毒と紐

「お一人で、わたくしについてきて下さい」

 老婆の言葉に従い、白雪は1人で行くことにした。

 確かに、政治的に微妙な立場である小人たちがついていくことは、王子を説得するのに有利にならない。ここまで協力してくれたのに不義理だと思ったが、7人はそんなことを気にしなかった。

 カンベエは言った。

「気をつけろよ、白雪。王妃は魔術使いだ。

 魔術とは、炎を出したりするだけではなく、さまざまな事が出来るらしい。毒の扱いにも長けているし、姿を別人のように変える技術もあるそうだ。けっして油断するんじゃないぞ」

 他の6人も口々に励ましてくれる。

(そうですわ。何とか王子を説得して、城に戻ってお父様に会い、お義母さまを倒さなくては)

 白雪姫は7人の小人と別れ、老婆の後についていった。


 古い礼拝堂の地下から出ると、空には朝焼けの太陽。日が昇っていた。

「王子は旧館におられます」

 うやうやしく、老婆は姫を先導する。庭園の向こうの、あまり人が近寄らなそうな方の建物へ連れてこられた。

「あ、ここは大臣のお宅だったのですね」

 建物の上に掲げられた旗を見て、白雪は言った。

 代々大臣を務めている家の紋章が描かれていたからだ。

「……こちらです」

 なぜか老婆はそれに答えず、扉を開けた。


 案内されたのは、2階のとある部屋だ。

「まもなく王子がいらっしゃいます。でもその前に……着替えをされた方がよろしいですね」

「はい?」

「そんなお召し物では、とても王子に会わせるわけには……」

 白雪が着ていたのは、小人族の意匠がほどこされた服だった。確かに人間の風習では、ちょっと礼儀がいいとは言いづらい形式だ。それに、坑道の中を長く歩いたのであちこち薄汚れている。

「……わかりましたわ」

 姫は着替えに同意し、真っ赤なドレスを選んだ。


 白い肌、

 黒い髪、

 赤いドレス。

 鏡の中に、白雪姫が現れた。

「この服は捨てておきましょう」

「いえ。かまいません。大切に、保管しておいて下さい」

「では洗濯を」

「けっこうです。自分でやります」

「姫が?」

「教わったのです。他にもいろいろ」

 白雪は服を丁寧に折りたたみ、老婆に渡した。

 老婆はそれをしまい込むと、かわりに香油と櫛をもってきた。

「髪をとかしましょう」

「お願いしますわ」

 白雪は椅子に座り、窓の外を眺めた。ちょうど礼拝堂が見える。


(みんな、どうしているかしら)

 老婆に髪をとかされながら、思いにふける。

(一晩なにも食べていないはず……食料を準備している時間はありませんでしたし。後でスープか何かを届けさせて……)

 不意に白雪の中を、この一ヶ月の思い出が横切った。

 修行の日々。

 習った家事。

 楽しい仲間。

 得も言われぬ感傷が、沸き上がってくる。思わず泣きそうになった。

 だから、気づけなかった。

 香油の中に混じった邪な匂いに。


「!?」

 ぐらり、足元が揺れる感覚に襲われる。

(毒!)

 反射的に白雪は、髪をとかしていた櫛を払った。

(香油に毒が仕込まれていた?)

 振り返る前に、背後から、首にかけられる紐。

「う!」

 老婆の指が、紐をもっているのが見えた。

 絞められる!

「かっ……」

 まるで男のような力だ。

 毒と酸欠で遠のく意識。

「……ちぇい!」

 しかし、それは一瞬だけだった。相手の力点をずらし、紐を外す。同時に背中で体当たり。

 老婆を跳ね飛ばした。


「ごほっ! ごほっ!」

 どうやら香油に仕込まれていた成分が揮発すると、毒になるらしい。それほどたくさん吸い込んだわけではないが、数分は身体の自由が利かないだろう。

「なんの!」

 かまわず白雪は、老婆に攻撃をしかけた。

 修行によって自分の身体に刻まれた、感覚だけを頼りに蹴りを放つ。

 その一撃は、見事に老婆の胸をとらえた。

「おのれ、不埒者め! お義母さまに雇われた暗殺者か!」

 倒れた老婆は、慌ててふところから何かを取り出した。

 まるでリンゴのように真っ赤な紅玉だ。

「!?」

 老婆は叫んだ。

「『真っ赤で美味しい毒リンゴポム=ボム・ラ・ルージュ』!!」

 とたんに紅玉が、燃えさかる炎に変わる。

「魔術?」

 白雪は、カンベエの言葉を思い出した。魔術には「別人のように姿を変える技術もある」、と。

 妖しく笑う老婆の顔。

「まさか! お義母さま!」

 炎が爆発した。

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