第12話 異国の夜(1)
「睨まれただけで死ぬ魔法。ふむ、そんなものが有るとするなら禁術に属するものだろうが、少なくとも僕は聞いたことはないな」
明日からの教皇会議に向けての景気づけだ。
そんな風に人でごった返している酒場の中。
この乱痴気騒ぎのお祭り騒ぎ、そのご相伴にあやかった幸運な浮浪者が、裏寂れた酒場でカウンターを前にエールを飲み交わしている。
一人は、とんとんびょうしと話がうまく行けば、帝国の高級官僚にでもなっただろう、学者崩れの優男。
もう一人はといえば、まぁ、どう転んでもゴロツキがせいっぱいだろう。
橋の下に住むのがお似合いの貧相な面の男である。
とまぁ、そんな自虐的なことを考えながら飲む酒であった。
だが、これがどうして格別に美味いこと美味いこと。
「飲むねルドルフ。今日はどうしたんだい、やけに酒が進んでるじゃないか」
「命の補給って奴よ。やはりな、なんだかんだと言ってみても酒ってのは、こう、人間に足りない何かを補ってくれるものだと思うわけだよ。俺は」
「またまた。どうせヒルデとマヤの手前、道中飲めなかったんだろう」
「お前だってその口だろう。まぁ飲め飲め。麦酒も良いがやはりこっちは葡萄酒よ」
今宵の酒はとくに旨い。
ここは大陸の東の果てから西の果てまで。
隅々に、これぞという名酒や美酒が集う一大交易地である。
まずは、酒の質が違う。
そこに加えて昼間に仕事で死にかけているのだ。
いや、実際に一度死んでいる。
美酒に仕事の苦労が合わされば、それは喉にアルコールがよく染みるというもの。
魔法部隊きっての呑兵衛二人。
俺とリヒャルトは、パートナー達と宿に到着するや、早速に彼女たちをほっぽり出し、人の目を盗んで、近場の酒場で情報共有がてらに顔を合わせているのであった。
大丈夫。
これも大切な情報収集、仕事の内だ。
マルクの奴も分かってくれる。
うん。きっと。
「しかしね、いきなり黒幕と鉢合わせとは、運がいいのか悪いのか」
「悪いだろうよ間違いなく。俺も肝を冷やしたぜ」
「それじゃあれだ、びっくりして死んだ、という奴ではないのかい?」
「お前、俺がそんなノミみたいな心臓しているように見えるのかい」
見えない、と、笑うリヒャルト。
ちょっとした冗談にゲタゲタと腹を抱えて笑うあたり、いかんねこいつ、相当に酔が回ってきているようだ。
酒が好きなのは良いけれど、同時に、酔いやすいのはこいつの悪い癖だな。
その癖、こんな感じになっても、延々飲み続けるのだから。
まぁ、俺も人のこと言えんが。
「ったく、せっかく頼りにして聞きに来たってのに、期待はずれか」
「悪いね。まぁ、眼のことは、僕なんかより、もっと詳しい人が居るだろ」
「ありゃ魔法じゃない。呪われているって言うんだよ」
で、なくてもだ。
あの男に相談するのは俺としても気が引ける。
どうせ、けんもほろろ、適当なことを言ってあしらわれるのが目に見えている。
「そうだ、そうじゃないか、彼の瞳も、確か」
「だからアレは魔法じゃなくて呪いだって言ってるだろう。なんていうかな、俺は、コランタンから明らかに何かを仕掛けられたんだよ。無差別に向う感じのじゃない」
分かるだろう。
この微妙な表現でリヒャルトならば理解してくれるはずだ。
これは、俺たちのような魔法使い――とりわけ、魔法使い崩れの魔装兵にとってはごくごく一般的な感覚だ。
「指向性ってことかい」
「違うよ。ほれ、お前の銃と同じだって」
同じって、と、胸を弄るリヒャルト。
もちろん、こちらも乞食の装い。
そんな装備など、持ち合わせている訳もなし。
彼は少しむなしそうに胸から手を話すと、彼の前に置かれている皿、その上にごろりと転がっている鳥の骨を手にとった。
バン。
銃に見立てて軟骨のついたその先を俺へと向ける。
裂けた肉がぶらりと揺れる。と、同時に、なにしてるんだと、俺は吹き出した。
これだから酔っぱらいの戯れは始末が悪い。
「なるほど、そうね、銃と同じ。つまり対象を指定していた、ってことかい?」
