第165話 隠蔽~消えた魔鏡 【ディオ・スペッキオ】~

 一条がジーランディアに上陸する一時間前。


 「一条さん、あと一時間弱です」 


 ピエトロは船内で物思いにふけっている一条の元へ時間を告げにやってきた。


 「わかった。世界中連れまわして悪かったな?」


 「いいえ」


 ピエトロはゆっくりと首を横にふった。

 その挙動に社交辞令の意味はいっさいない。


 「けど、ピエトロ。おまえイタリアのアヤカシ対策部のコーディネーターだろ? 管轄外れすぎじゃねーの?」


 「一条さんにはお世話になっていますし」


 「気にすんな」


 「……うちの父が失脚したときボクの家族を気にかけてくれたのは一条さんたちだけです。当局はすぐに手のひらを返しました。ボクら一家がどれだけ苦労したことか……」


 「おまえも大変だったな。……まだ……見つかってないんだろ?」


 一条はピエトロの手を一瞥いちべつした。

 ささくれた指とあかぎれはピエトロが寝る間も惜しんで家族を養ってきた証だ。


 「はい。いまだ行方は掴めていません」


 「イタリアのレベルファイブの忌具。【ディオ・スペッキオ】……」


 「イタリアうちの政府はいまだ紛失を認めていません。これからも認めることはないでしょう。イタリアの国防省で忌具保管庫の責任者だった父だけが責任を押しつけられて終わりです」


 「どこの国でも同じだ。国のメンツってやつさ」


 (そんな世界だから負力は倍倍ばいばいで増えてくんだろうけどな)


 「……国のためなら個人やその家族なんてどうでもいいてことなんでしょうね?」


 「集団を守るためって大義名分。公表するリスクをとるかわずかなリークの危機に備えるか……。隠してたほうが騒ぐ人間にんずうはすくない。小さなゴシップていどなら情報操作で封殺することも楽だろうしな」


 「それでもボクが潰れなかったのは一条さんたちのおかげです」


 「おまえは立派だ。本当にあの苦労によく耐えた」


 (……俺は心からそう思う。憎悪と復讐心だけを心の拠り所にして誰かを傷つけるためだけに生きてる能力者が今、モンゴルにいる。妖刀による歴史的な広域指定災害魔障。殺陣さつじんを引き起こした能力者が)


 「それも一条さんのおかげです」


 「いや、俺っていうか鷹司のおっさんが日本でそこそこの力を持ってるからイタリア政府と交渉したんだろう。ああ見えておっさんは情に厚いし」 

 

 一条は気象庁からの回答を国立六角病院の九条にFAXした翌日に日本を出発った。

 その飛行機の中で考えていたのは九条の頼みごと【密室での四仮家の金銭授受問題】と【九久津堂流データの削除】のふたつだ。


 一条は長いつきあいで鷹司のことをおおむね理解している。

 鷹司がなぜ九久津堂流のデータを消したのかそれは物事を単純化しただけで意外と簡単に解けた。

 もっともこれは一条が日本を発つその日にフランス当局経由で一条の耳に入ってきた九久津堂流の排斥召喚はいせきしょうかんという言葉のおかげだ。

 それを踏まえたうえで鷹司の思考や行動パターンを読めばわかることだった。

 ただしそれは鷹司が至極単純しごくたんじゅんな思考回路と突発的な行動をとる人物ではないという前提条件があってはじめて成立する。


 もし一条が鷹司と同じ立場でその真相を知っていたならまったく同じことをするだろうと思った。

 あの処置は己の地位を保身するための奸計かんけいではなく九久津堂流の矜持きょうじのためだからだ。


 ただ一条には九条に伝えていない空間掌握者ディメンションシージャーゆえの疑問もある。

 それは九久津とバシリスクの戦闘時に亜空間でありえない爆発がおこったことだ。

 その威力はあまりに大きく一条に九久津毬緒が悪魔と魔契約をしているのではないかという懸念を抱かせるまでにいたった。

 さらに九久津が召喚憑依能力者のキャパシティを無視した召喚憑依を繰り返していたことも猜疑心を強めることに拍車をかけた。


 一条はとくに九久津のカマイタチの連続召喚は限度を超えていると思っている。

 たしかに召喚憑依能力者のキャパは外的要因で増減することはよく知られた事実だが、一条自身の経験則では召喚憑依能力者のキャパシティは魔契約では増えず逆に圧迫するのではないか?という二律背反にりつはいはんの考えにいまだ頭を悩ませている。


