社外活動につき。

古野あき

第1話 この電車、遅延につき。

いつもと何ら変わりのない朝。いつもと同じ時間に起き、洗面台に行き鏡を見ると寝ぼけた顔が目に写った。その寝ぼけた顔を睨み付けながら歯を磨いて髭を剃る。

いつもながら冴えない顔だ。

そんなことを考えながら、家を出て駅に向かった。定刻通りに到着した電車。前から2番目の車両に乗り、運よく空いていた席に座る。暫くユラユラと気持ちの良い揺れを感じているとウトウトと気持ちの良い睡魔に襲われた。いつものごとく、その睡魔に身を任せて夢を見ていたときだった。

突然の大きな揺れと他の乗客のざわめきで夢から現実へと引き戻された。

いい夢を見ていたのに……

眉根を寄せながら目蓋を上げると、どうやら電車が急停車したようだった。

ゴンッガスンッガンッガンッ

耳障りな物音が響き渡り、乗客が一斉にスピーカーに注目した。

「あーあー!おい!聞こえてるか!この電車は俺がジャックした!」

およそ車掌とは思えないほどのガラガラ声に乱暴な言葉遣いの冗談みたいな車内アナウンス。

今日は10月5日だし、どう考えてもハロウィンはまだ早い。それじゃあ、本当に電車ジャックだったりする、のか?……日本でも体験できるんだなあ。

呑気に考えてると続いてアナウンスとは言い難いアナウンスが流れてくる。

「これから各車両回るからな!勝手なことすんなよ!」

声に似合わず丁寧な性格をしているらしい。

周りは、ジャック犯の言葉のせいで混乱の悲鳴とざわめきで溢れ返っている。

電車が止まってしまったのは仕方がないとして、遅延証明書は出るのかがとても気になった。少しでも遅れれば上司から弄られる。俺の平穏な毎日が……まあ、そんなことを考えていても仕方がない。

スマホを取り出して上司にラインを送る。

『申し訳ありません。電車ジャックに遭遇してしまい、出社が遅れてしまいそうです。解決次第すぐに会社に向かいます。』

ピコンッ

『遅延証明書は貰ってこいよ。気を付けてな。』

ふむ、薄情な上司だ。どうせ冗談だと思ってるんだろうな。俺もこんなのが送られてきたら冗談だと思う。……残りの時間は、寝とこうか。

こうして俺は上司からの返信を確認した後、目蓋を閉じた。心地よい揺れはないが寝起きの頭はまだ寝ていたようで、すぐに夢の中に戻ることができそうだった……


暫くして聞き覚えのあるガラガラ声が聞こえてきた。よくよく聞くと、どうやら耳の直ぐ傍で叫ばれているらしい。

「……い!おい!起きろ!なんで、この状況で寝れるんだ!」

ふむ……確かにそうだな。

しふしぶ目を開くと大柄の髭面男が目の前で仁王立ちをしていた。クマのようだ!

「立て!」

「勘弁してくださいよ……」

しぶしぶ立つと肩をグワシッと掴まれた。いきなりの事で全身が強張る。

なにごとか?!

彼はニヤリと口角を上げた。

「俺はジャック犯だ!喜べ。お前を人質にしてやろう!」

「は?」

いやいやいや。まてまてまて。なにを言っているんだコイツは。ジャック犯?名乗るの?!丁寧か!いや違った!喜ぶはずないだろう!つか、間近で見ると本当に良い図体してんな。眼光は鋭いし、隙は見えないし、腕の太さなんて俺と一回りは違う。軍人か何かなの?え?なにか気を反らせるものとかないの、ここ?

「まっ待ってください」

「待つわけないだろう!」

ジャック犯はガッハッハと豪快に笑った。

はい。間髪入れず拒否が返ってきたー。積んだー。俺の平穏な人生が積んだー。なにが面白いんすか、なんもおもんねぇわ。

ふと極悪顔で笑っているジャック犯の後ろで黒い影が動いたのが見えた。なにか楕円形の物を振り上げている。その振り上げられた物体が、真っ直ぐジャック犯の後頭部に振り下ろされた。

スッコーーーーーーン!

小気味の良い音が、静まり返っていた車内に響いた。

さてはコイツ、頭スッカラカンだな?めちゃくちゃ爽快な音出たな。

「いってぇ!」

ジャック犯は痛みに仰け反り、手が肩から離れた。

今だ!

柔道の要領よろしく腰を落とし、右手を前に突き出す。

手の平でジャック犯の鳩尾を突いた。

「なにしやがっ……グアッ?!」

チッ外した。

目の前でえずきながら手を振りかざそうとするジャック犯の後ろに回り込み、自分のネクタイを外すと後ろ手に縛り上げた。

これで、身動きは取れない筈だ。

ジャック犯を仰向きにさせると止めの一発、鳩尾(今度は確実)を手の平で突いた。

チーン……

そんな擬音語が似合うほど完璧な気絶。口から出る魂が見えそうだ。

「ふぅ……」

顔を上げると、ジャック犯の後頭部に綺麗なフルスイングを入れたお姉さんと目が合った。振り上げた物はピンヒールだったようだ。そりゃ痛い。

「さっきはありがとうございました。見事なスイングでした。お陰で助かりました」

手を彼女に差出すと、彼女はニッコリと笑った。

「貴方の突きも見事でした。助けになれたようで良かったです」

お互いの健闘を称え合う勝利の握手に、周りからは歓声があがった……


「……って言うことがあったんですよ」

目の前に座っている上司に遅延証明書を提出すると、上司は呆れ顔でそれを受け取った。

「あーまあ、大変だったな。それじゃあ、通常の業務に戻ってくれ」

「はい。承知しましたー」

疑いの目を向ける上司を尻目に自分のデスクを目指す。心なしか同僚からは哀れみの目を向けられている気がする。

うん。まあ、信じる信じないは勝手だし。うん。

デスクに戻って目の前に置いてある卓上鏡を見ると、いつもの寝ぼけ顔と目があった。

ああ、冴えない顔だな。

その時、鞄の中のスマホが鳴った。

『佐伯さん、先ほどはどうも。

 今度の週末、飲みに行きませんか?

 黒桂』

宛名は綺麗なフルスイングのお姉さんからだった。

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