「そうだよ。さっきからそう言ってるじゃねえか」
生粋の魔法使いと違って、俺たち魔装兵という奴は、魔術武装された武器を使う。
武器、というのは明確な目的、あるいは、なにがしの用途を定めて造られたものである。それに施された魔法や魔術もまた、その用途を補助する役割や、その存在意義から大きく離れたものが使われることはない。
言うなれば、この、目前に転がっている木製のスプーンに、先端から雷光がほとばしる補助魔法を付与するのかということである。
その雷光を発するという作用は、まったく、このスプーンの機能である、食べ物を掬う、という目的に対して何も利便さを与えることはしない。
スプーンの上にあるものを温める。
あるいは、掬い上げたそれを凍らせる。
もしくはスプーンの先が示す所にある食物を吸い寄せる。
なんて魔法を、魔装の作製にセンスが有り、ちょっとした学を持つ魔法使いだったならばきっとかけることだろうよ。
つまりだ、魔法というのは、常に、その力を行使する者によって作用する対象を明確に指示されるものなのだ。
そして、それが行使される時には――必ず動機だとか、意図だとかがそこに存在しているはずなのだ。
時たまそれがない物もある。だが、そういう、意図に反して自動で発せられるものは、魔法ではなく呪いと呼ばれることが多い。
そして、呪いの類では、あれはない。
コランタンは俺を殺すべくして、あの得体の知れない魔法を行使してきたのだ。
「一国の宰相様に殺されかけるとは、色男だねぇルドルフも」
「やめろや気色悪い」
「なんでさ。見た顔だな、って、覚えられてるなんてさ。運命感じるんじゃない?」
「だからヤメロって気色悪い。ったく、男に顔覚えられてどうなるってんだ」
政治屋じゃないのだ。
こんな仕事をしている手前、顔を覚えられるのはたいそう困る。
確かに過去、以前の生業の都合上で、俺は何度かコランタンに、それとなく接触を試みたことがあった。
ただ、こんな見るからに貴族の体ではない。
浮浪者だとか商人の小間使いだとか。
あるいは兵卒だとか傭兵部隊の長だとか、そういう輩としてだ。
そしてその手の立場の人間としての接触である。
今回も陳情だとか、報告の場で顔を合わせて声をかけられたなら、まだ、顔を思い出されても納得のいくことかもしれない。だが、まったく違うこの教皇会議の場で、それを指摘されるなんて、薄ら寒い話もあったものである。
一度や二度、今回のような接触を指して、見た顔、というのなら分かる。
だが、度々に、立場を変えて接触している相手に、突然にそんなことを言われて、更に難癖を付けられて殺されそうになる。
ようよう考えても不気味な話ではないか。
単に向こうさんの勘違いなら、それはそれで話は簡単に終わるのだが。
相手がなんといってもあのコランタンだ。
俺のことを知っていて泳がせていたのか。
などという、薄ら寒い想像が首をもたげてきた。
あぁ、やめだやめだ。
俺は通りすがった痩せた女給の尻を捕まえると、姉ちゃん、おかわりだと空になった盃を彼女に突きつけた。
若い、生娘風だと、一目に思ったのだが、どうもそれは勘違いだったらしい。
ずいと俺の手から盃を取り上げた女を見れば、その触り心地のよいのも納得する。
胴回りの太い醜女がこちらを睨んでいた。
気づけば俺の顎先に、象の足のような、分厚い手の平が迫っていた。
ベシリ。
俺の鼻頭と頬を一緒に押しつぶして、カウンターに俺を沈めると、女はのっしのっしと肩を揺らしてその場から離れていった。
「まずいな、今日はこれで二度死んだぜ」
「浮気なんてするから、罰が当たったんだよルド」
「浮気ってなんだよ。酔ってたにしても、いい女に見えたからだな」
「そんなに夜が寂しいなら、相手してあげようか、ルドルフ」
ふと、聞き覚えのない女の声がした。
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