帝都脱出

揉んじゃってるし

目を覚ますと、俺の手を……

――小さな手が握りしめていた。


「下僕よ、起きたのか?」

リリーの声にそちらを向いて、俺は少し安心する。


「良かったよ、ちゃんと服を着ていて」

そう言って苦笑いしたら。


「主は我をなんじゃと思っておる!」

そっぽを向いて、不貞腐れてしまった。


「また…… 何故ここにいるんだ」

辺りはまだ薄暗く、リリーの表情もぼんやりしている。


「下僕のうなされておる気配がしてな。

それに、あの阿呆の魔力も漂っておった。

ラズロットの奴が、お主に悪さをしておるんじゃないかと。

――気になってな」


窓の明かりを確認すると、薄く朝日のようなものが入り込み始めていた。

この季節の帝都なら、日の出は5の刻を少し過ぎた頃だ。


「心配かけてすまなかった。

……長すぎた眠りからは、もう目覚めたよ」


俺が、まだ不貞腐れているリリーの頭を撫ぜると。

頬を膨らませながら。


「下僕が寝てから、数刻しかたっておらん!

長すぎると言うほどのモノではないじゃろう」

怒ったように、言い放った。


「そう言う意味じゃないんだが……」

俺が説明しようとしたら。


「ラズロットの阿呆から、何を言われたが知らんが。

そもそも今回の件で、下僕の力を借りる気はない。

――これは、滅びゆく種族の運命じゃ」


柄になくシリアスな顔つきに、ついつい笑いそうになる。

リリーにこの表情は似合わない。


「いちいちそんな事は気にするな、俺はおまえの下僕なんだろう。

ご主人様の笑顔のために、必死になって働く。

それに…… なんの理由も必要無い」


この件は、どうやら他人事でもなさそうだし。

もう俺の手から、こぼれ落ちるように…… 愛する人を失いたくはない。


ラズロットの手によって、よみがえった記憶と。

今までの出来事…… そして、カルー城での戦い。

クライの話をまとめて行くと、それがひとつに繋がる。


「俺は、運命なんて信じちゃいないしな」

そう言って、ベッドから這い上がった。


「下僕よ……」


途切れるような言葉に。俺はリリーを、そっと抱きしめた。

痩せた身体は、少し震えていて。微かな息遣いが聞こえてくる。


「お主まで、聖人を気取って。

種を救うために、我の前から消えるのか」


「勘弁してくれ、俺は聖人なんかじゃない……

しかしもう、ただのおっさんとも言わない。

手の届く範囲で良い。これ以上、周りの奴らが悲しまないように。

そうだな、まず司祭としての務めぐらいは果たそう。

それと、お前の下僕としての働きぐらいはするさ。

――自分自身のためにな」


俺が手をはなすと、リリーはやっと笑ってくれた。

「下僕らしい言い分じゃな」


そう言うとリリーは顔を上げ、少し悩んでから、首を少し傾け。

ゆっくりと目を閉じた。


まだ早朝だ、きっとこいつも眠いのだろう。


「聖国へ行く前に、やっておきたい事が幾つかある。

帝都の教会へ顔を出したいし。

聖国への正式な連絡もしておきたい。

――今日は忙しくなりそうだから、はやめに準備に取り掛かる」


俺はリリーから離れ、大きく背伸びをして、そう言うと。


「お、おう。そうか」

リリーは、照れたようにあたふたし始めた。


パジャマ代わりに着ていた稽古着を脱ぎかけて。

興味津々な顔で、こちらを見ているのに気付く。


「そのー、なんだ。着替えるから、部屋を出てくれないか?」

「ん、あ、そ、そうか……」


何故か残念そうな顔で、とぼとぼと去ってゆくリリーを見送って。

司祭服に着替え、書棚にしまった聖典を取り出す。


奥付には歴代の司祭の名前が記されている。

俺はペンを取り出し。


「まず司祭としての覚悟を、決めておくか」



スムア・サリエーリと書かれた下に……

――ディーン・アルペジオと、自分の名前を書き足した。



・・・ 別邸の中庭で ・・・



「アオイさん、確認は取れた?」

ボロボロの魔導士ローブを着た、30代後半の男が語りかけた。


「間違いない。高出力で純度が高い聖力ホーリーと。

たぶんユニークスキル……

――それもかなり強力なものが、解放された。

聖人が復活したと考えても良いと思う」

その横で浅黒い肌の、森人特有の尖った耳をもつ美しい女性が答えた。


「あの女の子は?」

「……まだわからない。

出力は上がっているし、龍力なのは間違いないけど。

伝説にある古龍には、ほど遠い」


男はその美しく整った顔を、楽し気に歪め。

「ついに、時が動いたか……

待ちわびたよ。これで真実の扉に、一歩近付いた」

そう呟く。


「じゃあ、そろそろ帰ろう。 ――お腹が減った」

アオイと呼ばれた女性がそう言うと、足元に移転魔法陣が浮かび出る。


男がその魔法陣に足を踏み入れると、跡形も無く2人の姿が消え。

その横の庭木の陰から、4つの犬耳がぴょこんとあらわれる。


「ルウルちゃん、バレなかったと思う?」

「大丈夫じゃねーか? バレてんなら、攻撃されただろ。

勇者達に、あたいらを見逃す理由がねーからな」


「そっか、ならあたしはクライにこの事を知らせに行くからっ!

