第52話
沈黙した黒球を尻目に、帽子で顏を隠したタピタに声をかける。
「タピタ、行かなくて良いのか?」
「ひゃあ!……うん、行こっか。」
ドアに先行して開けてくれるタピタに感謝し、外に出る。
日の光を浴びたタピタの服は、母親作の仕立ての良い服で宣伝も兼ねるらしい。ただ歩くだけでも目を引くが、人の多い所では魅せるためにポーズを決めたりもする。わざと遠回りして多くの人の見てもらう等、タピタなりに頑張っているらしい。
ただの泣き虫では無さそうだ。一口サイズのツマミを買った。
街行く人々は、それぞれの髪と同じ色の服を着ていた。ちらほらと髪と服の色が違う人を見かけるが……。
タピタが言うには、窯や工房で働く職人は髪と同じ色の服を着る制度らしい。織物は、着る人によって色が変わるように織る事が求められるそうだ。
オーダーメイドではなく職人向けなのだろう。ヤシの実ジュースのような飲み物を飲みながら教えてくれた。
織布の良さを引き立たせ、どんな質感と風合いを求めるかは、見てもらった時の反応で判断するらしい。今日は白地だが黒地の服を着たこともあるそうだ。
焼き肉の串焼きを買っていた。
「売り込みをかけないのか? さっきから買い食いして、歩いてるだけだぞ?」
「……難しい話は苦手だもぐもぐ。」
パクパクと食べ
こら、逃げるな。
――――――――
遠回りの
柵に囲まれた10メートル四方の芝生の中心に1本の広葉樹がある。日向ぼっこでもする気なのだろうか。住宅密集地にある公園のようにしか見えない。
「着いたよ、入って?」
「どこに入るん……だぁ?」
俺の横にいたはずのタピタが芝生に足を踏み入れた瞬間、木の側まで移動していた。思わず間抜けな声が漏れた。おい、あんな魔法あるのか?
『魔法、ではありません。そう見えているだけかと。』
「柵か芝生にでも何か仕掛けがあるのか?」
疑問に思いながらも、芝生を前足で突いてみる。草に触れた時、一瞬の浮遊感を味わった。周りを見ると目の前に木の幹があり、隣にタピタが立ち、こちらを見ている。5メートルほど後方に黒球が見え、浮遊して近づいてきていた。
「驚いた? 芝生を踏むと、ここまで飛べるんだよ?」
「何気に凄い技術だな……。」
良い物を見せてもらった。お礼に、と長時間の歩行で汗ばんでいたタピタを綺麗にする。
体を覆うように光り、青空に消えていく燐光を見ながらタピタは吐息を漏らした。
「良い物を見た礼だ。サッパリしただろ?」
「ほぁ~、ありがと。良い匂いもするね……花かな?」
匂いは、おまけだ。綺麗になったタピタは、日陰に立っているにも関らず
しばらく匂いを楽しみ満足したのか、タピタは木に手を伸ばした。
木に同化するように
思わず「おぉ……。」と声が漏れた。街の色々な所にある取っ手は、それぞれ違う効果があるのだろう。ノックという文化はあるのだろうか。
タピタが扉を開けると、内部には木をくり抜いたような薄暗い円形の空間が見えた。中央に1
上を見ると窓が無く、枯れ木が折れたかのような
タピタが中に入り、壁に触れ俺を見るので次いで入ると、壁が大きな音を立てて閉まった。ビクっとする俺を見てタピタが笑いをこらえている。抗議の意味を込めてタピタの足を前足で叩く……肉球に毛が生えてるんだった。
「ごめんね?」
「ふん。」
「とりあえず私は作業してるから。」
へそを曲げた俺を数回撫で、タピタは
俺の知る機織り機とは違い、椅子が無い。立って作業をするようだ。
一定のリズムでガチャコン、ガチャコンという体の芯まで響く機織り機の音が聞こえてきた。
機織り機の近くまで歩いていくと、タピタが「近づいちゃ危ないよ?」と手を動かしながら注意してくる。タピタの横で機織り機を見ると、奇妙な事に気づいた。
