第九章:最果てへ……

第1話:激励



《希望は願いだ》


《最果ての希望を掴むまで、死ぬんじゃないよ、ジズ》





《希望》は《願い》


その言葉に縛られた俺たちは、悲願成就のために自身の人生を差し出して生きていく。それが例え、どんなに不可能なものあろうと、どんなに悪徳なことであろうと、どんなに正しいことであろうと、だ。


元来、願いとはあらゆる存在が持ちうるものである。それが、出自、種族、時代、思想などといった価値観の相違のせいで、この世には争いが生まれた。


争いには勝敗がある、それは自然と勝者の価値観が正しく、敗者の価値観は悪となる世界を生み出した。結果悪は正義の名の下に成敗される。


そう、俺たち《コバルティアの民》も、戦いから逃げ出した敗者たち。悪とされて地下へ閉じ込められた人間の集まりなのだ。



どうしてこうなってしまうのだろうか。願いが生むものは争いであってはならないはずなのに……。




《灰蜘蛛ノ手記》






後に手記にこう残したジズ。彼はこのような文章をしたためるきっかけとなった二人を交互に見た。片や、言葉を失い寂しげに立ち尽くすイリア。片や、壊れた人形のようにブツブツと何事かを呟き続けるキリル。


なにがあった、とは聞けなかった。きっとキリルはイリアに自分の一族の境遇について話したのだろう。そして、イリアはその真意を確めるために何かしたに違いない。彼らの表情と目の色が何よりも雄弁に語っていた。


「僕、どうしたらいいの?」


イリアが微かな声で言う。


「キリルの言うことは嘘。…でも、キリルが僕を騙そうとしてついた嘘とは思えない。きっと、騙されてるんだ。そう、きっとそうなんだよ」


どうしよう、キリルを助けてあげたい。でも…。


その先の言葉は続かなかった。だが、ジズには彼がその先に言わんとしていることが簡単に予測できた。彼はしきりに首をふってその考えを打ち消そうとしていたが、一度生まれた疑念は完全に消すことはできない。生まれてこの方、里を離れることもなく、里の通例や常識が自分の全てであったイリアの根幹が、今まさに崩れかかっていた。


そんな彼を見たジズは意を決し、ブツブツと何事か呟くキリル近づいた。すると、彼はふと呟くのをやめてこちらを見上げてきたので、ジズはその頬を力一杯はたいた。


「……っ!」


「お前、なに呆けてんだ!」


「……だって、あの方は真実だって。シーギだって、そう言ってた。なのに……」


「じゃあ確かめろよ!」


ジズが怒号をあげると、キリルは黙ってうつむく。


「お前が真実だって信じてたことが本当かどうか見極めろ!でないと、お前だけじゃなく、お前の一族全員が偽りの《希望》を夢見続けるんだぞ!それでいいのかよ!!」


「それは……」


小さく微かな声が耳を打つ。何だか無性に悔しくてたまらなくなってきたジズは金の双眸を揺らしながら、言い聞かせるように続けた。


「もし、俺がお前だったら……絶対に、嫌に決まってる。《希望》は願いだ、それが全部嘘だったとしたら、何を信じて生きたらいいんだよ」


同じだ、と彼はジズに言った。つまり、キリルもジズも先祖が犯した罪のせいで地の下に閉じ込められ、いつか許されることを願い続けながら、生まれながらに背負った贖罪を果たそうと生き続けてきたのである。彼らエルフの寿命は長い、短命な《コバルティアの民》とは違い、何百年も苦しみ続けてきたことだろう。


その苦しみに付け込み、彼らに地の国の封印をとかせるための偽りの真実を伝えたのだとしたら……。


「お前が聞かないなら、俺が聞きに行く。そうじゃなきゃ、お前もイリアもずっと前に進めない」


「ううん、ジズだけには任せられない。僕だって《月慈の民》だ。真実を知る義務がある」


そう言ってジズの隣に立ったイリアは何か決意したような強い眼差しでキリルを見ていた。すると、キリルは拳を握りしめ肩を震わせながらゆっくり頷いた。


「お前らだけに、任せられるか……っ」


絞り出された強い言葉を受けてジズは僅かに微笑むと、行くぞ、と踵を返し外へ向かって駆け出した。





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