 「鷹司官房長にもお世話なりました」


 ピエトロは深々と頭をさげた。

 それは一条を通して鷹司にも礼をいっているようだった。

 ピエトロはイタリアの政府人事に日本たこくが干渉するのがどれだけ大変なのかを知っている。

 それはすなわち内政干渉だからだ。

 そしてそれが成立した裏には非公式でありながらそれ相応の対価を払ったであろうことも理解している。

 けれど鷹司がいったいどんな方法を使ったのかは知らない。

 一条またもそれを知らない。

 一条にとってはピエトロがこのように仕事をしている、ただそれだけでよかった

からだ。


 「おっさんに頼めることなら頼めばいいんだよ。ただな」


 一条の――ただな。のイントネーションはすこしだけよどんでいた。


 「なんですか?」


 「今、日本でもそれに近いことが起こっててな」


 「近いこと……? どんなことですか?」


 「忌具が動き回ってるらしいんだ」


 「い、忌具が?」


 「そういうことができる能力者なのか? あるいは忌具自身が自分の意志で動いてるのかはまだわかんねーけどな」


 「……忌具が動くなら【ディオ・スペッキオ】が動いた可能性もあるってことですか?」


 「可能性だけでいうならあるだろうな。そういや保管庫内の紛失した忌具の空白あきはどうなってんだ?」


 「えっと。聞いた話だとレプリカでごまかしてるとか」


 「レプリカ……か。ただあまりにチープなレプリカじゃ偽装にもならねーだろ?」


 「精巧なレプリカらしいですよ」


 「精工たってそんなの誰が造ったんだ?」


 「……これからいく場所にいるみたいです」


 「ジーランディアに忌具のレプリカを造れるやつがいるってのか?」


 「はい、そう聞いています。腕のいい職人かなんかでしょうか? あの大陸の中のことはボクにはあまりわからないですけど」


 (ジーランディア大陸……この世と真逆の世界……。それでも表の世界と持ちつ持たれつで存在を許されている。いや人のエゴがそれを必要としてる。終末時計とも連動した世界のごみ箱・・・・・・


 「レプリカはいいけどよ。【ディオ・スペッキオ】本体の装飾アルファベットは?」


 「発動していない以上文字は浮かび上がっていないと思います。よく忌具辞典などではサンプルとして適当なアルファベットが描かれていますけど。ですのでレプリカに文字はないと思います」


 「もしかしたら文字が浮かび上がったままの【ディオ・スペッキオ】がこの世界のどっかに放置されてるかもしれねーんだな?」


 「紛失した以上どんな可能性だってあると思いますね」


 「けど、どうやってイタリアの忌具保管庫の厳重な警備をかい潜って【ディオ・スペッキオ】は消えたんだろうな?」


 「見当もつかないですけど……あのころは各国能力者の交流会もさかんにおこなわれていましたし忌具保管庫の視察で内検ないけんも多かったですから」


 「時代だな。まあ、内検でレベルファイブまではいかねだろうーけど。なんにせよ今よりセキュリティがゆるかったのはたしかだ。国外のやつがなんらかの方法で持ち出したってこともありえなくはない」


 「どさくさにまぎれてってことですね? けど持ち出す側だって相当な覚悟がないと……」


 (日本で動いてる忌具もレベルファイブのレプリカだと仮定すると絵画はスーサイド絵画。藁人形は呪術人形か……。けどどうやってレプリカの証明をするかだな? 二条どうする? あるいはレプリカじゃない悪魔の証明をするか。各国の規定も厳しくなった現在いまじゃそう簡単に忌具保管庫はひらけねーぞ?)

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