決戦の時

第22話 武力の介入

 夕暮れの気持ちの良い放課後の時間。

 ミンティシアは優に頼まれた買い物の帰り道、木陰のベンチに腰掛けて休んでいた。

 ちょうど良さそうなベンチが目に入ったので、ちょっと休んで天使の使命のことを考えようと思ったのだ。

 天使が地上に来た目的。それは愛を忘れつつあると噂されている人類に愛を伝えることなのだが……


「正樹さんは初恋の人と再会できた。なのになぜ彼はすぐに愛を取り戻さないんでしょうか」


 天界の学校で見た教材のビデオによると、愛する者同士はもっとラブラブになるはずなのだ。

 右の人差し指を正樹、左の人差し指を灯花に見立てて、視界の両端で立ててみる。

 右の人差し指と左の人差し指を近づけていって……出会う。


「灯花さん! 俺の初恋の人!」

「正樹さん! わたしにとっても初恋でした!」

「「愛! がし!」」

「うーん……」


 ミンティシアは両手を下ろして考えてしまう。


「正樹さんはどうして愛を蘇らせないんでしょうか……」


 そうして思考にふけってうなだれていると、不意に立ち止まった少女が声を掛けてきた。


「ミンティシア、いつも元気なあんたともあろう者が何を考えているのよ」

「キトラ」


 ミンティシアは顔を上げる。

 そこで澄ました顔をして日傘を刺して立っている金髪の少女は同じ天使のキトラ・ハジマリオンだった。

 今はミンティシアと同じように翼は隠して地上で人間のように活動している。

 あまり親しくはないが、天使の学校では委員長のような頼れる存在感のあった彼女に、ミンティシアは事情を話すことにした。


「正樹さんが初恋の人と再会したのに、愛をしないんです」

「まあ、初恋は実らないっていうものね」

「実らないんですか!?」


 ミンティシアはショックを受けてしまう。それならどうすればいいんだろうか。灯花をあきらめてやはり優にワンチャンス賭けるしかないのだろうか。

 考えている間に、キトラは落ち着いた動作で隣に座った。


「まあ、なるようにしかならないんじゃない? すぐに何とか出来るようなら、天界で大きな問題になんてならないって」

「そうでしょうか」


 ミンティシアは考える。キトラの瞳がじっと隣から見てきて、気づいたミンティシアは少し驚いて目を見開いてしまった。


「な……キトラ……?」

「あんた少し変わった?」

「何がですか?」

「あたしに敬語だし。性格が丸くなったような」

「あたしは何も変わってないよ!」


 ミンティシアは元気に両手をブンブンと振って抗議した。


「敬語なのは優さんに教えられてこんな感じで接するようになったから自然と身に付いてしまっただけで……」

「だから腕を振ったら危ないって」


 キトラは笑いながら立ち上がり、夕日を見つめた。


「人間のことなんてよく分からないわよね。愛を知らないといけないのはあたし達もかもね」

「あたし達の愛……」


 ミンティシアは拳をぎゅっと握って考えてしまう。意識すると何故か少し恥ずかしくなってしまった。


「まあ、時間を指定されてるわけじゃないんだし、あんたやカオンに先を越されても癪だしさ。お互いにゆっくりやっていきましょ。元気にね」

「はい、キトラも元気で」


 同じ使命を持っている者同士お互いに声を交わしあい、キトラは手を振って夕日の道に去っていった。


