第183話 透明な涙

 「ねえ、沙田くん。今朝、美子と沙田くんが教室に戻ったあとにしばらくしてから升教育委員長経由でやんわりと注意を受けたんだけどね……」


 校長の話が突然別な方向に飛んでいった。

 それがさらに動揺の深刻さを現しているみたいだった。

 校長もまだ心の整理ができていないんだろう。

 俺はあの儀式のことを知っていてはだめだったんだから。

 ここはこの話の流れに乗るか。


 てか、教育委員長ってぬらりひょんじゃなくてあの白髪で白髭のおじいちゃんだよな。

 その教育委員長が何用で? それともぬらりひょんがついに本性を現したか?


 「なんですか?」


 「沙田くん」


 校長は空気を丸呑みしたような仕草を見せたあとに俺の名前を呼んだ。

 なんだろ?

 

 「今朝、当局のWebにアクセスしなかった?」


 なんか拍子抜けした、なんつーかすげーふつうの話。

 なのに校長はどこか温度差のあるトーンだった。


 「しましたよ。なにか問題でも? 能力者ならあのWebを閲覧してもいいんですよね?」


 「うん。そこは沙田くんにもWeb閲覧の資格はあるわ。ただね注意を受けた大元っていうのが総務省なのよ」


 「総務省? なにかおおごとですか?」

 

 「沙田くん。Webの閲覧じゃなく……」

 

 校長と目が合う。

 はおろか眉ひとつ動く気配もない。


 「問題になってるのは関係者IDとパスでログインしたってことなんだけど……」


 それはつまり不正アクセスを疑われてるってことか?


 「いえ、そんなことしてな、い、いや、あのとき無意識で画面を触ってたから、けど、あれ、正確な記憶が……どうだっけ」


 あのときも中のやつと一体化してたようなしてないような感じだったからな。

 ホームルーム直前までWeb見てたけどすげー集中してたよな俺? ああいうときって他人じゃないと俺がどうしてたかなんてわかんねーよな。


 俺は俺でスマホの画面に集中してるわけだし。

 しかもアヤカシに関する内容だからスマホをのぞかれないように教室のうしろのカーテンで隠れるような場所を選んだんだから。

 俺がどんなふうだったかなんて誰も知らないはず。


 「疑うわけじゃないんだけどどうやってパスを解除したの? いちおう当局関係者だから不正アクセスとはみなさないってことなんだけど」

 

 「ほんとに記憶が曖昧なんです。けど僕はログインしてない……いや、したの……か……な?」


 バシリスクの特徴を見てたときも中のやつと同期してたように感じたんだよな。

 過去の痛みや傷にまでシンクロするような……。

 思い返せばあの感覚は「シシャ」の反乱のあとからはじまった……気がする。

 

 俺の特異体質が消えたのもあの日か? やっぱりあのときに体調の変化があったんだ。

 ラプラスの出現とツヴァイドライが引金か……。

 

 「さらにね」


 校長は机の引き出しをさっと開いて一枚のプリントを掲げたと同時に引き出しをさっと閉めた。

 そのプリントには長めのアルファベットと数字の羅列が書いてあってそれこそなにかのアドレスのようなものだ。 


 「総務省が証拠として沙田くんが使用してる電子端末のIPアドレスとアクセスログそれにスマホの個体識別番号を送ってきたの。だからきっとログインしたのは間違いないと思うんだけど」


 お、俺のスマホの情報は筒抜けか? 契約自体は親名義なのに。

 さすがは国の機関なんでもできるんだな……いや、なんでもするんだな。

 それが国防ってやつか。


 校長たちと当局がそれほど親密じゃない理由がだんだんわかってきた。

 おたがい血の通う関係じゃないからだ。

 お役所仕事ってこういうことをいうんだろう。


 俺は潔白だ、断じてそんな不正はおこなってない、でも心当たりあるんだよな。

 そう俺の中にいるなにか……としかいえないけど。


 「習慣のよう勝手にアクセスした感じだと思います。指が勝手に覚えてるっていうかテレビを観ながらでもスマホをフリック入力してサイトのログインを成功させるようなことです。ただそれはではありません」


