第15話 微睡の中で

 午後の授業は眠たい。

 それが午前中に体育があって、昼食を食べた直後の授業なら尚更だ。

 しかも、科目が眠たくなる教科ナンバー1の古典だった。


 老いた教師のよぼよぼした古典への誘いが睡魔を呼び寄せ、教室は眠気に包まれていた。

 クラスのみんなが眠そうにし、眠さに耐えようとする者もいれば、すでに眠っている者もいた。


「春眠あかつきのー」


 老教師ののんびりした眠たい声がする。

 正樹は何とか正気を保っていた。隣の席ではミンティシアが眠そうにうつらうつらとしていた。

 眠たいのなら素直に寝ればいいのに。大丈夫かなと思って見ていたら、ミンティシアはいきなり立ち上がった。

 席を立つ勢いのある音は、眠たいオーラに包まれた教室で非常に大きな音となって響いた。

 はっと気づいたクラスのみんなが驚いて見る中で、天使の少女は挙手をして大胆な宣言をした。


「先生! あたしに提案があります!」

「ほう、何かね。みっちゃんさん」


 先生にはミンティシアという名が呼びにくいのか、もうあだ名が流通しているのか、彼女をみっちゃんと呼ぶ人は多かった。

 クラスのみんなが驚いてざわざわしている中、老教師の態度は落ち着いたものだった。

 ミンティシアは臆せずに言った。


「こんな退屈な授業は止めて、愛を伝える授業を行いましょう!」

「ほう、君はわしに古典を止めろというのかい?」


 老教師は静かに教科書を教壇に置いた。細く閉じられた厚いまぶたの下の視線はよく分からない。ミンティシアは堂々と自分の意見を述べた。


「はい! 今地上では愛が失われつつあります! こんな勉強をしている場合ではないと思います!」

「舐めるんじゃないわ! 小娘がああああああ!!」


 老教師は吠えた。闘気の乗った風圧に教室が揺れる。ミンティシアの髪とスカートもバサバサと揺れた。

 激しく吹き荒れる風に、ミンティシアは思わず目を閉じてしまった。

 


 急に辺りが静かになった。

 ミンティシアはゆっくりと目を開ける。風が和らいでいき、今、止まった。

 静寂の中、ミンティシアは一気に目を見開いた。

 宇宙にいた。ミンティシアは宇宙にいた!

 銀河が広がっていた……


 どこからともなく不思議な声がする……


『感じるかい? これが宇宙だ!』

「宇宙!!」


 驚くミンティシアの前に老教師が姿を現した。いや、彼はもうただの老教師では無かった。


 菩薩だった!


「あなたは仏様だったのですか!?」

「いいや、違う」


 老教師は静かに首を横に振る。そして、カッと目を開いた。

 光が溢れ、オーラが広がった。宇宙が歴史の歩みを刻み始めた。

 途方もない気の遠くなるような時の宇宙の中で、彼は宣言する。


「わしこそ古典を極めし者じゃ!!」

「古典を極めし者!!」

「お前もこの領界まで上がってきたければ、古典を勉強することじゃな。わしに愛を説くならそれからじゃ!!」


 一喝。再び風が吹くと、ミンティシアは教室に戻っていた。

 老教師の授業が続いていた。

 ミンティシアは真剣な目になって、ペンを手に取った。


「分かりました、老師。古典、勉強させていただきます!」


 隣の席で見ていて、正樹はミンティシアは熱心に勉強をしているなと思っただけだった。

 一瞬ピリッとした教室もすぐにまた眠気に包まれて、誰も銀河が広がっていたことなど知る由も無かった。

 ミンティシアがコツコツとペンを取る音が、目を閉じてうとうとし始めた正樹にとっては耳に心地のいいリズムだった。




 いつの間にか古典の授業が終わった。老教師がよぼよぼと退室し、クラスメイト達が長い眠りから覚めた戦士達のように背伸びをして教室には活気が戻ってきた。

 生徒達の談笑で賑やかな休み時間、ミンティシアは満足気だった。


「古典……良い授業でしたね!」

「そうだね。ふわあああ」


 どうでもいいと思う正樹は欠伸をしながら返事をした。




 午後の授業はまだ続いていく。次の授業は英語だった。

 いかにも英才教育が得意そうなきつい眼鏡をした女教師が教壇に立つ。

 教師というよりは教官といった方が似合う風格を持っていた。

 ミンティシアは真面目な顔をして、正樹の隣の席で授業を受けていた。

 さて、日本語が得意な天使の英語力はどれぐらいか。正樹は教えられる物ならすぐに教える気構えで隣の天使の少女の様子を伺った。

 転校生は目立つからだろうか、ミンティシアはすぐに当てられた。


「じゃあ、次の文章を。ミス・みっちゃん」

「イエス・マム」

「ティーチャーと呼びなさい」

「イエス・ティーチャー」


 当てられてミンティシアは起立して本を読み始める。


「Save the world, Battle of the last enemy final conflict……」


 自己紹介では外国から来たと言っていたが、天界は外国に含むのだろうか。

 日本語を普通に話す彼女は、英語もわりと上手かった。良い発音をしていた。


「……Splatoon」

「はい、もういいですよ」


 当てられた箇所を読み終わって、ミンティシアは席に付いた。

 正樹は前から気になっていたことを訊いてみた。


「ミンティシアって日本語も英語も上手いけど。天使の学校で習ってたの?」

「Yes.My school……」

「いや、もう英語はいいから」


 後で聞いた話ではミンティシアの所属する天界の地域は日本を担当しているので、勉強の内容も日本の学校に合わせているらしかった。

 その方が人類を導くのに都合が良いのだとか。

 確かに文化や価値観を共有した方が、交流には便利なのかもしれない。

 現にこうして正樹は今、ミンティシアと普通に話せている。

 彼女も普通に授業を受けて、普通にクラスの一員として馴染んでいた。


 チャイムが鳴る。

 そんなこんなで午後の授業の時間は過ぎていった。

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