逃げたウサギのための推論 【前編】
ラズロット聖典にある冒険譚では。魔族の男との最終決戦に立ち会ったのは、4人の供のうち『竜人族の剣士』だけだ。
聖人の供をしていた『狼族』『虎族』『闇族』は、決戦前に命を落としている。
供たちは、死の寸前に体の一部に魔力を込め『虎の爪』『狼の牙』『闇の心』をラズロットに渡した。
それが聖典に記されている『3つの聖具』。
狼の牙は、すべての物を切り裂く短刀『ガロウ』となり。
虎の爪は、すべての攻撃を防ぐ盾『アイギス』となる。
そして闇の心は魔法石『マーガ』となり、聖人の力を増幅したという。
ラズロットゆかりの品で、短刀と言えば真っ先に浮かぶのがこの『ガロウ』だが…… 稀代の封印師と呼ばれた彼は、各地で多くの呪術物を封印している。
この短刀が何なのかは、調べるのに手間がかかりそうだが。
「まず、良く知ってそうなヤツに聞いてみるか」
俺は別館に向かう足を一度止めて。
「俺たちの仲じゃないか、何をこそこそしてるんだ?」
振り返って、声をかける。
人混みに紛れていた少女がひとり、ビクリと背を震わせ。
顔を上げ、諦めたようにドカドカと大股で近付いてきた。
「いつから気付いてたんだ!」
怒ったような口調のルウルに。
「別館を出てすぐかな? こそこそしてたから、話しかけ辛かったんだ」
そう説明する。まあ、それもあったが……
先を急いでいたのが、最大の理由だった。
「珍しくオシャレして、朝早くから出かけるから。
――なんだと思ってさ」
オシャレ? 確かに無精ヒゲは剃ったし。司祭服は、サラが手入れしてくれたんだろう。シワひとつなく、パリッとしているが。
「初めて訪ねる場所だったからな、失礼が無いように気を使っただけだ。
それより用事は済んだのか? もう少し遅い時間に合流すると思ってたが」
「大丈夫だよ、用は済んだ。そのことで話があるけど」
重要なことなんだろうか。
ルウルはキョロキョロと辺りを見回す。
ちょうど通勤通学の時間帯なんだろう。
街は徐々に活気が増し、通りを歩く人も増えてきた。
「なら先に、俺の相談にのってくれ」
上着をめくって、腰にぶら下げておいた短刀をルウルに見せる。
「教会の宝物庫にあったものだが、素性が分からない。どんなものか心当たりはないか?」
そして、簡単に封印の状態を説明すると。
「ちゃんと見ないと分かんねーけど…… 凄いもんだってのは、ビンビン感じるよ。ああ、こんなの初めてだ。その、触ってもいいか?」
ルウルが緊張した面持ちで、答える。
うん、腰に下げている短刀のことだよな。
「構わんが……」
「そ、そうか。なら」
ルウルはそう言うと、恐る恐る手を伸ばし。
「上からでも分かる。なんて硬いんだ、そり具合も、大きさも良い。
しかもドクンドクンと、脈打ってる」
えーっと、ルウルさん。それは短刀のことですよね?
なんか触る手つきも微妙にアレだし。赤らんだ顔と、息遣いもなんだか……
「なあルウル、そのへんで止めとこうか。なんか周りの人が」
――ドン引きだった。
もう隣を歩いていた学生風の女の子なんか……
俺を変態だと確信した目で睨んでいる。
「そ、そうだな。こんなもの、公衆の面前でさらけ出すもんじゃねえ」
さらに微妙なことを言うルウルに。
わざと言ってるような気がして、ならなかったが……
――とりあえず俺はクールに笑っておいた。
++ ++ ++ ++ ++
別館に戻ってから、ルウルに短刀を渡す。
「俺がいない場所で、鞘を抜かないでくれ。
――封印はしたが、こいつの能力がまだ完全に把握できてないからな」
ルウルは頷き。
「いくつか心当たりはあるんだ、簡単な確認ならそれでも問題ない」
そう言ってくれた。
昼食の祭に、皆に今朝の話を伝えると。
「あたしは、午後から授与式があるから行けないけど」
お嬢様が残念がる。はて? 教会に用でもあったんだろうか。
「ディーン様! あたしもついて行って良いでしょうか?
