第6話:託された希望


呪いの言葉を残して、リュゼの本体は根に吸い込まれていく。その瞬間だった。


大量の《陰》の気を食らった《メルディ》は、それらをその一帯に一気に吐き出した。ねっとりと絡みつくような気が辺りに流れるが、地平線の向こうに朝焼けの光が見えてくると状況は一転した。


《メルディ》は枝葉をいっぱいに伸ばして《陽》の気をたっぷりと食らい始めた。少し前までただの枯木であったそれはたちまち新芽を生じさせ、喜ぶように風に揺れてさわさわと鳴いた。


さらに、その《陽》の気が根を通じて各地に点在する《メルディ》へと流れていくのを、ジズは確かに見た。その光景は幾重にも枝分かれした淡い光の川が流れているようだった。


「《メルディ》が、新芽がっ!ありがとう、キリルのおかげだよ」


イリアが嬉しそうに振り返るが、キリルはその場に座り込み、腹部から血を流してぐったりしているサリルを悲しそうに見ていた。


リュゼを追い出すためには器であるサリルを瀕死にする必要があった。


彼はサリルに寄生するような形で体を乗っ取っていたため、宿主であるサリルが死ねば彼も道連れにできる……。覚悟を決めて放たれた魔法は、やはり最愛の弟を貫くことなどできなかった。


「苦しいだろう、ごめんな、サリル」


安心しろ、今楽に……。


そこで突然ジズがキッと目をつり上げ、キリルの頬を力一杯叩いた。小気味のよい音が響き呆然とするキリルの前に座ったジズは、サリルの口許に顔を近づけながら目線を胸元に向けた。


「呼吸、浅め。出血によるショック症状があり。ほら!ボーッとしないでこの布で止血!弟助けたくないの!?」


投げた包帯をとっさに手にとったキリルは、ハッとした表情を浮かべ慌てて包帯で傷口を押さえる。その隣でジズは目に力を集中させて全身の血流を見た。失血死にはかろうじていたらないぐらいの出血量だ、あと何センチかずれていたらとても危なかった。


ジズは腰のポーチから取り出した手袋をはめ、さらに取り出した小さな注射器で麻酔を投与した。血が止まった所で包帯をとらせ傷口の確認する。貫通はしていない。あんなに悲鳴をあげたから、もう少し酷いかと思っていたが、不幸中の幸いである。


「何をするつもりだよ、《灰蜘蛛》」


「何って、医者がすることは一つに決まってるだろ」


「……助けて、くれるのか?」


ジズはキリルに黙って笑いかけると針に《蜘蛛ノ糸》を通して縫合を開始した。


ジズの《蜘蛛ノ糸》には傷口を守り自然治癒を促進する力、また体内にとどまって血液の代わりにもなる力がある。普段は《陰》の気を優位にして粘着性と拘束性を高めた攻撃用に調整しているが、本来の使い方は《陽》の気を優位にして施す治療用の力だ。


魔法で一気に傷を塞ぐこともできるが、それはジズの命を削る魔法であるため、今使うことはできない。今倒れれば今度こそ巡礼を中断せねばならなくなる。


「縫合完了、出血量は中、《蜘蛛》を血に変える」


ジズの指から降り立った《蜘蛛》がサリルの腹部に沈む。その姿が見えなくなると同時に、彼の顔色が少しずつ赤みを帯びてきたのが見てとれた。呼吸も少しずつ安定したのを受け、ジズはホッと一息つく。


「あとは絶対安静だ。いいか?間違っても死のうとするなよ?お前は《希望》なんだろ?仲間を救うための手を見つけるまで死ぬな」


「《希望》……」


「そう、どこに在るかもわからない《希望》なんて雲を掴むような話だ。果ての果て……最果てまで赴かないと、正体はわからない」


でも、信じて待つ仲間がいるなら、君は諦めちゃいけない。だから、そうやって簡単に死のうとするな。


それはまるで自身にも投げかけているような響きを持っていた。一族の悲願を叶えるため、彼が背負い続けてきたものを知るジズだからこそかけられる言葉。キリルは拳を固く握りしめながら震える声で言った。


「俺は、《メルディ》の研究帳面を渡して、封印の手助けをした。一族を解放するどころか再び閉じ込めた裏切り者だ。生きる価値なんて……」


「生きる価値を決めるのは君じゃない」


黙ってうなだれるキリル。すると、そこでイリアが彼の目の前に膝をついた。


「ねぇ、キリル。君は僕にこの帳面を託してくれた。僕に《希望》を託してくれたんだよ。……だから、僕は僕の一族と君の一族の《希望》になるって約束する」


「何を言ってるんだ!俺たちは君たちの一族を恨み続けてきたんだぞ。今さらどうしろって……」


「だからこそだよ。僕と君が架け橋になろう。大丈夫、君たちが扉を閉めなくてもいい方法がきっとあるはず。封印の巻き添えで閉じ込められずにすむ方法を一緒に探そう?」


僕にできるのはそれだけだ。


イリアはそう言って震えるキリルの肩を抱いた。頬を伝う滴がキリルの気持ちを雄弁に語っている。


「本当に、どれだけ御人好しなんだ、君は……」


「甘いかな?」


「甘すぎる、そんなんじゃ利用されたって文句言えないよ」


「君になら利用されたっていいよ」


「だからそれが甘いんだよ……」


キリルはイリアの肩を押して体を離した。そうしてイリアを真っ正面から見据えておそるおそる口にした。


「……許してくれるの?君たちを恨み、騙し、危害を加えた俺を」


「もちろん。そして君たちの一族がどれ程僕を恨もうと、僕はそれをきちんと受け止めよう」


「そう、か……。ありがとう、本当に」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る