「焦らずにゆっくりと……よし。あたし達の愛を探そう」


 ミンティシアは決意を新たにし、再び愛を見つけることにした。




 休日はすぐに訪れた。

 カオンがお世話になっている家で朝食のパンを食べていると、向かいの席でコーヒーを飲んでいた譲治が声を掛けてきた。


「今日は出かけんべ」

「みんなとですか?」


 今日はよく晴れた絶好のお出かけ日和だ。

 カオンはまたあの楽しい人達と会えるのだろうかと思ったが、譲治は否定した。


「いや、お前とだけ行く」

「え……」


 二人で行って何をするのだろうか。カオンにはすぐに思いつかなかった。

 譲治には何か考えがあるのだろうか。


「たまには二人で出かけるのもいいだろう。支度しな」

「はい」


 もしかしたら、また新しい仲間を増やしに行くのかもしれない。

 カオンはそう期待して準備することにした。




 朝から正樹の家に電話が掛かってきた。

 こんな朝早くから誰だろう。今日は休日だから優も家に来ていない。

 面倒に思いながら電話を取った。

 出てみると相手が灯花で、正樹はびっくりして飛びあがりそうになってしまった。

 そう言えば休日に会おうと約束していた。電話を掛けてくるとは思っていなかったが。

 電話の向こうから灯花の懐かしい優しい声がする。


「正樹さん、あの公園で会いませんか? 今から」

「はい、喜んで」


 正樹も会いたいと思っていたのだ。断る理由なんて何も無かった。

 早速出かける準備をした。

 どこも変な所が無いかチェックして、過剰に意識していると思われない程度に身だしなみを整える。


「灯花さん、俺の番号知ってたんだな」


 そんなどうでもいいことを思いながら、正樹の胸は嬉しさに高鳴っていた。




 灯花は公園のベンチで電話を掛け終え、悪魔ならほとんどみんなが持っているデビルスマホを仕舞って、再び鞄から資料を取り出して見た。

 朝の公園はまだ静かだ。昼になれば賑やかになってくるだろう。


「この資料にも役立つ情報が載っているものなんですね」


 担当する悪魔それぞれに配られた資料だ。灯花の物には正樹の情報が載っている。

 正樹の電話番号はこの資料に載っていたのだ。電話が通じて良かったと思いながら、指で文字をなぞった。

 灯花は何回か読んだその資料に再び目を通していく。正樹の情報が載っている資料を。


「相沢正樹か……」


 何だか不思議な気分だった。

 灯花の知らない彼の事がこの資料にはいろいろ載っている。読みながらため息を吐いてしまう。

 ゲーム感覚でターゲットを落とせれば何でもいいと思っていたが……

 今の灯花はこの少年のことをもっと知りたいと思うようになっていた。




 正樹が灯花に会いに行くことを告げると、リビングでくつろいで休日の朝のテレビを見ていたミンティシアは大層驚いた様子で目を見開いていた。


「正樹さんはやっぱり優さんより灯花さんを選ぶんですか? 幼馴染より初恋の人を」

「いや、選ぶとかそういう話じゃないから。ちょっと会いに行くだけだから」

「でも、愛を育みに行くんですよね?」

「いや、育まないから。会いに行くだけだって言ってるだろ」

「…………」


 正樹は自分が灯花とそんな関係になれるなんて思ってはいない。ミンティシアは考え、キトラが焦らずにゆっくりとやって行こうと言っていたことを思い出して結論を出すことにした。

