天使は愛を囁く

けろよん

天使が来た

第1話 プロローグ

 この世に天使は本当に実在する。

 あまり現代では信じている人はいないが、古くから天よりやってきた者達の伝承が世界には様々にあるように、天使は本当にいるのだ。

 ただ気づかない人々が多いだけで。この地上より遥かなる高みにある空、青い天空に浮かぶ雲の上に天使達の暮らしている世界がある。

 背に白い翼を生やした天使達がそこから地上の人々を見守っている。

 天使はあまり人間との関わりを大っぴらに喧伝したりはしない。大騒ぎになっては地上にとっても天界にとってもお互いに困るからだ。悲劇はどちらも望まない。

 では、その天使達の仕事とは何だろうか。天使は何も用もなく地上に来るわけではない。


 それは人間に愛を伝えることだ。


 古来より天使達は地上に舞い降りては様々に人間と関わってきた。

 その活動が広く世間に知られることはなかったが、その伝承は各地の文献や遺跡に様々に残っている。

 そんな天使達のいる天界では今、近年地上の人々に広がりつつあると噂されているある問題が話し合われていた。

 天使達の感じている予感が現実の物となる日がやってくる。

 再び天界が地上に関与する。その事態の必要性が天界の偉い神々の間で議論されていた。



 天界が話し合っているその頃、地上では。

 平和でまったりとした町の世界だった。空は朝から青く澄み渡り、そこに天界の危惧するような問題など何も起こっていないように思えた。

 ある一般家庭の朝食の席。ある少年にとっても特に問題ではないよくある事を両親が話しだしていた。


「正樹、父さん達はまたしばらく旅に出ることになった」

「天空世界にまつわる珍しい遺跡が発見されたの。その調査団に同行できることになったのよ」

「そうなんだ。良かったね」


 相沢正樹の両親は考古学者をやっている。その縁で結婚した二人が遺跡を調査するために揃って遠くまで出かけて家を留守にするのはよくあることなので、正樹にとってはもう慣れたどうでもいいことだった。

 それでも丁寧に話してくれるのは両親の人の良さだろうか。その血を引く正樹も丁寧に受け取っていた。

 遺跡にまつわるのが天空世界だろうが宇宙人だろうが古代文明だろうが、それもまたどうでも良かった。両親が趣味を仕事にして楽しそうにしているなら何よりだ。

 正樹自身は両親の仕事にはたいして関心が無かった。学生にとっては学校や勉強の方が大切だと思う少年だった。

 それを大人びていると評価する事も出来るだろうが、ドライすぎるのではと見る面もある。正樹にとっては物心が付いた頃からこうなのだからこうだとしか思えなかった。

 仕事に関心を持つ暇があったらテストに出ることを覚えた有意義だと思う。そんな少年だった。


「何か困ったことがあったら隣の森乃さんに言うんだぞ。話はしておくからな」

「うん」

「母さん達は必ず天空遺跡の謎を解き明かしてくるからね」

「うん、いってらっしゃい。頑張ってね」


 そして、両親は出かけていった。いつものように。

 またしばらくは会えなくなるだろうが寂しくはない。また隣の家から賑やかな幼馴染が来るだろうから。

 幼い頃から同じ生活をしているとこれが普通なんだと思える。

 正樹は玄関で両親の姿が見えなくなるまで見送り、青い空を見上げた。


「天空の世界か。そんなものが本当にあるのかな」


 どうでもいいことだった。空はいつものように平凡に広がっている。正樹は両親ほど未知の文化や研究が好きなわけじゃない。

 両親のことは両親が上手くやるだろう。

 自分にとっては自分の生活の方が大事だ。これからどうするか。


「また優の世話になるか。俺も頑張らないとな」


 いつまでも誰かの世話になるのもあれだが、いつまでも同じ暮らしを続けるのも悪くない。変化とは疲れることだ。

 そして、正樹はこれから訪れる変わらないいつもと同じ生活に思いを馳せるのだった。



 多くの人間達は信じていなかった。

 空には天使達のいる天空世界があることを。

 だが、火の無いところに噂話や伝承や煙は立つこともなく。

 天使は実在していた。世界で様々に語られているように。



 天空の世界は人間には見えない。それは昔の神々の特殊な力で守られているからだと一説には語られているが、多くの天使達はそんなことは気にせずに日々の暮らしを送っている。


