番外編

14年前:研究員ベルモンドの希望的観測

前編・未知との遭遇

 今日は特別な日だ。

 無論、僕にとって最大級、最上級の特別である。この日をどんなに待ち望んだことか。


 常に世界の一歩先が分かってしまう僕にとって、待ちわびるという言葉は実によく似合っていると自覚している。恐らく、いや当然だろうが友人のアレクサンドラもそう言ってくれるだろう。


 爽やかに麗らかな風を受けながら、カフェテラスにて読書を楽しむ。それでも良かったのだが、アレクサンドラに出くわしたので時間までのんびりと談笑をしていた。しかし、彼女は度重なる寝不足により、うつらうつらと瞼を閉じてしまった。もう20分前のことである。彼女の寝不足も、悩み事も今日まで蔓延っていた暗雲のせいだろう。


 そもそも、この世界は僕や彼女にとっては住みづらい。生きるに不便な、なんとも低俗な世界なのだ。

 やれ、超人だ。やれ、奇人だ。変人、異人、なんだかんだと枠にはめたがる連中が大きな顔をして闊歩する世界なのだから。


 人類はそろそろこの超常的能力に寛容な態度を見せるべきだ。人口のほとんどがそういった人種で溢れてしまったのだから、また、当たり前にそこらで生活しているのだと政府が認めているのだから、いい加減に見方を変えるべきである。手を取り合うことを学んだ方が良いのだ。

 まぁ、どれだけ声高に叫んだところで無意味なのだろうが……


「おい」


 片方の瞼を重そうに持ち上げながら、アレクサンドラがこちらを睨む。


「……オーギュスト、頼むからしてくれないか」


「おや、起こしてしまったかい」


 微睡みから覚めたのか彼女は、もう片方の瞼も開いて小さく欠伸をした。グレーの瞳が濁っている。あぁ、折角の綺麗な虹彩が勿体無い――。


 そう考えていると、彼女は僕の思考を読み取ったのか、不機嫌な顔を僅かに緩めた。


「まったく、恥ずかしげもなく、よくもまぁそんなことを考えるね」


「事実だよ。君の瞳は光の加減で変わるからね、まるで鉱石のようだ」


 口でも述べてみると、彼女は笑いを堪えるように口角を震わせた。そして、目を伏せてしまう。


「まったく、もう。調子のいいことを言って……本物の鉱石なんか見たことないくせに」


 言いながら、彼女は冷めきったコーヒーを口につけた。

 笑みを隠したかったのだろうが、うっかりそれに気がついてしまったことは念じないでおこう。


「しかし、気をつけてはいたんだがね。君が念を受信しないよう、心がけていたつもりなのだが」


 弁解を述べてみる。しかし、皮肉が返ってくるのは予知せずとも明らかだ。彼女は鼻を鳴らす。


「これには不服なのだけれど、どうやら君と私は相性がいいらしい。特に、眠っているときなんかは無意識に感知してしまうんだ。まったく、君は頭の中でもお喋りなんだな」


「まぁね。これはもう一種の病気なんだ。ついつい脳内で語り、自己分析、自己完結をしてしまう。酷い時には論文が数十ページに渡ってカタカタと打ち込まれているだろうね。脳内に」