「この織りもの……糸はどこだ?」
「糸? 仕上げは魔力を変質させて結ぶの。魔力が
「模様は、こだわりがあるのか?」
「ここに型があるから、たまに組織図を変えるって、お母さんが言ってた。」
端から、はみ出している糸を使うのか。
タピタが引き出した組織図には、変な図形が書かれていた。規則性が無い模様だな……。チェック柄は作らないのだろうか。
他の組織図を見てみよう、とタピタの後ろに回り込む。
組織図が、まとめられている木製の入れ物に前足を伸ばした所で、タピタに抱き上げられてしまった。
「ダメ。」
「ぬう。」
「キツネさんは良い子。」
「良い子って……。」
「良い子は、ジッと、できるよね?」
「……はぁ、分かったよ。」
ギュッとされ、顔を近づけられ、そしてわざわざ区切って言うか。
……何だろうな、軽く
優しく撫でられている俺に『良い子でちゅねー?』と言った
――――――――
『あの、痛くはありませんが……叩かないでください。』
「知らん。」
タピタから離れ、黒球に覆い被さり浮遊する。何となく前足のスナップを確認していると、給仕が抗議してきた。無視する。
黒球は床から3メートルほどの高さを維持している。この高さから見ると、床の凹凸が発光しているように見えた。光を反射しているのだろうか。
黒球が少し広がり支えてくれる。給仕にはバレているようだが、実は落ち着かない。黒球が傾くと、ビクッとしてしまう。中途半端な高さが怖いのだ。
『降りましょうか?』
「……男が廃る。」
給仕の呆れたような溜め息を呪いながらも、浮遊を続ける。確かに俺のような高所恐怖症の者は、黒球から俯瞰視点の映像を見せて貰えば済む。しかし、この確認は
過去2回も騙された記憶を持っている。片方は
——どんな犠牲を払ってでも。
とはいえ。
しばらく見て回っていると給仕が数回、関係のない話題を振ってきた。わざと通り過ぎた後に急いで戻ると、あたふたしていた。まるわかりだ。
まぁ、俺には嘘をつけないのだから仕様がない。床に描かれた円形の迷路を
30分ほどで仕上げが終わったらしい。
俺を呼ぶ声に振り向くと、一抱えの織物を持ち、こちらに歩いてくるタピタの姿が見えた。光の加減で黄色く見える……仕上げで黄ばんだのだろうか。
タピタは
「じゃーん!」
「おお、綺麗な黄色だ。でも1色なのか?」
「このままだと黄色だけど——」
タピタは
口元が緩み、鼻歌交じりのタピタを待つこと数秒。俺とタピタの間を1枚の花びらが横切った。
花びらを目で追う俺が見たものは、床から生え始める色とりどりの半透明な草花だった。周囲を見てみると、花のつぼみから吐き出された小さな光の粒が、空に
黄色の織物に、花柄が描かれていく。
「どう? 綺麗だった?」
「……あぁ、すごく綺麗だった。魔法使いみたいだぞ。」
「えへへ、褒められちゃった。」
光の粒が完全に見えなくなるまで、俺は空を見上げていた。ずっと見ていたかったが、続きは無いようだ。
タピタに率直な感想を伝えると、可愛らしい反応を見せていた。
黒球に言えば『魔法使い』に成ることはできるだろう……期限付きだが。
「タピタは、魔法を使いたいか?」
「ん~? 使いたかったけど、今は要らないかな。」
何気なく聞いた俺を抱き上げ、タピタは
歯を見せ頭を振ると、
黒球の腕をタピタの太ももに
顔を赤くしたタピタが俺を見て、
「むぅ……。」
床から上半分だけを
――――――――――
天地が逆転した体勢で、タピタに尻尾を
給仕に助けを求めるも、
『バカですか? 女の子の太ももを
舐めてねーよ。触ったの、