「みっちゃん、遅いよー」

「ごめん、かっちゃん。行こう」


 ある天使の少女達が待ち合わせをして、雲の上に築かれた町の道を、背に白い翼を揺らして飛ぶように進んでいく。

 その目指す先には、四角くて立派な神々しい建物がある。

 天界の議事堂だ。

 その中では今、天界の偉い神々が集まって、熱く議論を戦わせているらしい。

 その手前の広場ではすでに多くの天使達が集まっていて、二人はその最後尾で動きを止めた。


「混んでるねー」

「だね」

「どこかから入れないかなー」

「駄目駄目。時間が来るまでは関係者以外は立ち入り禁止です」


 空色の髪の少女が背伸びをしながら呟くと、話を聞かれた警備員に注意されてしまった。

 その少女ミンティシアが学校では暴れん坊だと思われているからここでも警戒されている……とは思いたくない友達の赤髪の少女カオンだった。

 ここに委員長のように威張っているキトラがいればお小言も言われたかもしれないが、ここにはいないし、みんな前の方に夢中だった。

 天使達は純粋だ。

 神様に仕える天使達は外から議事堂の建物を傍観しながら、神々の議論に決着が付くのを待っていた。

 話し合われている問題を天使達は風の噂で知っていた。


「人間が人間を愛さなくなりつつあるなんて本当かねえ」

「さあ、地上のことなんてよく分からないけど、問題だって言うから問題なんだろうねえ」


 周りの天使達が話題にしている通り、その問題とは、人が人を愛さなくなりつつあるということだ。この問題を放置していては地上は滅んでしまうかもしれない。

 そんな噂話がまことしやかに囁かれていた。


「どうなるんだろうねえ」

「滅びなければいいけど、地上。あたし地上は好きだよ、景色が綺麗だから」

「救うために今神々が話し合っている」

「良い結果が出るのを待とう」


 天使達は神々のおわす天空の議事堂を前に、結論が出るのを待った。会議は結構長い時間行われた。

 やがて結論が出たようだ。空中にホログラムとなって現れた天使長から呼出しを受けて、天使達は議事堂の傍にある神の神殿の方に呼び出された。

 呼ばれたということは、これから仕事があるということだ。

 大広間に集められて、天使達は期待や不安を胸に、偉い神様が現れて神託を下すのを待った。




 そんなわけで天界の雲の上にある神の神殿の大広間には今、集められた天使達の賑やかな雑談のざわめきがあった。

 天使達は当然のようにみんな可愛い子ばかりで和気あいあいとしていた。天使のようなと形容できるのがごく自然な良い子達ばかりで、仲悪くギスギスしている天使なんて誰もいなかった。


 この物語のメインキャストの一角を務める天使ミンティシア・シルヴェールも当然のように美少女だ。空色の長い髪とぱっちりとした好奇心の宿る瞳が印象的な彼女は、元気で前向きでとても活きの良い天使だ。


 ミンティシアは親友の天使カオン・ハシュバイヤーと一緒に神殿に来ていた。跳ねるような元気さを見せるミンティシアに対して、赤髪で地味でおとなしいカオンはとても緊張している様子でさっきから口を噤んでいる。


