いつか約束叶うまで

よだか

第1話

 あるところに綺麗な海と広大な大地と豊かな自然と資源に恵まれた国がありました。必要な時だけ命を奪い、必要なだけの畑を耕し、必要なだけの資源を採掘して助け合う優しい民が。


 意外と思われそうですが手合せも好きでした。相手の命を奪わないという制約は殺すよりも難しい。後に影響が残らないよう知恵を絞って降参と言わせるのは武力も知恵も必要で単純な勝ち負けよりも楽しかったのです。


 その国を治める王は一際優しく、強く、民の笑顔が大好きでした。気軽に町へ下り語らい、手合せにも参加して、動物にも、植物にも、ちょっと苦手だけど虫にも寛大でした。うっかり城に迷い込んだ虫が見えない場所にいなくなるまで椅子の上に足をあげて待っているような人でした。


 ずっと続くかに見えた営みが崩れ出しました。理想郷と羨んだ他国が戦争を仕掛けてきたのです。皆戦いました。ありったけの知恵と武力で対抗してどうにか守った時には、その間手入れできなかった畑は機能しなくなり、森は半分以上が伐採や戦での火で燃え消えていました。


 戦争は人々の心を蝕みました。生きるために必死だったともいえるでしょう。略奪が起きました。今まで分け合っていた物を独占しようとして諍いが増えていきます。やつ当たりで殺された動物もいました。笑顔が消えていったのです。


 ある日、王様は側近達を集めてたった一言、命じました。

 「すべてを滅ぼせ」と。自分の国だけではなく全ての人間の命を奪えと。

 賛同できないものは一度だけ見逃すと告げ、背を向けた王様はそのまま町に下りて民を殺しました。王様は、本気でした。


 王に付いた側近達は命に従い、持てる全ての力を使って人間を滅ぼし始めました。

 いつしか王様は『魔王』と呼ばれ、かつての王様の名前は忘れられました。そして、他国が結集し始めました。魔王を倒すために。


 側近の中に魔女がいました。いつも哀しい目をして匿った動物の前で泣いていました。魔王となった王様は側近達の大切なものを殺せとは言いませんでした。

 「お優しい王様、我が主」

 彼女は変わらずそう呼びかけました。誰よりも優しい、優し過ぎた王。愛する民が争うのを、優しさを失っていくのが耐えられなかったから。それならいっそ――。


 魔女は憂いていました。全てを滅ぼした先に何が残るというのでしょう?

 何もかも壊してしまったら王様が愛する世界は永遠に戻らなくなってしまう。度重なる戦闘、規模を増す討伐軍。側近達だって疲弊もするし、命を落とす。人間がいなければ争いはなくなるかもしれない。でも、笑顔も優しさも、助け合う心も消えてしまうことに王様は気付いているのだろうか。


 総攻撃の日が来ました。

 側近がひとりふたりと斃れていきます。最後に残った王様と魔女は勝利の気配に沸く人間達を見下ろせるバルコニーに出ました。

 「滅びの時が来たのかもしれないな」

 そう呟く王様に魔女は強く笑いました。そして、最初で最後の無礼を働きました。背伸びするようにしてギュッと王様を抱きしめたのです。

 「それは今じゃありません。王様は理想の世界を見て、生きて、幸せに眠りにつくんです」


 王様は驚いた顔をしました。魔女はうれしそうに笑いました。こんな無防備な顔を見るのは何年ぶりでしょうか。王様もまたその笑顔を久しぶりに見ました。大好きな人間の笑顔。彼女の背後、一斉に放たれた矢が此方に向かってくるのが見えました。魔女の身は貫かれ赤く染まっていきます。けれど、王様は怪我ひとつしていません。彼女が護っていたからです。


 体中を貫かれてそれでも魔女は笑っていました。

 「疲れているでしょう? 眠ってください。そして、良い目覚めを――私達の愛するたったひとりの王、ユラフォード様――」


 王様は見ました。血塗れた赤い唇で忘れてしまっていた自分の名を呼ぶ魔女の背後に命を落とした側近達の魂を。大好きな優しい笑顔を。

 溢れた涙を煌めかせて手を伸ばす王様から逃れるように魔女は最期の力で背中からバルコニーから飛び降りた。ありったけの魔力を発動させて。自分の願い、仲間から託された想い、逃がしたかつての民から預かった希望。


 魔女は、謡う。

 荒れ果てた大地が元の息吹を取り戻すように。

 数を減らした動物達が生き生きと暮らせるように。

 人々の荒んだ心が癒され、笑顔で溢れるように。

 ささやかな幸せを共に喜べる未来を祈って。

 手に掛けた命が今度こそ幸せになるように。

 未だ眠れぬ魂が安らげるように。

 そして――――全てが成就した日に王様が生をやり直せるように。


 ありったけの我儘を自分は選ぶ。

 たくさんの人の命を手に掛けた血塗れた罪深い私達。

 全ての憎しみや怒りをこの身に受けてもいい。それは当然だ。

 だけど、王様だけは。


 最期の吐息で忘却の歌を――――

 優しい王様は記憶を持っていたら罪に押し潰されてしまうから。

 私達の為に泣いて、苦しんで、自らを責めてしまうだろうから。

 止めることのできなかった私達の罪。従っても救いはないと知っていたのに。

 だから、私達は大好きな人に忘れられることを選びましょう。


 『お優しい王様、我が主ユラフォード様。必ず幸せになるんです。約束です』


 王様を慕う者達の魂を背負い、命を懸けた魔女の術は世界中に花を咲かせた。焦土にも、砂漠にも、血に染まった海にまでも。優しい色の花だった。


                   *


 長い年月が過ぎ、戦争という言葉が歴史になった頃、ひとりの男が目を覚ます。旅の途中でうたた寝をしてしまったというように。男には記憶がない。ユラフォードという名前と旅の途中という自覚がある。

 廃墟の名残といった石台から起き上がって、歩き出す。草の香りが風に溶けて心地良い。獣道を辿って開けた視界に活気に満ちた町があった。緑が至る所にあって、水路の水は澄んでいて美しい。小鳥が鳴き、猫が気ままに路地で寛いでいる。人々の笑い声。

 不意に世界が歪みました。男は泣いていました。理由もわからずに。それに気付いて気遣う人の優しさにもっと泣いて、あたたかい歓迎に泣きながら笑いました。なかなか泣き止まない男の髪を爽やかな風が撫ぜていきます。優しい風でした。


 『必ず、幸せになるんですよ――――』

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いつか約束叶うまで よだか @yodaka

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