第43話 アガイの偽書(5)

 見る間に、教皇の顔が青ざめた。


「さて、こうなったからには洗いざらい話してもらうぜ」


 てめぇがどうしてあの腐れ魔女に協力する気になったのか。

 あの魔女とどうやって連絡をつけていたのか。

 その経路について。


 他にも聞きたいことは山とある。

 あの女とか変わった事を後悔するまで――。


「そいつを聞き出すまではまぁ、あのクソジジイから、命だけは守ってやるよ」


「ち、ちがう。わ、私は、あの女に利用されて。本当なんだ。まさか、あの女が、白金の魔女だとは知らずに」


「知らずに死体の供与ができるのか。教皇よ」


 暗闇に重苦しい老人の声がまた響く。

 教皇が来た方の通路側、違う経路を辿ってやって来たのだろう、俺の視線の前方からその重たい声は響いてきた。


「来たかコランタン」


 冷たく響く靴音。


 月光に照らされて浮かび上がるその顔はまさに氷のよう。

 張り詰めた空気を背負って俺達の前に現れたその男こそは、ローラン王国元宰相。


「コランタン」


 黒黒としたマントの中に手を隠した彼は、その凶器である、冷たい瞳でこちらを見ていた。


「よもや先を越されるとはな」


「俺もびっくりだぜ。足腰は老いさらばえても鍛えておいた方がよかったな」


「名を聞こうか、公国の狗よ」


「狗に名前は必要ないだろう。アンタみたいな大層な名前はな」


 コランタンのその冷ややかなその口元に微かにだがシワが寄った。


「確かに。魔女の走狗に名など要らぬな。忘れていた」


 愉悦。

 侮蔑。

 歓喜。


 そのどれでもないコランタンの表情。


「コランタン。お前もやはりそうなのか」


 それは自嘲。


 自分もそうであったということを悔いるようなそんな笑いであった。

 俺の問いに対しての応えはそれで十分であった。


「小僧。悪いが、私はその男を生かしておく訳にはいかない」


「貴重な白金の魔女への手がかりだってんだ。幾らローランの宰相様のお願いでも、はいそうですかと、渡してやることはできねえな」


「ならば力づくで構わんな」


「できるもんなら、やってみなされ、宰相どの」


 コランタンが身に着けている黒衣が翻る。

 中から出てきたのは、多くの杖。


 材質は分からないが、魔術師が使う上等な奴には違いない。

 ただ、コランタンが魔術を嗜んでいるという話は聞いたことがない。


 となれば、魔装、か。


「貴様にはワシの目が通じんからな。使わせて貰うぞ」


「随分とよく動く老人だと思ったらそれがタネか。不肖の弟子から貰ったか?」


「そうさな。奴はよく尽くしてくれるよ。ワシのような老いぼれには勿体無い」


 緑の光が杖に宿った。

 かと思えば、まるでそれが蜘蛛の足のように、別々に動き始める。


 魔術による義肢義足装置というのはままあるが、こういう風な運用をするものは初めて見るな。俺なんかだと、とても複雑に過ぎて、上手く使いこなせる自信がない。


 なんて思っている内に、コランタンのその木でできた足は、石造りの床を貫きながら、けたたましい音とともにこちらへとその使い手の体を運んできた。


 そして、俺までの距離があと数歩と言う所で。


 跳躍。


「なっ」


 完全に視界からコランタンが消えた。


 右か、横か、まさか、後ろかと、視線を巡らせるよりもはやく、俺の頭蓋に、天井からその大きな杖が突き刺さった。


「上、かよ!?」


「なかなか便利な足だ。おかげで歳相応に老いさらばえることができるわ」


 次いで肩甲骨、肺を貫かれる。魔法の杖もどきの木の義肢で、まさか、頭上からのめった刺しなど、いったい誰が予想するだろう。


 まずい。

 このままでは俺ごと教皇サマが串刺しだ。


「っしかたねえ。マヤ!!」


「うん!!」


 いうや、するりと俺の股の下を潜ったマヤ。

 彼女は教皇の来ていた聖衣の襟を掴み上げ、まるで大根でも抜くような要領で俺の股の間から抜き出した。


 そうしてそのまま、コランタンの脚からも逃れると、対岸へと抜け出る。


「やったよ、ルド!!」


「おし!! そしたら、そのままその爺を連れて逃げろ!! フリッツの奴がすぐ近くまで来ているはずだから、奴に任せるんだ!!」


「分かった!!」


 戦意を喪失した教皇である。

 それでなくても野生児のマヤだ、万に一つも丸腰の爺ごときに遅れを取るようなことにはならないはずだ。


 しかし、まさか、こんな所で彼女の世話になるとは思っていなかった。


「あんな年端もいかぬ小娘まで使って」


「そう言うなら、この脚の一本でも折ってくれると助かるんだがな」


「黙れ外道」


「そういうなよ。こっちにもかかる事情ってものがあるんだ」


「かかる事情だと。綺麗事を言うな!!」


 震える手で脳に刺さった脚を魔装ナイフで切り払う。

 だが、その腕を封じ込めるように、コランタンの蜘蛛の腕が伸びる。


 先ほどの教皇と逆転、コランタンの杖によって俺は為す術もなく床に磔にされた。


「あの女を憎んでいるといったか小僧。しかし、自分のしていることはなんだ。分別も付かぬ幼子に、このような稼業の手伝いをさせて。己の都合のために他者を利用するのは、あの女のしたことと変わりない」


「鬼の宰相さまが、なんとも慈悲深いことを言うじゃねえか。意外だね」


「貴様のように私怨で動く鬼畜なぞにあの女を追いつめられるものか。そんなことができたならば、あのようなものがこの世にのさばる道理はない」


 まったくだね。


 そりゃ俺も同感だよ。


「しかしねぇ、そのアンタの脚の下の男、言うだけのことは在る奴だぜ」


 静かな足音が辺りに響く。


 俺に向けていた視線を、マヤが消えた方へと向けたコランタン。

 その視線に釣られるように俺もまた視線を彼と同じ方向へと向ける。


 暗闇の中から静かに現れる。

 その瞳は闇の中にあっても赤く怪しく輝いていた。


 深く刻まれた皺と白い髪が、枯れたコランタンとはまた違う、不気味さを醸し出している、その老人は、ヤニに塗れた黄色い歯を覗かせた。


「おせえぞ、フリッツ」


「よう。待たせちまったかな、ルドルフ。マヤの奴は一緒に来たウドに任せてある」


「それでお前はこっちにって訳か。上首尾だな」


 新手か、と、呟いたコランタン。


 すぐにその瞳が、例の、死を招く何かを発したのを俺は察した。


 真正面にコランタンの魔眼を見たフリッツ。

 その体が揺れる。


 俺の前で倒れたローランの商人のように、苦痛に顔を歪ませてのたうちまわる。


 拍子抜けと言う感じで、フリッツが目の前で息絶えていく老人の姿を、コランタンは眺めていた。

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