 けど、そっか、この無意識フリック入力を応用すればスマホを直置きして文字を打てるな。

 近衛さんのあの動きにちょっと憧れあるし。

 あれができたらなんかデキるやつ感もある。


 「その感覚は私にもわかるわ。ネットショッピングのときにときどきそんな感覚になるし。でもじゃないってどういう意味?」


 「僕じゃなくて中のやつボクですね」


 「……ん? どういうこと? それってツヴァイとかドライのこと? えっ、沙田くん、ちょ、ちょっと泣いてるの? それともドライアイとか? 目が……」


 「ド、ドライアイ……?」

 

 いや、それはきっと違う。

 この状況って……俺は人指の先を下瞼に当ててから確認する。

 そう「赤」じゃない涙かどうかを。

 透明な涙だった。

 さっきの胸のもやもやと照らし合わせると……目薬は完璧に効いていて血の涙の

啓示する涙クリストファー・ラルム】を完全に抑え込んでいる。

 ……ってことはやっぱり俺の中にいるやつがなにかを知らせたかったってことだろう。


 これも俺が儀式を知っていることに関係がありそうだ。

 それにスマホからの当局Webのログインについても。

 やっぱりこいつか? どんな意図があって俺の中にいるんだ? それになにを伝えたいんだろう。

 悪いやつじゃないのは知ってるんだけど。


 ――キーン。


 校長室に乾いた鐘の音が響いた。

 そこに音がつづく


 ――コーン――カーン――コーン。

 

 チャイムの音だけど、これは予鈴よれい

 ただ昼休みの終わりが近いのは事実。

 本鈴ほんれいが鳴るまでに教室に戻らないと。

 校長室からの二年B組にーびーの教室までの移動距離を考えたらグズグズもしていられない。


 「校長すみません。チャイムが鳴ったので。あとは放課後にでも」


 「う、うん、そうね」


 「では失礼します。ちなみにこの涙はドライアイじゃなくて魔障です。今いった中のやつボクが原因です。体の中に潜んでいてなにかのメッセージを伝え終えると消えるらしいです。たぶんWebにログインしたのも中のやつこいつです」


 「そ、そうなんだ?」


 「はい。そうです」


 「じっさいに沙田くんの魔障その症状を見たの初めてだったから……」


 「まあ、今は目薬で症状を抑えてますので。じゃあ失礼します」


 「えっ、あっ、うん」


――――――――――――

――――――

―――


 繰は独りさまざまな思いを抱えていた。


 (沙田くんがどうして儀式のことを知ってるんだろう? 仮になんらかの理由で儀式のことを知ることはありえる。でも儀式をおこなったときに和紙の上を紙魚が歩いてたのはたった一度しかない。そうそれは真野絵音未を生み出したたった一度のあの日・・・だけ)


 繰は両手で髪を掻け上げた。


 (……だってあの場所にいたのはうちのお父さんとお母さん。それに九久津くんのお父さんとお母さん。さらに真野家のおじさんとおばさん。最後はそこに立ち会った雛のお父さんである社宮司。そして私。あ……あとのひとりは……堂流だけ)


 繰がおもむろに壁の時計を見た。 


 (考えごとしてるうちにもうこんな時間。Webのログインに使ったあれだけの桁数のアルファベットと半角英数字を偶然に並べてログインできるわけがない。いったい何通りの組み合わせがあるっていうのよ? 即席であの並びは作れない。さらに升教育委員長の一言。ログインに使ったIDとパスは堂流のもの。升教育委員長の言葉が意味することっていったい?)


 繰は髪の毛をグシャリと握る。


(どうして沙田くんが堂流のIDとパスで? それにさっきの{たぐ}って話しかた。そこに{りさん}がつけば堂流がいつも私を呼んでたイントネーションに近くなる。でも堂流と沙田くんと直接の接点なんて……鵺。あの日くらいしか思いつかない)


 繰はここで頭の中をいったん切り替える。


 (他の校長たちはバシリスクを退治した翌日にメールをくれたけど佐伯校長だけは今日の直電ちょくでんか。そういえばバシリスクが出現した当日も電話をくれたのよね? 言葉で直接いいたいタイプなのかしら? でも本当の意図は株式会社ヨリシロうちの株のこと。電話越しで会社の経営状況や財務状況なんていえるわけない。蛇も金銭で動いてる可能性が高いのよね。ただ株式会社ヨリシロうちの時価総額がゼロになったとしても蛇にとってはたいしたダメージにはならなそうだけど)


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