第16話:最果て


巡礼はその後、先日までの苦労が信じられないほど順調に進んだ。《メルディ》に祈りを捧げて成長させていく度に削れていくと思われたイリアの力が逆に安定してきたのである。


地上の《メルディ》が成長するということは、里の《メルディ》も少しずつ成長しているということ。そこから《月慈の民》の力が彼の腕輪を通じて供給されているようだ。出会った当初の弱々しく頼りない彼の姿はどこにも見当たらない。


しかし、対照的にジズの体調は目に見えて悪くなっていた。何を言っても上の空で、目はトロンと微睡むように細められ、ふとした拍子に足がもつれて倒れそうになることが増えた。付き合いが短いイリアもこれはおかしいと気がつき、休憩を提案するがジズは頑なに拒み続けた。


「イリアは調子いいんだろ?だったら好機じゃないか」


力のない声で微笑みながら告げるジズ。イリアは助けを求めるようにロコを見るが、彼は相変わらず涼しい顔である。ロコをよく知る人物が見たら、彼の些細な変化に気がついたかもしれないが、イリアは残念ながら気がつかなかった。


「ねぇ、ロコ。今何本目?」


「五本、巡った。次が六本目だ」


「ん、了解」


当のジズは巡ってきた正確な数も把握できないほどに意識が希薄になっていた。自分が今どこに立っていて、どのように歩いているのかも正直実感がない。また時折意識が飛んでいるのか、気がついたら景色がガラリと変わっていることもあった。


そして今、まさに景色が変わる。いつの間にか枯木が現れ、イリアが静かに祈りを捧げていたのだ。


「これが、六本目?」


「そうだ。……どうやらお前の懸念は杞憂だったようだな。イリアの調子はすこぶる良さそうだ。弱っている様子もない」


「懸念?俺、何か言ったっけ?」


「《メルディ》の封印が緩んでるなら、力をものすごく持ってかれるに決まってる、と。そう言っただろう?」


「そうだっけ……。あぁ、そうだったかもね」


よく覚えていないが、多分言ったのだろう。ジズはうわ言のように言う。そんなジズを見かねたロコは彼の腕をつかんで半ば引き摺るようにしてイリアの方へと近づいた。イリアもちょうど祈りが済んだようだ。


空気の淀みは消え、清らかな風が流れていく。それに灰白の髪を好き勝手にいじくりまわされても、ジズはやはり心ここにあらずな有り様であった。


二人はそんなジズを心配しつつも、次の《メルディ》の位置を確認するために地図を開いて話し合いを始める。


と――。


「あ……」


その時、突然発せられたジズの声は風にさらわれて消える。


――知ってる、この景色も、この道も、この先も……。なぜ気がつかなかったのだろう、こんなにも近くにあったのに。


なんの前触れもなく、突然ジズの思考が再び回りだした。しかし、その様子はいつもとは少し異なっていた。


そう、いつもであれば用心深く思考を巡らせて行動を起こすジズが、今はまるでとりつかれたかのように、己の思考よりも感覚に従ってゆるゆると歩み始めたのだ。


「ジズ!?」


イリアの呼びかけに返事はない。ただ、彼が目指す方角は確かに地図の印と一致していた。


「やっと腑に落ちた。最後はきっとあの場所だ……」


「あの場所?」


やはりイリアには応えずにうわ言のように呟くジズ。今の彼の目にはイリアもロコも映っていなかった。二人は歩み続けるジズの邪魔にならないように、彼が倒れないように支えながら先へ先へと進んでいく。


その途中でもジズはやはり呟き続ける。


「あの場所だ。きっと、そうだ。だって、あの場所は俺たちの……」


長い長い坂道の途中、ずっとずっとあの場所だ、と。


二人はずっと首を傾げていたが、やがて坂の上の開けた空間に出た時、現れた七本目の《メルディ》と共にその言葉の謎がようやくとけた。


そこには《メルディ》が確かにあった。が、その背後にはたくさんの石碑が立ち並び、重々しい雰囲気が一面を支配していた。しかもこの石碑は《メルディ》の祈りの力を高める祭壇……ではなかった。


「これは、逃げ出した者たちの墓碑だ」


「墓碑、だと?」


「太古、魔族侵攻に恐れをなし、仕えた国を捨てた《臆病者》たちが最後にたどり着いた場所……。彼らにとっての《最果て》がここだ」


ジズはロコの声が聞こえているのかいないのか曖昧な応答をしながら、《メルディ》の枯れた枝葉に視線を投じた。そしてひどく懐かしそうに言った。


「ただいま、俺たちの故郷 《コバルティア》……」


瞬間、ジズの心臓は大きく跳ね上がり、ゴホッと咳き込んだ彼の口から鮮血が飛び散った。驚く暇もなく、彼の意識は深く深くに沈んでいった。



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