第44話 アガイの偽書(6)

「ほう、貴様と同じで不死身かと思ったが、奴はそうではないのか」


「あぁ奴自体は普通の人間だよ。というかやっちまったな、コランタン」


「なんの話だ」



 心臓にまたコランタンの脚が突き刺さる。

 流石に全身を巡る血が止まれば気分も悪く無る。


 食道に溢れかえった血を吐き出しながら、俺はコランタンを睨みつけた。

 俺の言葉の意味が分からないという感じに表情を曇らせる元宰相。


 それは分からないだろう。


 分かるはずがない。


 


「たちが悪いぜ。アイツはよう。マルクや俺の不死なんかかわいいもんだぜ」


「しかしもう死んだだろう」


「死んでからだろうよ。不死人の本領ってのはよぉ」


 ぞわり。


 闇が蠢く音がする。


 それはフリッツが死と共に訪れるいつもの事象である。


 闇の中から、こちらを覗き込む何か、の気配が漂ってくる。

 それは、特段濃い闇の中というわけでもなく、窓辺に小さく差している木枠の影や、燭台に灯されている火に照らされてできている、その壁との接合部の影だとか、そう言ったありとあらゆる場から発せられている。


 影、闇、ありとあらゆるこの場の暗黒。

 そう確かにその中から、その気配は漂ってくる。


 耳鳴り。


 寒気。


 そして視界の混乱。


「なんだ、これは?」


 そう呟いたコランタンのマントの中に青白い腕が伸びる。

 白目と黒目が反対したような、奇妙な模様が描かれているその腕は、コランタンの首元めがけて掴みかかった。


 咄嗟、コランタンが脚でそれを払いのける。


 あと少しでも気づくのが遅れていならば、彼の首はへし折られていただろう。

 その嗄れた首の代わりに叩き折られた青白い腕。


 しかしそれは、まるで砂糖細工かそれとも石膏細工か、折られた先から砕け散って、闇の中へと吸い込まれるようにしてかき消えていく。


 余裕に満ちていたコランタンの表情が曇った。


 その背後には青い顔。

 目を持たない、十字に裂けた口を持つ、異形のそれがにじり寄っていた。


 くぁ、と、開いたその口。音に気づいたコランタンが振り返ったが遅い。

 その耳は、十文字になっている口によって削ぎ取られて、それまで耳があった場所には、赤黒い血が滲んでいた。


「なっ、馬鹿な!? いったいどこから!?」


「闇の中からだよ」


 そう闇の中からの使者。


 呟いたコランタンの背にはまた、先ほどの十字の口に、厚ぼったい唇を持ったOの字の口の化物。更に、剥き出しになった牙を広げた、華のような何かがあった。


 腕がまるで樹の枝のように生えてくる、それ。

 めくるめく顕現する異形の存在に、コランタンの顔が初めてひきつった。


「どういう意味だ!?」


「説明するのは難しいんだ。そうさな、言ってしまえば、こいつがその男、フリッツの不死性の正体だよ」


「不死の正体!?」


 俺との会話に興じている内に、コランタンの腕を牙の華が食い千切る。

 くそ、と、舌打ちをして距離を取ったコランタンだが、その飛んだ先が悪かった。


 巨大な、人の、顔、その、口の中。

 ぐぁ、と、重い音ともにその歯が閉まれば、コランタンの首は床を転がっていた。


「俺が林檎に活かされているように、フリッツも、この悪夢のような呪いによって生かされているんだよ」


 口を閉じた巨人の瞳がこちらを見つめていた。


 生暖かい鼻息が、ふんとその口の上から吐き出されると、床の上を転がっていた、コランタンの生首がごろりこちらへと転がってくる。


 それを拾い上げて、首から上がない道化師が、ゲタゲタと歯を鳴らして笑う。


 悪夢。


 緑色の光を帯びた黄金の馬が、遠近感の定まらない、虚空の上で嘶いていた。


「もういいフリッツ。その辺にしておけ」


 俺はコランタンに突き刺された脚を引き抜いた。


 体を回復するのをしばし待って俺はゆっくりとその場に立ち上がる。

 道化師の持っているコランタンの首をひったくると、俺はそれを片手にぶら下げて、フリッツの元へと向った。


 そして、彼の封じられている眼――魔装の施された眼帯をめくり上げた。


 そこは闇。

 本来あるべきものがない空の眼孔は、この場にあるどの闇よりも暗い、深淵へと繋がっている空間である。


 その漆黒の闇の只中に向かって、俺は自分の手をかざす。


 感覚でしかないが、一度に十人程度の命を吸い込んだその闇は、まるで何かに満足したように怪しくその濃度を濃くした。

 途端、周囲に満ちていた瘴気はどこかへと霧散する。


 同時にフリッツのもう一つの眼孔に光が戻った。


「おう」


 ぎょろりと、その瞳を動かして、このはた迷惑なふざけた不死人は、まるで寝坊を咎められた同僚のような顔を俺に向けた。


 本人が自覚して行使している力ではない。


 とはいえ、はた迷惑なことにはかわりない力だ。

 もう少し自覚を持ってもらわんと困る。


 俺はのんきな同僚の頭を、空いている手で叩いた。


「おうじゃねえよ。簡単に死んでくれるな。俺が居たからよかったものの」


「悪いなルド。しかしな、俺も何も好きで死んでるわけじゃないんだ。そのあたり、分かってくれると助かるよ」


 そう言ったフリッツ。

 その顔には生気だけではなく、これまで無かった若さが満ちていた。

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