 言えば彼女は「はぁ」と呆れの息を吐いた。同時に肩も落ちていく。これは慰めが必要のようだ。


「まぁ、ゆっくり休むといい。就職活動、大変そうじゃないか」


「あぁ……まったく、私が愚者アンベシルだと分かった途端、手のひらを返す奴らばかりだよ。まったく、やってられない」


 火がついたのか、彼女の灰の瞳がめらりと燃えた。口も段々と滑らかになり、棘すら見えてくる。


「おかげでまた振り出しだ。これで何件目だか……いくら首席生でもこのヘンテコな性質のせいで企業は苦い顔を向けてくる」


 愚者アンべシル――か。

 あまり良い呼び名ではないな。僕はそれがとにかく大嫌いだが、皆がそう呼ぶのだから慣れるしかないのだろう。

 まぁ、僕は「才能」と認識しているが。こちらの方が断然素晴らしいはずだ。自身を卑下して一体どうするのか。見えない劣等感に悩まされるのが、実に愚かしいと僕は思う。

 例え、仲の良い友人だとしても、こればかりはどうにも歯がゆくなる。


 そんな僕の心情を露も知らずに、アレクサンドラは不満を募らせていった。


「どれだけ良い成績をおさめようが、人格を鍛えようが、所詮は冷たい世の中だ。欠点として見ている。情けなく思ってしまうけれど……あぁ、こんな風に考える私も世間に染まりきっているんだろうね。あーあ、バカバカしいったらない」


「しかし、それも


 するりと滑り込むように、僕は言葉を出した。途端、アレクサンドラの口が止まる。


 僕はゆったりとコーヒーを一口含み、まったりとした甘みを感じ取っていた。

……おや? なんだか旨味が消えてしまったようだ。冷めたからか?

 カップの中のコーヒーに目を落としていると、アレクサンドラが息を吸う微弱な音が耳に届いた。


「今日で終わる?」


 そう怪訝に目を細めて僕を見る。そんな彼女には説明してやらねばなるまい。

 僕は手を組んで、意識した明朗な表情を向けた。


「あぁ、そうとも。今日は記念すべき特別な日だ。僕にとっても、勿論、君にとっても。世界に生まれ落ちた哀れな『才能』諸君にとってとびきりの良い日となるよ」


「はぁ……また君のヘンテコな予知だね。どうせ君の利益にしかならないことなんだから。まったく、大袈裟なことを言って」


 嘆息して彼女は僅かに笑みを見せた。

 しかし、目尻が疲れ切っている。あぁ、やはり参っているのだろうな――


「参ってるだって? 余計な世話だよ。私の専門は生物だ。自分の世話くらい、機械を相手にするよりずっと簡単だよ」


 そう強く言い放つと、彼女は席を立った。小さな財布から硬貨を取り出している。僕は慌てて本を閉じ、身を乗り出して手を振った。


「僕が持つよ、ここは。女性に払わせるなんて紳士の名折れだ」


「君はたまに古風なことを言うね……今時、紳士だなんて。歴史小説の読みすぎじゃないか?」


 それはそうだろうが……ろくに金を持たない人間になけなしを出させるわけにはいかない。僕が誘ったことも理由に含むのだ。

 彼女は呆れの笑いをこぼすと、財布をポシェットの中へ仕舞った。


「ふうん……そう言うのなら甘んじておこう。君の面目を保つために」


 聞き分けよく、彼女は覚めるような青のコートをさっと取り上げる。


「もう行くのかい?」


「あぁ、私は次の面接があるのでね。カフェ店員だけれど。それくらいなら雇ってくれるはずだよ」


 随分と投げやりな口調だ。だから僕も苦笑せざるを得ない。


「君の頭脳と思想が勿体ない気がする……いや、カフェ店員に失礼だね。ともかく、幸運を祈ってるよ」


「気が抜けそうなことを言うな。まぁ、それなりにやってみるよ。オーギュスト、君の言う『幸運』やら『特別』が実現したら私にも知らせてくれ」


 自分のこめかみをとんとんと叩くアレクサンドラは、欠伸を噛んでテラスを出て行った。大学の門までバタバタと足早に出て行く。それを見送りながら、僕は読みかけの本をパラパラと開いた。