シスター・ハンドリー様は、修道院時代にお世話になったんです」
シスター・ケイトがそう言い。
「懐かしいですね。お会いできるのは嬉しいです」
ナタリー司教がそう答え。
2人を連れて行くとして…… ふとリリーの顔を見ると。
「ふん! 我は飯を食い終わったら、またしばらく寝る。
勝手にどこへでも行くがよい!」
そっぽを向きながら、そう言った。
なぜか機嫌が悪い。俺が何かしたんだろうか? 心当たりはないんだが。
「じゃあ、早速3人で出かけるか。聖国への連絡が済めば、帝都でやらなくてはい事も終わる。そうすればいよいよ」
聖国での、決戦が始まるのだろう……
――俺はそこで言葉を飲んで、そっと食後のお茶を口にした。
++ ++ ++ ++ ++
教会の機密保持回線は古い通信魔法具で、最近の応用魔法を使用した通信魔法板とは違い、音声のみの物だ。
通信基地局は帝国に張り巡らされているものを使用しないし、暗号化も独自の計算式で行う。そのため、盗聴の危険を回避できる。
時代遅れだが…… ある意味優れものだ。
「うちの教会のも、使えると助かるんだが」
俺が司祭室に設置された機密保持回線の魔道具が、動くかどうか確認していると。
「先の戦で、この通信魔道具の基地局がいくつか破壊されたままで。復旧のめどが立ってないんですよ」
ナタリー司教がお茶を飲みながら、申し訳なさそうにそう言った。
司祭室のソファーには、帝都教会の2人のシスターと。ナタリー司教、シスター・ケイトの4人が座り。
テーブルにお茶セットが並べられ……
――すでに和気あいあいとおしゃべりが進んでいた。
なにげなく会話に耳を傾けていて、分かったが。
ハンドリーさんの賛美歌は、特にアドリブのソロが有名で、大きな式典で聖国王の前でも歌い。
陛下から直接、お褒めの言葉もいただいているそうだ。
そう考えると、今朝の即興の作詞も頷ける。
――頭の回転が速い人なんだろう。
「ナタリー司教の元気な顔が見れて、ホッとしています。
お話を伺えば、これもディーン司祭の機転があってこそ。今朝の件と言い……
素晴らしい方が、転神教会に来てくれて。
――嬉しい限りです」
ハンドリーさんがニコニコと笑いながら、話を振ってきた。
俺は通信魔道具を操作しながら。
「司教の件は、マーベリック伯爵のおかげですし。今朝のことも……
ハンドリーさんの勇気と知恵があってこそ。
――あの歌がなければ、こうはいきませんでした。
俺は、たまたま運がいいだけですよ」
そう答えるとソファーの女性人たちが顔を見合わせ、クスクスと笑い始める。
まあ、女ばかりの中で男がひとりだと、だいたい肩身が狭いものだ。
なんとか通信機に魔力が通り、チャンネルを合わせていると。
「ディーン様はいつもこうなんですよ。謙虚というか……
それに、あまりご自分の話をされないんです」
シスター・ケイトが、すねたようにそう答える。
「隠す程のことも無い。俺の過去なんてつまらないもんだからな。
それに、本当に運が良かっただけだ」
もう一度俺がそう言うと。
『3か月前に逃げたウサギに心当たりがある者は、急ぎ、ブラウンモールのクレッグまで連絡をくれ』
教会の機密保持回線から、やっと音声が流れてきた。
「おかしいな、説明書通りに設定したのに…… 混線でもしたんだろうか?」
俺が首を捻ると。
「あらあら、こんな時刻に珍しいですけど。それは教会の通信で間違いないですよ。クレッグ様は、ブラウンモールの司祭様ですし。『ウサギが逃げる』は、修道院で使う用語というか……
――まあ、恥を隠すための言葉ですから」
ハンドリーさんが微笑みながら、そう答えてくれた。
「ディーン司祭は、修道院の出身ではないから知らないでしょうが。修道女が
ナタリー司教が、つまらなさそうに補足する。
「修道院の周りには、2メイルぐらいの高さの柵があって。修行が嫌になっちゃうと、そこを飛び越えて逃げるので。 ――
なんか家畜みたいな呼び方ですけど」
シスター・ケイトも恥ずかしそうに、説明を付け加えてくれた。
なるほど、それなら教会の通信だと頷けるが。
「だがこれは、おかしい」
なにか違和感がぬぐえない。
俺が悩んでいたら。
シスター・ケイトが、テーブルに両手をついて乗り出し。
「ディーン様、そのお顔です! そうやって考え始めると、どんな謎も危機も乗り越えちゃって。皆を助けちゃうんです」
大きく開いたシスター服の首から、こぼれ落ちそうな胸がブルンと震えた。
「確かにそうですね。あたしの時も…… そんな感じでした」
女給服を着ているナタリー司教が、腕を組んでニヤリと笑う。
都合、大きな胸が持ち上げられて、こっちもこぼれそうだ。
それを見ていたシスター・エラーンが、大人しそうな顔を驚きに染める。
顔色が、髪と同じぐらい青くなってる気がした。
まあ、気持ちは理解できる……
――あの2人のおっぱいは凶悪だからな。
「なにか気がかりなのでしたら、理由を教えていただけないですか?
2人がそう言うと、なんだか不安でして」
ハンドリーさんが、少し楽しそうに呟く。
ひょっとしたら……
久々の教え子たちとの会話を、楽しんでいるだけかもしれない。
「そうです! ここでディーン様の素晴らしさを証明しましょう」
しかし、シスター・ケイトがおかしな方向へ暴走し始めた。
両腕に挟まれた胸がムニュと形を変え、こぼれてしまいそうだし。
「本当に俺は運がいいだけだ。周りの連中がしっかりしていて。
たまたまそれに乗っかることが多いから、勘違いされるだけでね」
なんとかなだめようとしたら。
「それではディーン様の『おかしい』と思うところを教えてください。
そうすれば、証明できます!」
珍しく、シスター・ケイトに追撃される。
「俺の無能の、証明でいいのか?」
念押しすると。シスター・ケイトもナタリー司教も、満足げに頷く。
司祭室の時計を確認すると、夕の3刻を少し過ぎたぐらい。
あと帝都でやらなくてはいけないのは、この通信を利用して聖国に連絡するだけだ。
なら、この変な挑戦を受けるのも悪くないだろう。
古い師に集う、女性たちの和やかな時間を邪魔するほど、無粋にはなりたくない。
俺は仕方なく……
――逃げたウサギのための推論を、語ることにした。
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