第296話 呼び名

 不可逆ってもう、二度と戻らないことだよな。

 けど因果の組紐ってなんだ? どういうことだラプラス?


 ――クロノスとカイロス。「とき」の支配下から逃れられない。


 ラプラスが答えた。


 ――ゆいいつ特異点のみが「とき」から離脱できる。


 どういうことだ?

 

 ――ヒュプノスとモルペウスとタナトス。眠りと夢と死。


 違う、これは俺の問に答えたんじゃなくて、ラプラスが誰かと会話している断片をきいてるみたいだ。

 もしかして九久津の兄貴? 最近あまりでてこないのもそのせいなのか? 時間の流れから抜け出せたなら人は寿命なんてものから解放される。


 死……しーちゃんはきっと、もう、死んでる。

 寄白さんたちは、俺が知らない傷をいったいいくつ抱えてるんだろう? さっき の【Viper Cage】の件だって寄白さんは社さんのことを想ってた。


 「だからヴェートーベンがでるときは、いつもあんな陽気っていうか、はしゃいでる感じなんだよ。場合によっては私の名前さえ知ってるヴェートーベンもいる」


 えっ?


 「美子っ!!」


 「なんだ?」


 し、しまったー!!

 大声で寄白さんを呼び捨てにしてしまった。


 「あ、あの怒ってる?」


 「なんで?」


 「おこ。じゃないの?」


 「だからなんでだ?」


 ――おこ、だからね。じゃないの? だって下僕がご主人を呼び捨てにしたのに?って誰がご主人じゃい!!

 さすがにそこまでの差はないはず、うん、ないはず。

 いちおうは「六角第一高校いちこう」、二年B組にーびーの同級生だし。


 「俺が名前を呼んだから」


 「私の名前は美子みこだ。名前を呼ばれてどうして怒る?」


 「いや、それならいいんだけど」


 「さだわらしの呼びたいように呼べばいいさ」


 本気で怒ってない、てか無頓着。


 「そ、そうなんだ」


 あんまりこだわりないのか? 九久津はふだん――美子ちゃんって呼んでるし、校長も社さんも、エネミーも――美子。って呼んでるんだから、逆に俺のほうが異端児的な? でもクラスメイトの呼び名も寄白さんだったりするし、山田に限っては――妹殿。ただそれは、完全に姉である校長ありきの呼び名だけど。


 「美子。先輩」


 俺はそう呼びかけてみる。


 「はっ? さだわらしは同じ学年だろ?」


 「いやいや、そうじゃなくて。正確には美子先輩パイセン。って、今思えばあいつ、どういう言葉づかいだよ」


 俺が最初にこの四階にきたときの【ヴェートーベン】は寄白さんのことを――美子パイセンっていってた。

 たしかに「美子みこ」って呼んでいて寄白さんを認識していた。


 もしかしたら、しーちゃんの記憶みたいなものも想いと同時に肖像画のヴェートーベンに入ってるのかもしれない。

 さらにそこを介して出てくる【ヴェートーベン】は、いつもどこかチャラいって共通点がある。

 チャラいというか人懐っこいというか愛嬌がある感じ。


 そっか、この話は当然九久津も知ってるな。

 だからこその「六角第一高校いちこう」の学校の七不思議のなかのひとつ《ストレートパーマのヴェートーベン》。

 本来なら《肖像画から出てくるベートーベン》でいいわけなんだから。

 

  《走る人体模型》

 ●《肖像画から出てくるベートーベン》

  《段数の変わる階段》

  《誰も居ない音楽室で鳴るピアノ》

  《飛び出すモナリザ》

  《七番目を知ると死ぬ》


 これが、「六角第一高校いちこう」の学校の七不思議。

 もちろん校長も知ってるだろうな。

 俺と寄白さんたちに流れていた時間を埋めるには、やっぱりまだまだ時間がかかる。

 でも、今日も寄白さんは俺にこの【ヴェートーベン】のことを教えてくれた。


 「ああ、そういやあのときのヴェートーベンやつは私のことそう呼んでたな」

 

 「俺が最初に四階にきたときのこと思い出してさ、それで、ついつい美子・・って呼んじゃったわけで、あっ!!」


 ま、また美子と呼んでしまった。

 こ、これはコールドスプレーか、あるいは鳩尾みぞおちに蹴りか? ただパンツを見たわけじゃない無罪、セーフだろう。


 「だから美子と呼んだっていいし、好きなように呼べ。……しーちゃんにも雛のお父さんのように文字に想いを込める力があったのかもしれない……」


 やっぱり呼びかたは無頓着なのね。

 社さんのお父さんは六角神社の宮司で、今、寄白さんが髪飾りと一緒にしてる赤いリボンの梵字を書いた人。

 日本、特有の名前に込める漢字もそうだけど、字に込める力ってのは強いな。


 「うん、かもね」


 まあ、それだけ知れたらいいか。

 しーちゃんのことは深くは訊かない。

 能力者だったのかどうかも。


 「能力者じゃなくても、のこしていく者への伝言になら想いを込められるのさ」


 そうなのかもしれない。

 特別な力なんてなくたって、命と引き換えの言葉なら、誰かの人生ごと変えてしまえる。

 俺たちのような、この超能力的な能力じゃなくても、誰かの人生を左右してしまえる能力はあるんだろう。

 

 四階の仕事も片付いたし、俺と美子・・、いや、美子ちゃん……美子殿? 最初の人体模型っぽく”お嬢”? なんて呼ぶのか迷う。

 あの人体模型がお嬢なんて呼んでたのも、それはきっと長いつき合いだったからだよな。

 じゃないと寄白美子から、お嬢へと呼べるまでにはらない。


 まあ、なにはともあれ俺たちは四階から出口のあるR非常階段へと向かう。


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