第11話 大宰相(4)

「とすると、フランツとかいう、後からくる輩がコランタンを操っている、つまりは、今回の一件の黒幕ということになるのか」


 コランタンの突然の復帰の裏に『麦踏み童の会』が絡んでいる。


 考えられない話ではない。


 だが、ギルドとの反目を理由に、そこまでのことをするものだろうか。

 第二の教義に政治と宗教の分離を掲げている彼らが、わざわざその禁を犯してまで、政治へと介入しようとするのは意義が見えない。


 しかも、コランタンという血塗られた神輿を担いでまで、そうする理由が。

 考えれば考えるほど分からなくなる。


 まぁいい。

 少なくとも、今回の任務に、コランタンの裏に潜んでいる者、それらについて考慮する必要は差し当たってないのだ。


 俺がしなくてはいけないのは帝国側との縁故有る人物を、コランタンの手から守りぬくことである。それが誰なのか未だに情報こそないが、なに、相手はただの老いぼれである。隣りのアルマンという男も、用心棒と言うには線が細い。


「まぁ、これならどうにかなるだろう」


 そう言った時だ。


「おい」


 重苦しい声が広場に響く。


 それは砂漠に掘られた井戸のように嗄れた面相のコランタンが発した台詞。

 それも、先ほど青年にかけたものよりも一段と低く、そして明らかな殺意の篭った、ある種の呪詛にも聞こえる暗い声であった。


「貴様だ。マルタン。マルタン・ロン、フィエリテ商会南部地区総代」


 少なくとも、俺、ではない。


 安堵が俺の背筋を滑ち落ちるのを感じた。

 反射的に袖口から手元に落とした魔装ナイフを握りこんでいた。

 俺はコランタンの視線の先を確認する。


 その先に立っていたのは恰幅のいい男。


 下膨れた水袋のような腹と、あきらかに貴族には縁遠い金色をあしらった下品な趣味をした宴会服。愛妾と思しき肌の露出が多い女を侍らせた男が、脂汗をにじませてコランタンに背を向けていた。


 フィエリテ教会南部地区総代。

 その肩書にあたがわず見事な豪商ぶりだ。


「こんな所で会うとは奇遇だ。いや、主の導きと言うべきか。どうだ息災か」


「はぁ、閣下に居られましてはまだまだご壮健のよし。この度の国政への復帰を、我ら王都の民がどれほど」


「世辞は良い。顔を見せよ」


 びくり、と、男が肩を震わせたのが見て取れた。


 フィエリテ商会は、ローラン王国の商工ギルドの中心的な構成組織である。

 それでなくても国の元宰相、しかも国王の代理としてやって来ているコランタンに対して、背中を向けて挨拶をするとは、これを不敬と言わずになんとするのか。


 コランタンの要求は真っ当なことである。

 しかし、どうにもその様子が尋常ではない。


 まるで、どうしても、その顔を見たくないという感じだ。


 不自然なまでに男は顔をコランタンに向けようとしない。


「挨拶を、マルタン総代。閣下は貴殿の健康を案じておられるのだ」


「そのような」


「顔を見せよマルタン・ロン。余が、国王の名代としてここに居ることを忘れたか。世への不敬は君への不敬、国家への反逆であると心得よ」


 そこまで言われては、振り返らない訳にはいかない。

 意を決したように、男がこちらの方へと顔を向けた。


 しかし、その腫れぼったい厚いまぶたは、固く閉ざしたままであった。


 なぜかと思考を巡らせるよりも早く、懇願の声が広場に響く。

 そんな彼の姿に少しも表情を変えずにコランタンは命じる。


「目を開けよ。そなたの瞳が見たい」


「閣下!! 閣下どうか、どうかご慈悲を!!」


「目を開けよ、マルタン総代!! コランタン様のこれは命である!!」


 麦の穂ほどだろうか、マルタンの瞼が開いた。


 絶叫。


 叫喚。


 火に焚べられた釜の中で打ち回る毒蛇の断末魔かと思うような、光り差す庭に相応しくない音が辺りに満ちた。


 その数呼吸後。

 その声の主であった男は、首をあらぬ方向に括り折って死んでいた。


 なんだ、これは。

 その凄絶な出来事に辺りが静寂に包まれる。

 ただ一人、いや、二人、その中を、軽快な足取りで進む者達の姿がある。


 コランタン。

 そして赤衣の従者、アルマン。


 彼らは目の前のくびれ死んだ男の前に立ち、冷たいを瞳でそれを見下ろしていた。


「ふむ、ふてぶてしく太った豚の面だ。自分の店に並べよ。そこそこの値がつく」


「そうですね閣下」


 倒れた――いや、恐らく死んだであろうマルタン。

 そんな彼に冷淡な言葉をかけると、コランタンはこちらへと視線を向けてきた。


 声を出すことも憚れる無音の地獄の中で。

 二人の男たちは、悠然と俺の前へと歩いてきた。


「見た顔だな」


 そう言ったコランタンと目が合った。


 唐突に俺の胸が痛んだ。

 激痛。


 それは、まるで、心臓を赤く燃えた鉄の棒でかき回されているような、痛み。


 ――命が、消える。


 数ある死を経験してきた俺すらも悶絶させる耐え難き死の痛み。

 林檎の呪いが一つ解けたのを感じた時だ、怪訝そうな顔で、コランタンが言った。


「ほう。どうにも面白い奴が居るものだ。まぁ、良いだろう」

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