暇なので体を振っていると、タピタに抱き寄せられ固定されてしまった。後ろ足に胸が当たっているが、動かしたら二の舞だ。動かないのって地味に苦痛だ。
記憶の中の4番目は、人魚が恥じらうだけで済んだようだが、タピタは許さないだろう。
『反省すると良いですよ?』
お前には言われたくない。
――――――――――――
タピタの機嫌が直ったのは、帰り道で金髪碧眼のエルフに会った時だった。
タピタの母であるタニア=シファー。
タピタと並び歩く様は、色白な肌と色違いの服も相まって、対照的な姉妹のように見えた。今日は腰までの髪を結いあげている。タピタは前途有望だ。
……あながち間違ってはいない。まぁ、言わないが。
『楽しんでましたよね?』
うるせーよ。
声をかけようか迷っているタピタに、母親が後押ししたようだ。膝を折り、俺の前足を握って、ぷにぷにと……。タピタなりの仲直りなのだろう。
「仲直りの握手。」
周りからはお手をするペットと飼い主に見えているだろう光景。タニアは近くの露店で果物を買い、上機嫌で戻ってきた。ペットと言ったら2個多く買えたらしい。
タニアが握手する俺とタピタに「帰ったらお菓子でも作りましょうか。」と言った時、タピタは何とも言えない顏をした。
「お菓子は嫌いか?」
「好き。帰ったら手伝わないと、お母さんの料理は——」
タピタの目は、喜んでいるようには見えなかった。
「——紫色だもん。」
「紫?」
「キツネさん、お母さんと戻ってて。」
立ち上がったタピタは、タニアにいくつか質問し行き交う人々の中に走っていった。
手を小さく振り見送った後、母親に聞くと「最近、足りない食材を買ってきてくれるの。」と嬉しそうに言う。近くの露店で紫色のビンを買うタニアに一抹の不安を感じながら、帰宅の
『あれは野草の粉末かと。』
タピタ、早く帰ってきてくれ。
笑顔のタニアと俺は
鼻歌を歌いながらタニアは手を洗い、お菓子作りの用意を始めていた。
台所は人一人が通れる程度の通路に、かまどが2基と
給仕の肯定を聞きながら、視線を動かすと、帰り道で買ったビンが置いてあった。
紫色のビンの封が開いており、ビンから紫色の芋虫が這い出てきている。お菓子作りに、あんなウネウネした虫を入れるのか……。
紫色の芋虫を見ている間に、タニアが準備を終えてしまったようだ。
「その虫も入れるのか?」
「そうよ、おいしいんだから。」
タニアの笑顔がまぶしい。タピタは虫も食べるのだろうか。
そんな事を考えていると、木箱を抱いたタピタが帰ってきた。勢いよく開いた扉に手を付き、肩で息をする姿に「運動できたんだな。」と場違いな事を考えてしまう。
『抱えている物は食材です。』
「大丈夫か?」
「ハァ、ハァ、お母さんは?」
髪が顔に張り付けたままで、タピタは問うてきた。台所だと教えると、へとへとに疲れている体で歩いていった。何が、あそこまで駆り立てるのだろうか。
台所のタニアを見たのだろう、タピタは抱えていた木箱を床に落とし、へなへなと座り込む。
「あら、タピタ。ちょうど出来た所よ。お皿並べておいてね?」
「……うん。」
お菓子が出来たらしい。今しがた材料を用意したばかりなのに。何を作ったのだろう。
母親の言葉に、俯いていたタピタはゆらりと体を起こすと、こちらに小皿を持って戻ってきた。小皿を見つめる少女の足取りは重い。
目のハイライトが消えたタピタに
お菓子を俺に差し出しながら、タピタは言う。
「キツネさんも、食べようね? 食べなかったら……呪うから。フフ。」
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