第一夜 ①

 

 煉瓦色のアパートメントの足元。

 愛車のドアを閉めた警部は、入口脇で外灯に照らされる女性警官の背中を見つけた。

「――レイン巡査」

 呼ばれて顔を上げた彼女はハンカチで口元を押さえていた。その顔は酷く蒼褪めている。

「君達のパトカーが一番早く現着したと聞いたが?」

「あ、エドワードさん… すみません、みっともないところを……」

 彼女は口元を拭い直して敬礼をした。

「死体は初めてじゃなかったよな?」

「はい……しかし、あんなのは見たことも…聞いたことも……」

 聞いたことも、という言葉にエドワードは面色を変える。

 特殊な殺人現場マーダーケースに関しては警察学校で過去の事件を幾つも学ばされる。また、配属後に新人はベテランと組まされて巡回をこなしながら自然と経験談を聞かされていくものだ。それも、あまり褒められた事ではないが大抵のベテランは“自分の知るとっておきの話”というのを新人にしたがる……特に女性警官に。

 しかし、彼女の口ぶり、有様。

「まだ“凄惨”としか報告を受けていないが相当の状況ということか…… 他には?」

「ええと、現着時、部屋の外に一人青年がいました。どうやら住人の身内のようですが……酷く混乱していてまだ詳しい話を聞けていません」

「その青年は?」

「ひとまず管理人室で休ませています」

「分かった。君は彼のそばに居てやれ。落ち着いたら個人情報だけでも聴取しておいてくれ」

 はい、と再び敬礼をして建物へ戻ろうとする彼女をエドワードは呼びとめる。

巡回コンビパートナーのトーマスは?」

「少し前に現場へ

 ベテランもか……と、彼は改めて気を引き締めた。


 12月25日深夜。

 聖誕祭クリスマスを迎えてまだ2時間しか過ぎていなかった。



  ~

 

 

 12月24日、夕刻。世間はクリスマスイヴに賑わっていた。

 普段の数倍に飾られた街の明かりがジェレミーの瞳の中で赤や黄色や青に瞬いている。彼の鼻から漏れる『LAST CHRISTMAS』は半ば自虐的な音色で風に溶けていき、両手で抱えるケーキの箱はヤケクソ気味なほどに大きかった。

 アパートメントの5C号室……5階に上がって3番目の部屋に辿り着くと、鍵も出さずにノブを捻る。

 ドアはさも当然のように外へと開いた。視界と比例して音楽の煩さが膨らんでいき、ジェレミーは苦笑いにも似た表情を浮かべながら中へと入った。

 

「やっと来たか! もう準備出来てるぜ。あとはケーキとついでにお前待ちだった」

 コントローラーを手にマシューが振り返る。その隙にTV画面の中では彼のキャラが撃ち殺されてドラマチックに膝から崩れ落ちていく。

「俺がついでかよ」

 ジェレミーはまさにメインに相応しいサイズのケーキを箱のままテーブルの端に置いた。それ以外の部分にはところ狭しとチョコやスナック菓子が散乱し、ピザの箱が3つ積まれている。この光景がマシューのいう「準備万端」だろうか?

 キッチンの奥で音が聴こえジェレミーが首を伸ばすようにして覗き込むと、ちょうどエディが缶ビールを抱えて冷蔵庫を閉めたところだった。「冷やしといたよ、始めよっか」彼が屈託のない笑みで顔をあげると、締まりの悪い眼鏡がいつものように鼻の頭にずり落ちた。

「お前らなぁ… 入ってて良いとは言ったけどまるっきり我が家の振る舞いだな……」

 呆れ顔でビールを受け取った。

 

 オーディオから流れるロックミュージックと対戦ゲームの爆音に3人の豪快な笑い声や罵り合いが溶け合い、これが普段なら両隣から上下階の住民までドアを殴りにきそうなほど騒々しい。しかし、今夜は何処の部屋もパーティーか無人の2択、あるいは普段通りに過ごしているとしても野暮は言わずに我慢してくれる日だ。度が過ぎなければ。