 さて。

 ここまでは確かに私が予知した通りに運んだ。彼女の話を聞き、時間を潰すという時の有効活用が上手くいったということだが……あと数分後に僕は、少年に出しまうらしい。

 特別な日を迎えるのに関係のない人物。だが、暇潰しにでも利用させてもらおうか。


 腕時計を見ると、時刻は午前10時を少し過ぎた頃。運命的で理想的な出会いと世界の始まりまでにはあと数時間。

 それまでに済めばいいのだが……あぁ、でも会わざるを得ないのか。


 数メートル先にあるゴミ箱。もう間もなくあれが爆発する。



 アン……ドゥ……トロワ……


《ボッスンッ!!!!》



 ほぅら。

 あっという間にゴミが散乱した。

 いやあ、残念だったね。近くにいた学生が悲鳴を上げている。やれやれ。とんだ災難だよ。


 その滑稽な現場を見やり、無意識に口角を上げてしまった。わたわたと慌てる学生らが驚きと怒りに顔を歪ませている。

 どれ、ちょっと野次馬に混ざってくるかな……


「おい、誰だ、こんなことをしたのは!」

「アンベシルだな、絶対そうだ」

「こんな爆発の仕方はないわ」


 声が大きく膨らんでいく。僕はくるりと方向転換。

 すぐにこれだ。突発的な事態に弱いのが凡人の愚かしいところ。こちらへ飛び火しないよう隠れておこう。


 集まる学生たちの後ろをすり抜けて、ベンチの裏にある植林の陰へ行く。

 ゴミ箱1つでああも大騒ぎしてしまうのも、今日が最後なのだろう。それを思うと、なんだか惜しい気もしてしまう……おや。

 木の上で、忍び笑いをする少年が目に留まった。


 あぁ、やはり出会ってしまうのだな。


 これは今朝、起き抜けに見えた予知と同じものだった。


「やぁ」


 彼の下まで向かい、声をかけてみる。


「君がゴミ箱あれを壊したのかな?」


 問うと彼は、すぐに笑いを引っ込めた。パーカーのフードに隠れた黒髪がチラリと窺える。


「だったら何?」


 まだあどけなさを捨てていない声。10歳くらいだろうか。彼は僕を不審に見つめてくる。まったく、君の方がよほど不審者だろうに。


「大学は公園ではないのだよ。君、降りてきたまえ」


「なんだ、警察にでも突き出すのか? だったら素直に降りるわけねえだろ」


「ほう……」


 なかなかに厳しいな。それに警戒心が強い。

 それなら、僕からそちらへ行くとしよう。木登りは子供の頃以来だが、僅かに飛べば枝に手が届きそうだ。


「ふぅ……いやあ、登るだけでも疲れるね。定期的に運動はしないといけないな」


 思わず独り言が出てくるが、少年は呆気にとられた顔をしてこちらを見るだけで。

 なんと、驚いているらしい。うん、実にいい表情だ。子供は子供らしくあるべきだね。


「ほう、眺めがいいね」


 この幹からだと、てんやわんやな野次馬諸君の間抜けな顔がよく見える。

 少年は目を丸くさせていた。しかし、すぐに顔を背けてしまう。ただ、横にいることは許してくれるようだ。それなら、話相手にもなってくれるかもしれない。


「ちなみに、君はあれをどうやって爆破させたんだろう?」


「言ったらあんた、絶対に警察に言うんだろ」


「うぅむ……聞いてみないことにはどうにも出来ないのだが……そうだな、君はもしかして人とは違う力を持つのかな」


 いや、知っているのだがね。彼が「才能」を持つことは。


 少年は黙り込んだ後、渋々といった様子で冷めた目を向けてきた。


「だったら何?」


 これはとんだ捻くれ者だ。まあ、仕方ないのだろう。彼もまた謂れのないあれやこれやの中傷を受けてきたのだろうから。そのくらい、過去は見えずとも想像は容易である。

 ならば、先に手の内を明かそうか。


「いや、何。僕もそうだからだよ。皆は愚者アンべシルと呼ぶがね。しかし、僕はこれを『才能』と呼んでいるよ」


「さいのう……?」


 言い慣れないからか、彼はたどたどしく反芻した。険しかった眉間が僅かに緩んでいく。


「ふうん……じゃあ、あんたも嫌な思いしたんだ」


「まあ、それなりに。ただ、人生は楽しくあるべきだろう? 僕は僕や君みたいな人たちが平和に暮らせる方法を探しているんだよ」


 思わず心情を吐露していたが、恥じることはないし、焦ることもなかった。

 寧ろ、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。アレクサンドラがつれないものだから、僕はこの話をするべく彼を選んだのだろう。

