逃げたウサギのための推論 【後編】
俺がテーブルにつくと、シスター・エラーンが新しいお茶を用意してくれた。
隣にいるシスター・ケイトが、メモ用紙に先ほどの通信内容を書きだす。
『3か月前に逃げたウサギに心当たりがある者は、急ぎ、ブラウンモールのクレッグまで連絡をくれ』
「これで間違いないですよね」
渡されたメモを見て俺が頷くと、シスター・ケイトは嬉しそうに微笑んだ。
「それでディーン様、どこが『おかしい』のでしょう?」
「そうだな、その前に情報を整理しよう」
俺は皆の顔を見回して、同意を得る。
できるだけ全員参加で、楽しくやるべきだろう。
これは、午後のお茶会を盛り上げるための……
――余興なのだから。
++ ++ ++ ++ ++
「まずこの文面から、クレッグ司祭が連絡を求めていることが分かる」
俺がシスター・エラーンの入れてくれたお茶を飲みながらそう言うと。
「それは…… あたしにも分かります」
微妙にシスター・ケイトの口調が冷たくなった。
「いや、こういうのは分かっていても。
ひとつひとつ確認することが大事なんだ。思い込みからのミスが、致命傷になることだってあるからな」
そう説明するとなんとか理解してもらえたようで、全員がかるく頷く。
「続いて情報の確認だが。
ハンドリーさんは、『こんな時刻に珍しい』とおっしゃいましたね」
俺の質問に。
「ええ、この通信機が動いていた頃は朝6の刻か、夕6の刻に通話が入ることが多かったです。日中はなにかと忙しくて、司祭室にいないことが多いですから」
そう答えてくれた。
「次は修道女の脱柵だが、ナタリー司教はあきれていた。それはなぜですか?」
俺がそう聞くと。
「国教だった時代は修道院に通う子も多くて。
授業もしつけも厳しかったから、逃げる子も多かったの。
でも今はのんびりしてるというか……
まあ、甘いのよ。そこから逃げ出すようじゃ、所詮使えないヤツだろうって」
「つまり、脱柵は今どき珍しいと」
俺は一番年下のシスター・エラーンに、話を向ける。
「あっ、はい。在学中に、脱柵なんか無かったですね。
3か月前なら、あたしが卒業してすぐだと思うので……
誰だろう? そんな後輩には心当たりがないです」
申し訳なさそうに話すシスター・エラーンに、俺が笑顔を向けたら。
なぜかシスター・ケイトの肘が、俺のわき腹にめり込んだ。
俺は気を取り直して。
「ここまでの情報をまとめると、クレッグ司祭は危機的状況なのかもしれない」
そう、説明を続ける。
「どうして、今の情報でそんなことが分かるの?」
ナタリー司教が真面目な顔で聞き返すから。
俺は苦笑いをして。
「これは俺の勝手な推論だから、適当に聞いてほしい」
説明を始めた。
「クレッグ司祭は、ブラウンモールの教会にいる。
そこで誰も聞かないかもしれない時刻に、『急ぎ』と念を押して、機密保持回線を利用して、3か月も前に逃げたウサギの情報を求めた。
もうこれは、異常事態だ。
しかもウサギはここ最近逃げ出していないのなら……
――状況は複雑で、より危険な状態だと分かる」
「ディーン様、さっぱり分かったような、分からないような。
――意味不明な状態です!」
シスター・ケイトが不思議そうな表情で、俺の顔を覗き込んだ。
その言葉が既に、俺には意味不明だが……
しかもちょっと、顔が近すぎる気もする。
まあ、途中をはしょり過ぎるとよく言われるし。
子供の頃から説明が苦手だが…… しかたがない。ここは彼女達のお茶会のためにも、頑張って話してみるか。
「それじゃあ修道院を出た少女を起点に、順を追って推測してみよう。
彼女は、逃げ出したかったんじゃなくて、なんらかの目的があって修道院を出なくてはいけなかった。
そしてブラウンモールまでたどり着き、クレッグ司祭と出会う。
――ここまでは、問題ないか?」
「まあ、それならなんとなく分かるけど……
その修道女の目的ってなんだったのかしら?」
ナタリー司教が、首をひねる。
「あくまで推測だし、話の本筋はそこじゃないから。今回は『目的があった』で、とどめておこう」
俺がそう言うと。
「でも修道院から逃げたのに、ブラウンモールの教会へ行くなんて。
……変な話ね」
ナタリー司教が、さらに質問をしてきた。
「だから逃げたんじゃなくて目的があったと考えてる。そして、その目的にクレッグ司祭も賛同した」
そこまで話すと、ハンドリーさんが。
「クレッグ司祭が賛同したと考えるのはなぜでしょう?