 ぐしゃりと潰れたビールの缶がゴミ用の買い物袋に10個は収まっている。ピザも菓子も節操無く中途半端に減り、ケーキはカットもされず思い思いにスプーンで抉られていた。

「しっかしアレだな。モテない男がこうして集まってると、クリスマスなんて神様が残した最大の罰じゃねぇかって思えてくるぜ。世界はそんなに罪深いか?」

「僕らが罪深いんでしょ」

 急に嘆きだしたマシューにエディの楽しそうな声が突っ込む。

「モテないのが罪なのか?」

 ビールに飽きてシャンパンのコルクを抜きながらジェレミーは顔をしかめた。コルクが固いのも神様の仕業だろうか? 飲む順番を間違えている罰かもしれない。

「なんかな~! こう……突然女が間違って入ってきてもいいと思わね?」

 エディのキャラにKOされたマシューがコントローラーを投げ捨てて妄想を描いた、その時だった―――。

 


「――メリークリスマス」

 


 突然かけられた低い声に3人はバネ仕掛けのような速さで振り返った。

 驚きの叫びの直後にジェレミーの悲鳴があがる。足に着地したあとのシャンパンボトルが床の上を転がっていた。コルクが抜けなかったのは幸いか。


「な、なんだテメエ…… 誰か変なサービスでも呼んだか!?」

 戸惑いながら視線を泳がせるマシューにエディは無言で激しく首を振り、うずくまるジェレミーは涙目で見上げながらエディに倣った。


 音もなく(と言っても部屋中煩いが)チャイムも鳴らさず(と言っても聴こえなかっただけかもしれないが)リビングに現れたのは赤いコスチュームに身を包んだ恰幅のいい白ひげの老人。一般的にはサンタクロースと呼ばれている住居不法侵入の容疑者だった。いや、現行犯だ。


「こんなサプライズ商法あったっけ? 何か売りに来たんでしょ?」

 エディは少し落ち着いてきたらしく、眼鏡の真ん中を押し上げながら状況を分析し始める。

 しかしよく見るとサンタがぶら下げているやたらに大きな袋は、何も入っていないと思われるほどくしゃくしゃに萎んでただの白いシーツのように引きずられていた。

 

「ふぉっふぉっふぉ…… 商売じゃないぞい? ワシは本物のサンタクロースじゃからな」

 

 3人の視線が慎重に交錯する。

 携帯電話はテーブルに1つ、ソファーの角に1つ、壁に掛けたコートのポケットに1つだ。互いの意思がワールドクラスのアイコンタクトで的確に交わされる。

 

「ふぉっふぉっふぉ…… 怪しい者じゃないぞ。プレゼントをしに来たのじゃ。それぞれ1つずつどんな願いも叶えてあげるから何か言ってみなさい」

 

 体格から考えると、自分とマシューがサンタに飛びかかってエディが携帯に飛びつくのが確実だ。テーブルは奴に近いからソファーの携帯がベターだろう。問題は奴が銃やナイフを隠し持っているかどうかだ。

 ……そうジェレミーが冷静に頭を働かせていた時、マシューが声を引きつらせながらサンタに話しかけた。「じゃあ女だ」

 2人が目を丸くして彼の顔を見る。

「俺らに一目惚れする超イケてる女の子を3人。無理ならそのままターンして出てけ」

 

 サンタは何も言わずに笑みを浮かべると、引きずっていた白い袋を互いの中間にほうった。3人はびくっと身構える。危険物かもしれないと一瞬怯えたその袋はだらしなく萎れたままだった。


「お安いご用じゃ。メリ~メリ~クリスマス!」


 サンタがそう言って床を示すように両手を広げる。

 するとなんということか、袋がもこもこと膨らみ始めたのだ。


「うおおわっ!」

「なっ、ななっ、なななっ!?」

 掛け声とは裏腹なその気色悪い光景に思わず間抜けな叫びをあげるジェレミーとマシュー。

 言葉を失って後ずさったエディはソファーにぶつかって倒れ込むが、すぐ手元に近づいた携帯のことなど聖書の文言以上に忘れ去っていた。「ジーザスジーザスジーザスジーザス……」

 

 やがて袋の口から自力で現れたのはハトや毒蛇ではなく、まさかの人間だった。

 それもマシューが要求(?)した通りの美少女が、1人、また1人と生まれて合計3人。

 この驚愕の現象の前では服を着ていないことはひとまず後回しにして然るべき問題点だった。

 その3人の“天使”はゆっくりとマシュー達に眼を向け……そしてちゃんと惚れた。

 

 

 

 

 

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