第9話:幼木



リュゼの襲撃から数日が経った。小屋を拠点にして動いていたジズたちは《メルディ》に起こった変化に驚きを隠せずにいた。


「ここもだ……」


今まではイリアの祈りによって《メルディ》を覚醒させ、成長を促してきた。ところが、今目の前にある《メルディ》は枝葉を伸ばし、小さな花芽をいくつもつけていたのだ。それだけではない。《メルディ》から落ちたとおぼしき種によって、木の根本からは小さな幼木が生じていたのだ。


「あの魔族の《陰》の気が強かったからかな……」


「でも、僕はこの《メルディ》に祈りを捧げてないよ?」


「《メルディ》にとって重要なのは祈りじゃないのかもね。むしろ、祈りはただのきっかけで、《陰》の気を大量に取り込むことができれば、こうやって成長するのかも」


イリアの祈りなく成長した《メルディ》の本数は数十本に及んでいた。リュゼが取り込まれた時に見た光の川、すなわち《メルディ》の根を伝って流れた《陽》の気が《メルディ》を成長させたのだろう。木と木が根で繋がっていることは知らなかったが、巡礼後には《月慈の里》にある《メルディ》の親木に力が集まるらしい。それを考えると自然と納得はいった。


「とりあえず、この木にも星は埋めておく。成長しているから祈りは必要ないかもしれないけど、花を咲かせるための肥料になるから」


「そうしよう。……それから、この幼木なんだけど」


ジズはしゃがみこんで小さな木の芽を見つめた。《メルディ》の幼木、すなわち彼が求めて止まない《ナディ》である。まだまだ小さいが、小ぶりな蕾をいくつもつけていた。


先日、キリルとの戦闘中にイリアが飲ませてくれた万能薬は、キリルの持っていた小ぶりな《ナディ》の花を使っていたらしい。花といっても花弁は非常に小さく、五枚の花弁とがくに包まれたおしべはおおよそ四十。やくについた花粉も多く、実質花粉を使った薬だと言ってもいい。


あれを飲んで以来、体はすこぶる軽く、《種》の気配はほとんど感じられなくなっていた。ジズの体内の《陰》と《陽》のバランスが整った証拠である。あの花一つでこの効果だ。雪と樹液は採取できているので、あとは《ナディ》の花を手に入れれば万能薬の材料は整う。


「うん、わかってる。それは、ジズが持っていって」


「ありがとう」


そこでやり取りを一旦中断し、イリアは星を埋め込むべく祈りの体勢に入る。ジズがそれを見守っていると、先程から周囲を警戒していたロコが、具合はどうだ、とぶっきらぼうに訊ねてくる。彼なりの心配の仕方だ。


「平気だよ、これのおかげで大分安定してる。この魔法具いいね、ヴェーツとレオが元気になったら二人にも作ってもらえるように頼んでみよっと」


ジズは小指にはめられた銀製の指輪を見せて朗らかに笑う。それはアゲハが預かってきたコルドの魔法具だった。


外部からの《陰》の干渉を軽減できるそれは、ジズの体内の気のバランスが崩れるのを抑えるためにかなり有効だった。《種》の気配はほとんどない上に、外部からの干渉が軽減されたジズの体調は本人も驚くほど安定していたのだ。


同じものを手渡されたイリアも《月光浴》の時以外は欠かさず身に付けている。こちらも効果はてきめんのようだ。


「だからといって、無理はするなよ。前にも言った通り、お前たちに万が一があれば、巡礼はすぐに中止するからな」


「わかってるよ、ロコ。でも、あと少しなんだ。少しぐらいの無茶は許しとくれ」


困ったように笑うジズに、エレオスのことか、と痛ましげに呟くロコ。表情そのままにジズは静かに頷いた。


「アゲハに聞いたんだ。二人とも時間はもうほとんど残されていない。でも、《希望》を待って必死で生きている」


この幼木がずっと求めてきた《希望》なんだ。早く二人にも見せてあげたい。


イリアの祈りで埋め込まれた星、それは《メルディ》成長の肥料となる。根本に芽吹いた幼木にもその気は流れていく。小さな枝葉を必死に伸ばし、小さな花の蕾を一つ、二つと……。


「終わったよ、ジズ。もうその幼木を採取して大丈夫」


「ありがとう」


ジズはキリルが使っていた小瓶に、彼の持ってきた苗木と共にその幼木を植える。


キリルから託された《メルディ》の研究帳面によれば、幼木、すなわち《ナディ》の花を咲かせるためには《陽》の気と雪解け水が必要なのだという。成長しきった《メルディ》とは異なり、《ナディ》は外部からの力の干渉に非常に弱く、魔法の力で無理矢理成長させることはできないらしい。つまり、通常の植物のように水を与え、日光浴をさせることが一番の肥料なのだという。


この《希望》を枯らさぬように、大切に育てなければ、とジズは誓ったのだった。


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