 どうあっても過去の僕は、未来の僕の心情を掴むのが苦手だ。もう24年は僕であるはずなのに。


「はあ? 何それ、馬鹿らしい」


 少年は呆れを露わに声を上げた。そして、小馬鹿に笑う。一体、何故笑うのだろうか。真剣に話をしているというのに。


 訝っていると、少年は年齢に似合わず大人びた冷笑を向けた。


「そんなの出来っこないね。見てみろよ、あいつら、何にも解決できねーくせに愚者が悪いと端っからそう言ってる。騒ぐだけ騒いでる。あんなヤツらをどうねじ伏せるって言うんだよ」


「ふぅむ……ねじ伏せる、とはまた随分と乱暴な言い方だね。違うのだよ。知らないうちにこっそりとすり替えてしまおう、というのが正しい」


 僕は言い聞かせるように、人差し指を空へ示した。


「そもそもに、平和というのは人ありきの事象に過ぎない。人がいなければ、平和には到底なれないし、また人がいると平和をつくるのが難しい。これは矛盾だ。その矛盾を正すべく、世界をつくり直さなくてはいけない」


 そう。この世を正すにはの生じた軸を元の位置に戻さなくてはならない。

 何らかの影響で、人類に差を生み出したその歪みを正位置へと促さなくてはならない。

 それには非才能者かれら才能者ぼくたちも必要不可欠であるのだ。この大きな差を縮めなければならない。世界を変えるべきである。


「世界をつくるには全てが必要だからね、何事も使いようさ。言わば、共存という形を望むわけだよ。その為に、世界の軸を元のあるべき場所へ戻す。こっそりとね」


「………」


 少年は不安そうに目を泳がせた。いや、これは話を理解していないと見える。少し難しかっただろうか……。


「あのさ」


 少年はおずおずと言った。


「あんた、なんかの先生? 普通の学生じゃねぇよな」


 そう言って、今やゴミ箱からも散っていく飽き性な学生らを指差す。

 まぁ、大学こんなところに忍び込むくらいなのだから、僕が一体何者であるのか探っていたに違いない。そこで行き着いた答えが「先生」なわけだ。


「いいや、違う。僕は確かにこの大学の関係者だけれど、教授ではないよ」


「ふうん? なんか、頭が良さそうだからそうだと思ったんだけど」


 頭が良さそう、は初めて言われたな。僕は拍子抜けしながらも、照れくさくなってしまった。


「まぁ、しがない研究員さ。僕は愚者であるからね、教授にはなれないし、無論、なってやるつもりもない」


「あぁー……そういうこと。大変なんだな、頭が良くてもそんなんじゃ」


 彼は悲観的に言った。その様子が僕には不可解だ。


「どうしてそう思うんだい」


「だって、教授になれないんだろ。賢いのに勿体無いじゃん」


 ははぁ、成る程。要は、僕が不当な扱いを受けていると、即ち可哀想に思えたわけだ。悪ぶってはいても、人を思いやれるほど懐は広いらしい。

 しかし、それは僕にとっては不要な気遣いなのだが。


「僕は教授になりたいとは思っていないよ」


 言えば彼は細い目を丸くさせた。


「教授になったら、学生たちに授業をしなくてはいけないだろう? だが、僕は一人で機械と戯れるのが大好きだから、あまりそういったことは望んでいないなぁ……しかし、考えたこともなかった」


 彼に言われるまで、まったく何も考えていなかった。

 他の同期やアレクサンドラが仕事を求めて駆けずり回っている様を、僕は一歩引いた場所から見ている。


 金なら有り余るほど持っているので生活には不自由ない。ただ、子供の頃に愚者だと判明して、家からは出されてしまった。実家などとうの昔に忘れてしまった。

 だが、政治に携わる父の体裁なのか、金と家と立場だけは他のどの愚者アンべシルたちよりも裕福だと理解している。

 だから、好き勝手に生きている。


 あぁ、本当は生きづらいのだろうな、この世界は。

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