彼は真面目で、教会内でも有名なほど信心深い方です。少女にどんな理由があったか分かりませんが、彼なら。 ――きっと修道院に戻るように説得したはずです」
そう、質問してきた。
「賛同したと考えたのは、3か月間、彼がこのことを誰にも話していないからです。そうじゃなきゃ、今頃至急の連絡なんかしない。
それにクレッグ司祭がそのような方なら。
少女の目的自体が、教会の教えに背いていない。
あるいは、教会のためになるものだったのかもしれません」
俺の説明にハンドリーさんは頷いて、そっとお茶を口にした。
続きを聞きたそうな表情だったので。
「そして少女は帝都に移動し。3か月して……
――少女を探す誰かが、ブラウンモールの教会におとずれた」
俺が話し始めたら。
「ストップ! また説明がすっ飛んじゃってるわ。
どうして少女は帝都にいるの?
それから教会に誰かが訪ねて来たって、どうしてわかるの?」
そう言って、ナタリー司教に睨まれた。
隣のシスター・ケイトも、不服顔だ。
「すまない、どうも説明が苦手で……
少女が帝都に移動したと考えたのは、機密保持回線をクレッグ司祭が利用したからだ。 ――今この回線が通じるのは。
聖国と、ブラウンモールの教会と、ここ。後は南部の教会なんだろう?」
「そうね、でもそれが帝都にいる理由になるの」
ナタリー司教の質問に俺が答える。
「少女は、わざわざブラウンモールまで移動したんだ。
南部に行きたかったら、初めから南に向かうはずだから、そこは除外していい。
サイクロンの教会は、以前から中継基地が破損して通信が使えない。
クレッグ司祭が、まだ少女がブラウンモールにいると考えていたら、機密保持回線なんか使わないだろう。
そうなれば、少女は初めから司祭に『帝都に行く』と伝えていたと考えられる。
ハンドリーさん、この通信機が使えなかったことはこの教会の人以外で、誰か知っていましたか?」
俺の質問にハンドリーさんは、にこやかに笑って首を振った。
「それから、ブラウンモールの教会に誰かが訪ねて来たと考えたのは。彼がこの時間に急いで通信を利用したからだ。
夕の6刻を待てない状況。
しかも教会関係者じゃないと、理解できない言葉をわざと使って。
総合すると…… 教会以外の人間で、権力がある誰かの訪問だ」
そこまで話すと。
シスター・ケイトが不安そうに。
「ディーン様、なら急いで少女を探さないと! ああ、それよりも聖国に急いで連絡した方が良いのでしょうか!」
俺の腕にしがみついた。
ムニュっと、大きな胸が押し付けられると。
ハンドリーさんは見なかったふりをしてお茶を飲み。
ナタリー司教の顔が引きつり。
……シスター・エラーンの表情が、また青くなった。
「あくまでもこれは、時間つぶしの推論だよ。
憶測が多分に含まれてるし。
たしか、俺の無能を証明するためのゲームだったような」
途中から微妙に脱線した気もしないではないが。
「じゃあ、最後に。 ――ブラウンモールの教会を訪れた人物は誰?」
ナタリー司教がため息交じりに聞いてきた。
まあ、昼下がりのお茶会の話題としては、少々物騒だったかもしれない。
俺は反省しながら。
「もし、このバカげた推論が全部あってるなら。
今頃ブラウンモールの教会は、帝国の兵に囲まれてるさ」
そう言い放つと、司祭室に微妙な笑顔が漂った。
――やはり、俺はどこかでなにかを間違えたようだ。
++ ++ ++ ++ ++
少々しらけてしまったお茶会が終わると。
俺は早速、聖国への通信を始めた。
機密保持回線のチャンネルは2種類しかなく。
ひとつは『全体放送』で、先ほど受信した音声がこれだ。
そしてもうひとつが、教会本部への直通で。
今回これを利用して事前にナタリー司教の件と、大型魔法陣の相談を行い。
聖国に向かう予定だ。
相談できる相手も限られているので。
都合を聞いて、再度連絡し直さなきゃダメだろうと思っていたが。
「フェーク枢機卿でしたら、ただいま教会本部にお見えになりますが。
緊急事態が起きているようで、おつなぎできるかどうかは分かりません。
少々お待ちいただけますか?」
ばーさんは、珍しく本部にいたようだ。
そして、しばらくしたら。
「ディーンさん? もー、久しぶりねー。
いまちょーっと、バタついちゃってー。あんまり時間が取れないんだけどー。
なにかな? ケイトちゃんとの結婚のそーだんなら。
いますぐのるけどー?」
通信を切りたくなるような返答がきたが。
グッとこらえて。
「ブラウンモールが危機だったら、そっちを優先してくれ。
俺の相談は、手が空いた頃でいい」
適当に、そう言い返したら。
「……ねえ、このブラウンモール件。
あなた、どこまでかんでるの?」
ばーさんの真面目な声が返って来た。
後ろから、息を飲むような声が聞こえてきたから。
俺が振り返ると。
そこには。
羨望の眼差しで見詰めてくるシスター・エラーンと。
手を組み、俺に祈りを捧げるハンドリーさん。
「ディーン様! 次はブラウンモールですね。
あたしもお力になれるよう頑張ります!」
決意を込めた声で叫ぶ、シスター・ケイトと。
「やっぱり、そーゆーことよね……」
深く納得するように呟く、ナタリー司教がいた。
俺の無能を証明するはずだったが……
――やはりなにかを、間違えたようだ。
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