第6話 幼い日の思い出
今でこそ正樹のことをお兄ちゃんと呼んで慕ってくる優だが、昔はこんな大人しい性格では無かった。
正樹は幼い頃のことを思い出す。
あれはまだ小学校の低学年だった頃のことだっただろうか。
正樹と優、お互いの母親が家の前で談笑している。ご近所で隣通し、仲の良いいつもの光景だ。こうなると親の話はいつ終わるか分からない。
今日はぽかぽかとした陽気で日差しの良い日だ。青空が広がって、絶好のお出かけ日和。正樹は遊びに行くことにした。
親の傍で退屈そうに立っていた優が、正樹の姿を見つけるなり声を掛けてきた。
「正樹―、遊ぼ」
「お兄ちゃんと呼びなさい。年上の人を呼び捨てで呼ぶ物じゃありません」
そう優の母親が注意するのもお構いなしだ。
正樹は別に優に呼び捨てで呼ばれるのは嫌では無かったが。
「良いよ。じゃあ、公園に行こうか」
「おう、公園に行こう!」
優が元気に腕を振り上げる。昔の優は今よりずっとやんちゃで男の子みたいだった。
二人で道路を歩いていって公園に到着。
近所の公園はそこそこ遊ぶ子供達や親子連れで賑わっている。
「何して遊ぼっか」
正樹が訊ねると、優は当然決めていたといった態度で答えた。
「お馬さんごっこしよ。正樹、馬になってよ」
「え? また? 昨日もやったじゃない」
「あたしは今日もやりたいの。正樹の馬、面白いんだもの」
「僕はあんまり好きじゃないんだけど」
「あたしは好きなの。男がつべこべ言わない。ほら早く四つん這いになってよ」
「仕方ないなあ」
優は言い始めたら聞かない性格だ。分かっていたので、正樹は仕方なく優の前で四つん這いになった。
優が乗ってくる。女の子のくせに体重が重かった。優は上機嫌で正樹の肩に手を置いて両足を振った。
「ほら、お馬さんゴー」
「もう、これ限りだからね」
「馬はヒヒーンでしょ」
「ヒヒーン」
正樹が何を言っても優は聞く耳を持たない。背中から命令するのが当然の君主のように生意気に言ってくる。
「もっと早く走ってよ」
「振り落とされんなよ」
仕方なく正樹は優のお馬さんになって公園内を走り回って、遊具の上を渡ったり、乗り越えたりもして駆けていくのだった。
次の日は喧嘩した。昨日と同じ公園で優は不機嫌に叫んでいた。
「もうどうしてあたしの馬になってくれないのよ!」
「お馬さんはもう嫌だって言ったじゃないか!」
いい加減正樹も切れてきていた。でも、優は聞く耳を持たない。我儘を抑えることをしない。
「あたしは正樹の馬が好きなのに!」
「僕は優なんて嫌いだよ!」
言ってしまった。優の瞳に涙が込み上げてきた。優を泣かせたくなんて無かったのに。正樹は後悔する。
「ひぐっひぐっ、えーーーん!」
優は走り去っていった。正樹は追いかけようとして、
「知るもんか! 優なんか勝手にすればいいんだ!」
止めた。不機嫌に鼻息を鳴らして、近くのベンチに向かい、荒っぽく座った。
空を見上げる。空はまだまだ青くて、まだまだ遊ぶ時間はたっぷりあるように思えた。
「優、大丈夫かな」
そう呟いた時だった。すぐ隣から声を掛けられたのは。
「あらあら、彼女と喧嘩をしてしまったんですね」
優のことで頭が一杯だった正樹は全く他人を意識していなかった。いくら公園に人がいても優と遊ぶだけだったのでただの背景やモブのように気にしたことが無かった。
まさか人から話しかけられるなんて思っていなかったので、正樹はびっくりして横を見た。
花が舞ったのかと思った。それぐらい綺麗で上品な少女がすぐ隣に座っていた。
どこかのお嬢様だろうか。そんな印象を受けた。
優しい微笑みを浮かべる彼女は正樹と同い年ぐらいなのに、落ち着いていて、とても大人びて見えた。
がさつな優とは全くタイプの違う美少女の出現に、正樹の心臓は跳ね上がった。急に自分のしていたことが幼稚で恥ずかしい物に思えた。
「すみません、お見苦しいところをお見せして」
「いえ、いつも楽しそうにしているなと思って見てましたよ」
「いつも見てたんですか?」