ルウルちゃんは、ディーン司祭様に話しといてっ」


「はいはい…… ほどほどにしとけよ。ラララ」

その言葉を最後に、2人の気配も消え。



中庭は、初夏の朝日に照らされ……

――鳥たちのさえずりが戻ってきた。



++ ++ ++ ++ ++



8年ぶりの帝都は、随分様変わりしていたが。

その教会の荘厳な佇まいは、時間の流れを感じさせることが無かった。


しかし、朝のミサが始まっているだろう時間帯でも。

教会に人の気配は無く、道行く人々も正門の前をただ通り過ぎるだけだ。


俺が正門をくぐると、ひとりの年老いたシスターがあらわれた。


「これは…… どちらの司祭様でしょう」

そのシスターが、そう言って祈りのポーズを取る。

服装を見て判断したのだろう。


「初めまして、サイクロン領の司祭になりました。

ディーン・アルペジオと言います」

俺も祈りの姿勢をとると。


「まあ、サイクロンの……

お噂は伺っております。人手が足りなくて、お構いもできませんが。

――どうぞお入りください。

申し遅れましたが、この教会を預かっています。

ハンドリー・マレアと言います」

彼女は、そう言って教会の中へ俺を案内してくれた。


「ハンドリーさん。

ひょっとして、この大きな教会をひとりで切り盛りしてるんですか?」

がらんどうの教会は、俺たち以外に誰もいなく。

むなしく足音だけが響く。


「いいえ、あと若いシスターがひとりいますが。

彼女は今手が離せなくって」


「問題なければ、事情を聴いてもよろしいですか」

ナタリー司教の件と、聖国への連絡のために来たが。

やはりこの状態は、想像を超えている。


いくら転神教会が国教を外され、教徒の足が遠のいてるとは言え……

帝都でこの惨状は、異常としか思えない。


「実は……」

ハンドリーさんは少し悩んでから、事情を話してくれた。


教徒からの寄付金が途絶え、やりくりが困難になってから。

様々な問題が起きたが……

この教会の最大の悩み事は『呪術物』だった。


「転売が可能なものは真っ先に処分し。

次いで持ち運びができるものは、聖国に引き取ってもらいました。

しかし長い歴史の中では、動かすこともできないものがありまして」


最大人口を誇る帝都で、長く国教を務めたこの教会では。

多くの宝物や、呪いの品が預けられたそうだ。


「それはどのような物なんですか?」


「愚者の短刀…… そう呼ばれていますが。正式名は分かりません。

言い伝えでは、持ったものを操り。人の血を求めて多くの命を奪ったとか。

現在は、教会の柱に封印されていますが……」


その柱を壊すと教会自体が崩れかねなく、運び出しが不可能で。

しかも短刀は柱から抜くこともできないそうだ。


人語を話す剣や、人を操る魔道具の噂はよく耳にするが。

――そのほとんどはデマで、実際と異なることが多い。


「見ていただいた方が、早いでしょうね」



俺はハンドリーさんに連れられ、教会の地下……

――旧宝物庫へ足を向けた。



++ ++ ++ ++ ++



「もう、なにすんのよコラ!」

宝物庫の中から、若い女性の声が聞こえてきた。


「シスター・エラーン、扉を開けて良いですか?」

ハンドリーさんの声に。


「シスター長…… あっ、良いですよ」

中から返答があり。


ため息交じりにハンドリーさんが扉を開けた。

宝物庫には、処分に困ったであろうガラクタが隅に積まれ。

中央の柱には、短刀が刺さっていて。


金髪に碧眼の元気そうなシスターが……

――20歳ぐらいに見える、青髪の色っぽい女の妖魔に押し倒されていた。


妖魔は、恍惚とした表情でシスターの胸を揉んじゃってるし。

シスターの服は乱れ、例の純白のパンツも全開だ。

艶やかな2人の太ももに目が釘付けになっていたら。


妖魔が不思議そうな顔で俺を見た。

その瞬間、金髪のシスター。たぶん彼女がエラーンさんだろう…… が、手に持っていたホウキで、妖魔を殴り倒す。


そして、短刀の下にあったダイヤル式の暦をまわし、日付を変えると。

……妖魔の姿が消え。


シスター・エラーンは、乱れた服装を直し。

俺の存在に気付くと、急に顔を赤らめた。


「シスター長、あの…… そちらの方は」

キョロキョロと、俺とハンドリーさんの顔を見比べながら。

シスター・エラーンは、そう聞いてきた。


俺が名乗ろうとしたら。

「サイクロンからお越しになった、ディーン司祭です」

ハンドリーさんが、先に紹介し。


俺が苦笑いすると。


「キャー、うそっ! あ、あの伝説の! やばっ、し、渋い……」

シスター・エラーンはそこまで言って、両手で口をふさぎ。

我にかえって、祈りのポーズを取った。


「エラーンと言います。その、お恥ずかしい所をお見せして……

申し訳ありません」

いいえ、朝から素敵なものを見せていただき、ありがとうございます。


「ディーンです」

俺も祈りの姿勢で、挨拶を返す。

横で、ハンドリーさんが大きなため息をつき。


「ディーン司祭、よろしければ司祭室でお茶でもいかがですか?

――いろいろと、まだ説明が必要そうですし」

そう、呟いた。


俺はもう一度短刀の刺さった柱を確認する。

そこには、見覚えのある五芒星の魔法陣があり。


シスター・エラーンは大きな碧眼をキラキラと輝かせながら。

さっきから俺を見つめていて。



確かにコレは……

――事態の説明が求められる。

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