「見て見て、かっちゃん。天使達がいっぱいだよー。天使学校の集会より大人数かも」

「恥ずかしいよ、みっちゃん。おとなしくしようよ」


 親友で幼馴染のミンティシアとカオンはお互いの事を『みっちゃん』『かっちゃん』と呼び合う仲で、とても仲が良かった。

 引っ込み思案なカオンに対して、ミンティシアはすぐに行動に出る積極的な性格だったが。


 周りには知っている天使達もいれば、知らない天使達もいる。

 わいわい賑やかでとっても人数が多い。

 何のために呼び出されたのかミンティシアもカオンもこの場にいる他の天使達も何も知らなかったが、その発表が今からある。


 何にせよこれほどの大人数が招集されたのだ。何か大きな役目が発表されることは確実といえた。

 迫りくる大事件の予感に、気の弱いカオンは不安の面持ちで隣に立つミンティシアを見つめた。


「これからどうなるんだろうね、みっちゃん」

「どうにもならないよ、かっちゃん。考えてもさ。あたし達はいつでも与えられた仕事をこなすだけ」


 ミンティシアは軽く人差し指を立ててウインクする。

 彼女は友達と違って気楽な性分だった。むしろ早く大きな仕事を与えられたいとうきうきしていた。


「ああ、早く地上に行きたいなあ」


 乗り気で腕をぐるぐる回していると、前にいた他の天使に注意されてしまった。


「危ないでしょ、ミンティシア。混んでるんだから腕回さないでよ」


 同じ学校で勉強している知っている天使だった。

 議事堂の前の広場では会わなかったが、ここでは偶然近くになったようだ。

 金髪の彼女はキトラ・ハジマリオン。教室でふざけて遊んでいる自由な天使に偉そうに真面目に指図しているのが印象的な委員長のような少女だった。

 天使達は普段はみんな天空の各地にある天使学校で勉強をしている。

 同じ学校の天使に対して、ミンティシアは気楽に謝っていた。


「ごめん、てへぺろ」

「もう、ミンティシアは乱暴なんだから」


 彼女の性格を知っているキトラはちょっとミンティシアから離れた距離を取った。カオンは気の強いキトラに聞こえないように親友に助言した。


「みっちゃん、おとなしくしようよ。ね?」

「うん、そうする。早く始まらないかなあ」


 ミンティシアは背伸びをして前を見る。するとその動きを図ったかのように前方の檀上に白い煙が吹き上がり、神々しく神が現れた。

 背から光が広がる。立派な神だけが放てると言われている後光と呼ばれる現象だ。


 神は白いガウンを着た立派な老人だ。白い立派な髭を生やし、頭には黄金の冠を乗せている。

 その瞳には全ての命を愛するかのような深い慈愛が湛えられていた。

 彼は優しくも厳かな声で言った。


「神託(メッセージ)を伝えよう」


 神殿の隅々にまで行きとおる重く響く神の声に、天使達はみんな姿勢を正して次の言葉を待った。誰も雑談するような不真面目な者はいなかった。

 ミンティシアはただカオンの手を引いて見えやすい場所に移動しただけだった。そこで神の言葉を待つ。

 神は言った。


「今時のナウなヤングの若者達が愛ラブユーを忘れつつあることはお前達も噂に聞いておろう」


 偉い人は変に横文字を使いたがるから話が分かりにくいとミンティシアは思う。日本語でOKと思いながら続きを聞く。

 天界は地上と関わる関係上、その天界の地域の下にある国の言葉を学ぶのが学校では基本とされていた。なのでこの辺りでは日本語が標準言語であった。


「そこで今回お前達に伝えるミッション! すなわち使命とは愛!」


 神様はそこで両手の指を使ってハートマークを作ってみせた。さすがに慈愛に満ちた神様がするだけあってとても神々しくありがたく見えた。天使のみんなが尊敬と憧れを持って神様を見た。

 ミンティシアが同じことをやってもギャグにしか見えないだろう。カオンも少し興奮に息が上がっているようだ。

 神様は手を下ろしてハートマークを解いて話を続けた。


「愛ラーブを伝えることなんじゃ!」


 自分達の使命を伝えられて天使達の間にざわめきが広がった。

 神様は言葉を落ち着けて静かになってから話を続けた。


「だが、誰でもいいというわけではないぞ。オール人類! ラブなう! バットド~ント。今すぐに全人類に愛を伝えたいものだが、天界にそれほど人手は無いからな。人類多すぎやねん。カップ麺の種類より多い。そこで今回は特に人間で優秀な活躍が見込めると判断した者にのみ、真っ先なファストで愛を伝えることになった。天使長、資料を配り給え、プリーズ」