「はい、この公園に来た時には。よく見えていたので。元気の良いお馬さんでしたね」
「はは……」
正樹は顔を赤くして俯いてしまう。あんな姿を、この少女にいつも見られていたなんてあまりにも恥ずかしすぎた。
花のように綺麗な少女はじっと正樹の顔を見つめたまま話掛けてきた。
「わたし、灯花っていいます。この町には父の仕事でついてきたんです。あなたは?」
「僕は正樹です。この町で暮らしてます。あいつは優。よろしく……灯花お姉ちゃん」
「同い年ぐらいだと思いますよ」
「そうですよね。はは……」
今までずっと優とぐらいしか話して来なかった正樹にとって、落ち着いた彼女は随分とお姉さんのように思えた。優は一つ年下とはいえ、同い年となるとこうなるのだろうか。
知らない少女と話すのはとても新鮮な気分だった。
少女はどんな話でも優しい微笑みを浮かべて聞いてくれて、正樹も楽しい気分になって時間を忘れて話すことが出来た。
優と喧嘩をしていたことなんてすっかり忘れてしまって夢中になってしまった。
「その時、優の奴がさ」
「その彼女が来たみたいですよ」
「え……?」
灯花に言われて振り返ると、すぐ傍にむすっとした顔をした優が立っていた。綺麗な顔をした灯花に比べて、何て醜い顔をしているんだろうと正樹は思った。
優は吠えた。
「何よ、正樹!! その女なんなのよ!!!」
「よせよ、優! 灯花さんと喧嘩すんな!!」
今にも掴み掛かろうとする優を正樹は必死で食い止めた。
「灯花さん!? 灯花さんって、さん付け!? あたしは呼び捨てなのに!」
「当たり前だろ! お前はお前なんだから!」
「むきー!」
優はまるで猿のように歯をむき出しにする。とても灯花と同じ女性とは思えなかった。
ずっと公園で見ていた灯花にとって二人のじゃれ合いなどいつもの光景なのだろう。
落ち着いた動作で立ち上がった。
「それじゃあ、彼女さんが来たことだし。邪魔者は退散しますね」
「彼女さん……」
優の勢いが止んだ。顔を赤くして俯いてしまった。
それを可愛い妹でも見るかのように見つめて、灯花は微笑みを浮かべて踵を返した。立ち去ろうとする彼女に正樹は思わず叫んでいた。
「あの、灯花さん!」
「なんですか? 正樹さん」
「えっと……」
振り返る彼女の微笑みに、正樹は何とか言葉を探す。そして、やっと言葉を見つけた。
変わらない明日が普通に来る子供にとってごく他愛のない言葉だ。
「また……会えますか?」
「はい、また会いましょう」
彼女はにっこりと微笑んで去っていく。
夕日に照らされる後ろ姿を忘れないように。見送る正樹の後ろで優がぽつりと呟いた。
「良い人だったね……」
「うん……」
正樹はまた明日になればすぐに彼女と再会できると信じていた。
だが、それっきり彼女が姿を現すことは無かった。
「懐かしいことを思い出してしまったな……」
あの時はなぜ再会できなかったのか分からなかったが、きっと彼女の言っていた父の用事というのが終わったのだろう。
灯花は一時的に父の仕事でこの町に来ただけだと言っていた。
彼女は今でも父の仕事について、どこかの町にいるのだろうか。
今頃は正樹と同じ高校生活を送っていることだろう。
あの頃は会いたかったが、今では良い思い出だ。
正樹はそっと窓の外を見る。
綺麗で優しい彼女のことだから、きっともう学校で彼氏ぐらい作っていることだろう。その想像に寂しさを覚えた。
優が戻ってくる。賑やかな二人分の足音を立てて、天使と一緒に。
「お兄ちゃん、もう大丈夫。この子とはちゃんと話が付いたからね!」
「今後ともお世話になります!」
はきはきと話す優の隣で、ミンティシアはぴょこんと元気に頭を下げていた。
その仲の良い二人の様子がかつての優と自分に被って見えた。
「ああ、こちらこそよろしく」
正樹は快く天使を自称するおかしな少女を迎えることが出来たのだった。
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