 今日は会いに行くだけ。すぐに愛に飛びつく必要は無いかと。


「分かりました。頑張ってきてください!」

「ああ、ここから応援しててくれ。お前はゆっくりとこのままテレビを見ててくれていいからな」

「はい!」


 座ったままの天使に見送られ、正樹はリビングを出て玄関に向かう。

 天使は本当に気にしていないようで、ミンティシアとそんな関係になれることは無いのかなと正樹はちょっと残念に思ってしまう。


「あの子は天使だぞ。そんなこと、期待してるわけじゃないから」


 すぐに場違いで邪な思考を振り切って玄関を出ていくと、ちょうど隣の家から来た優が声を掛けてきた。


「お兄ちゃんどこか行くの?」

「ああ、灯花さんと公園で会う約束をしたんだ。行ってくるから、ミンティシアのことを頼むな」

「へ……?」


 優はもう灯花と打ち解けるようになった。だから、彼女に会いに行くと言っても問題は無いと正樹は思っていた。

 優は沈黙してしまう。今の正樹には優に構っている余裕は無かった。灯花が待っている。

 憧れの記憶を逃がさないように。正樹は沈黙する優を置いて公園へと急いだ。

 優は呆然と見送り、


「え……え……ミンティシアーーーー!」


 恋の協力者を呼んだのだった。




 カオンは朝の道路を譲治の後について歩いていく。

 時折、車が通り過ぎる車道の横の歩道だ。

 少し歩いて譲治が振り返って声を掛けてきた。


「もっとこっち来いよ」

「はい」


 カオンは緊張しながら譲治との距離を詰めた。二人で歩くのは久しぶりだった。再び歩いていく彼の後をついていく。

 ふと譲治が歩きながら声を掛けてきた。


「お前といると静かで落ち着くわ」

「そうですか?」

「あいつら、煩かっただろ? ギャーギャー喚いて好き放題しやがってよ。だから女は嫌なんだ」

「わたしは好きでしたよ。譲治さんも楽しそうでした」

「俺が楽しそうだったか。お前が誘ってくれたからな。彼女作れってよ」

「はい、今日も作るんですか?」


 訊ねると譲治が不意に立ち止まった。カオンも立ち止まった。どうしたんだろうと思って見ていると、彼が近づいてきて凄い目で見下ろしてきた。

 カオンのすでに見慣れた目だが、いつもより険しい気がした。


「お前が俺のよお」

「はい」


 言いかけて言葉を呑み込んでしまう。譲治は言葉を探しているようだ。

 どう話していいか分からずに迷ってしまうことは話下手なカオンにも経験があることなので、黙って彼の言葉を待った。

 譲治はあれこれ迷った末に


「今日は作らねえよ! お前は黙って俺の後についてきていればいいんだ!」


 踵を返してさっさと歩き出してしまった。さっきより早足で。


「は……はい!」


 何か気分を害してしまったのだろうか。

 カオンは慌てて置いていかれないように彼の後を追いかけた。




 その頃、天界ではある決定がされていた。

 天使長は神殿の謁見の間で、驚いて神に問いただしていた。


「神よ、本気なのですか? ガルーダを地上に送るというのは!」

「うむ」


 神は厳かに頷いた。事態が事態だけにもう面倒な横文字は使っていなかった。

 厳かに言う。


「悪魔が地上で活動を始めたのだ。おそらく我らの動きに対しての物だろう。奴らの動きがこれほど早いとは予想外だった。愛が育つのを待てておればな……今の愛を忘れつつある人類に悪魔に対抗する術は無いだろう。即急に悪魔を排除せねばならん」

「しかし、ガルーダは天界を守護する王者の鳥。その力は強大で、地上に解き放てば人間界をも破壊しかねません」

「もう決まったことなのじゃ」


 神は神殿の外を見る。天使長も見る。

 巨大な天空を守護する王者の鳥が、その壮麗な姿を見せて、地上に繋がるゲートへと羽ばたいていく。

 見送って神は呟いた。


「人間が悪魔に負けぬ強い愛を持てておればな」

「天使達よ、どうか無事で」


 天使長は祈り、せめてもの助けと天使達に避難を呼びかけるメールを送ることにした。




 魔王の配下の情報部は優秀だ。天界がガルーダを送る決定をしたという報告はすぐに魔界の城にいる魔王の耳に入った。


「うむむ、天界め。我が悪魔達を力で排除するつもりか!」


 魔王は怒っていた。謁見の広間で燃える炎が魔王の怒りで激しく揺れた。

 天界と魔界の間では、人間界に大きな影響を及ぼすような介入は控えるような暗黙の了解があるのだ。

 今まで天使も悪魔も人知れず活動をしてきた。

 しかし、天界はガルーダを投入してきた。これは過剰な武力の介入だ。

 悪魔神官長は魔王に訊ねた。


「魔王様、いかがいたしましょう」


 魔王の決断は早かった。


「ケルベロスを送れ! 速やかに向こうの世界へと渡り、先に天使達を始末させるのだ!」

「心得ました」


 命令はすぐに悪魔神官長の傍にあった伝声管で、門の前で番犬をしているケルベロスの耳に届いた。


「御意に」


 ケルベロスは古くから魔王に仕えている忠実なる下僕だ。

 その実力も魔王から信頼されて門の守護を任されるだけあって、かなり大きな物だ。

 天界のガルーダと戦っても勝るとも劣らないだろう。

 彼はすぐに立ち上がって人間界へと繋がる門の中へと飛びこんでいった。


 人間の世界で、天界と魔界の前面対決が始まろうとしていた。

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