「はい」


 神様の命令を受けて、真面目な顔をした天使長が資料を配ることになった。

 A4の紙が入るような茶封筒を持って椅子から立ちあがる。

 天使長は中央の正面に立つと命じた。


「風よ! 舞え!」


 すると風が巻き起こり、天使長の手から茶封筒が舞い上がって、それぞれの天使の手元に資料が瞬く間に行きわたった。

 まさに魔法のような天使長の御業だった。ミンティシアが同じことをやれと言われても無理と断言できる。ちょっと風を起こして資料が床に落ちるぐらいだろう。学校でやったらキトラに拾えと言われてしまう。

 天使長は天使達に向かって確認を取る。


「みんな、資料は受け取りましたね? まだ受け取っていない天使は手を上げてください」


 誰も手を上げる者はいなかった。みんなの所にも、ミンティシアやカオンの所にもちゃんと資料が届いていた。

 場を一望して確認し、天使長は恭しく神に一礼した。


「資料の配布が終わりました」

「うむ、OK」


 神は頷き、天使達に向かって言った。


「それぞれの封筒にはそれぞれの担当する人間の資料が入っている。後でテキストの確認を行いたまえ。みんな我々神々ゴッズの選んだ特に優れた人類ピープルばかりだ。彼らに愛ラブを伝え、地上の発展に貢献するのだ。では、ゴートゥ地上へと行くがよい!」


 檀上に煙がプシューと吹き出し、神は去っていった。

 集会が解散となって周囲は俄かに慌ただしくなった。

 すぐに地上に向かう天使達もいれば、友達同士で相談する天使達もいた。


「さて、あたしの担当は」


 行きかう天使達の中で、ミンティシアは自分の封筒を開けて資料を確認した。

 A4の用紙が入る封筒にはA4サイズの紙の資料が入っていた。それを見る。


「この人類か」


 いかにも普通といった少年の顔写真があった。特に特筆する物は無さそうで、神が何を考えてこの少年を選んだのかよく分からなかったが、何かが優秀なのだろう。


「将来ノーベル賞でも取るのかな?」


 何となくそう予想する。

 まあ、相手が誰でもミンティシアのやる事は決まっている。愛を伝えることだ。

 鼻息を鳴らして使命に挑むやる気を出して隣を見ると、カオンは顔を青くしていた。


「かっちゃん、どうしたの?」


 友達の様子が気になって声を掛ける。カオンは恐々と友達へ目線を向けた。


「この人に愛を伝えるの……?」


 おずおずと資料を見せてくれる。ミンティシアはそれを横からひょいっと覗きこんだ。


「うわあ」


 素の声が出た。載っていた顔写真は髪は金髪で染め、舌にピアスをして、派手なサングラスを掛けた目付きの悪い男だった。

 とてもまともな人とは思えなかった。カオンが怖がるのも無理は無かった。ミンティシアは自分が担当じゃなくて良かったと思った。


「どうして、わたしこんな人……」


 元より恐がりなカオンは泣きそうになっている。元より気楽な性分のミンティシアは何とか友達を励まそうと思った。


「でも、こんな人でも神様が優秀と判断した人なんだよね」

「そうだけど……」

「だったらきっと良い人だよ」

「良い人……かなあ」


 カオンはぎこちなく笑顔を浮かべようとした。ミンティシアは元気に笑顔を見せた。


「なら、お互いに頑張ろうよ。あたしもこんな冴えない凡人みたいな野郎が担当と言われて困っているんだけど、頑張るからさ」

「うん、そうだよね。励ましてくれてありがとう。わたしもみっちゃんみたいに頑張るね」

「よっしゃ、じゃあ行くか」


 ミンティシアはやる気になって出口を見る。カオンと一緒に神殿の外へ行く。そこには雲の上に広がる天空の世界の町が広がっている。


 暖かな日差しに恵まれ、良い旅立ちが出来そうだった。

 すでに多くの天使達が地上へ向かう光の道に乗って出発していた。


 ミンティシアとカオンも後に続いて地上へと向かっていった。

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