呼ぶ。


 風は、シルフィードの身体についた泥水を乾かし、その水分を運んでいく、柔らかく、優しい、そよ風は、大地を濡らし溢れた水を運ぶ。


 風は、大気で水を包み込み、青い空の深き底、天空の頂上にいざなうように、運んでいった。


「ご主人、泣いたの?」

 そばに来た俺の気配を感じたのか、満身創痍のチビの方から、声を掛けてくれた。


 獣人の姿をした彼女の白銀の長い尾が水溜りに浸かっている。


 小さな彼女を抱き抱えて、お姫様抱っこをした。


 そういえば、こいつを抱くのは、久しぶりだ……


 こっちに来てからは、初めてか……、


 失った愛犬の名を持つ、こいつは、本当のあいつとは違うかもしれない……、


 チビの頭に、頬を付ける。


「ええ……」

 返事をしながら、彼女の体重と温もりを感じ、あの感覚が、蘇ってくる。


「ごめんなさい……」

 謝るこいつが、更に、後押しをし、


 それは、蘇ってしまった。


 愛犬が死んだ時の温もりを……抱えた時の体重を……


「本当ね……」

 声を掛け、抱きしめ、彼女の身体に顔を埋める。


 数日前から、具合が悪かった愛犬は、容態を診せた動物病院に入院した。


 初めての入院だ。


 不安だったが、午後には退院と言う言葉を聞き、大したことないと安心していた。


 午後になっても、病院からの連絡は無く、それでも早く会いたいと、スマホを握り、車中で待機していた。


 連絡があり、彼女を迎かいに行くと、元気に尻尾を振っていた。


「飼い主と一緒にいる事も、治療だよ」

 先生は、そう、仰った。


 特に、注意点は無く、「いつも通りにしてくれ」と、何度も先生は注意した。


 いつも通り、散歩をし、遊び、戯れて、あの時が、来た。


 その時を思い出し、涙となって溢れた感情に、


「ごめん……」

 とチビが謝った。


「ええ、シルフィードを守ってくれて、ありがとう」

 笑顔を作り、彼女の頬に、顔を当て、くしゃくしゃの笑顔を作った。


 夜中に愛犬の容態は、急変した、直前まで、彼女は笑っていたと思う。


 そう、思いたい。


 突然、床で息をしなくなった彼女の身体は、それでも暖かく、


 そう、とても暖かく、腹は、動き、息をしているように見えた。


 とてもとても、不安になり、


 たまらず、


 繋がる筈もない、病院に電話を掛けた。



 その電話は、繋がった。



 日付が変わった後なのに、繋がったものを頼りに、彼女を抱え、


 急いだ、


 その時の世界に景色はなどはなく、街灯と信号だけが頼りだった。


 あかりの漏れ出していない、建物の閉ざされた入り口を叩き、


 彼女を診せた時に、告げられた。


 先生は言い放つ、


 こんなにも、暖かく、柔らかい彼女が死んでいると、



 医者が、嘘をいう。



 その冗談に、笑えず、泣いた。


 その時まで、人前で泣いたことは無かった。


 暖かい日差しが、部屋に差し込み、


 彼女の身体が、硬く冷たく、もう動かないだと実感した。


「よく頑張ったわね」

 よほど疲れたのか、チビは、腕の中で眠ってしまったようだ。


 フェンリルの化身、チビを抱えながら、馬車を目指した。


 レティーシアとクララが、心配そうに、俺を見ていた。


「なんで、泣いている?」

 エドワードが、肩に手を置いてきた。


「嬉しいからよ」

 俺は、満面の笑みで応えた。


 たとえ、偽物だとしても、チビにまた出会えた。


 そして、この世界でも、大切な人ができた。


 それだけで、幸せだ。


「そうか……ジークは、少し用事があるから、馬車で待っていてくれ」

 エドワードは、そう言うと、シルフィードのもとへと、急いでいる。


 ジーク?


「様」を付けろよ、バーカッ!


 と思い、ベソを拭き馬車へと急いだ。

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