第1話

「おうぇぇ!」

「ハバキリ、お前、吐きすぎだろ。どんだけ飲んだんだよ!!」

「うるせぇよ。あのリョウが奢るって言ったんだ。飲まなきゃ損だろ」

「それで吐いたら意味無いじゃん!」

 昔からの親友であるリョウは、俺を指差し、バカにするようにニヒルの口を吊り上げた。この野郎、そんな性格だから女にモテないんだ、と密かに悪態をつく。また胃から濁流が押し寄せてくる。流れに身を任せて、酒場の裏手にある、空の酒ダルの中に吐き出した。

 真夜中だというのにヤマト王国の中央─商店街地区─にある酒場はまだ灯りがついており、活気のある音が裏手まで届いている。食器同士がぶつかる音、酒場の店員が店の中を往来する音、冒険者や兵士などの沢山の人が騒いでいる音、その全てがまったく別の音を生み出して、ちょうど良い心地よさになる。まだ、その感覚に浸かっていたい。その欲求の下で俺は内なるものを吐き出した後、リョウと一緒に酒場中へと戻っていった。

 再び酒場の中へ入ると、注文を運び終わったのか、1人の少女がこちらへ駆け寄ってきた。真っ白のブラウスに、うぐいす色のエプロンを身につけた赤髪の少女である。この店の看板娘のミーシャだ。客のほとんどは酒を飲みつつも、彼女から目を離さない。好意の視線だった。そして、俺の目の前まで来て、好意が嫌悪に移り変わる。四方八方から矢を放たれた気分になる。

「あ、ハバキリさん。具合の程は大丈夫ですか?」

「まあな、裏手を貸してくれてありがとう。助かったよ」

「いえ、飲み過ぎて具合の悪くなるお客様もいっぱいいますから」

 そう言って、ミーシャはにっこりと笑ってくれた。

 看板娘しているだけあって、営業スマイルだとはとても思えないくらいに可愛らしかった。彼女のこの笑顔があるから客足は途絶えないのかもしれない。

 「後で温かいお粥でも持って行きますね!」と言って彼女は仕事に戻った。流石である。笑顔だけでなく、アフターケアも万全だった。

 俺とリョウは足をふらつかせながら、元々いた1番端の2人席へと腰を下ろした。そこには、大きなジョッキが2つと安いつまみだけが対象的にに置かれている。俺は漬物を一切れ頬張ると、リョウに尋ねた。

「で?そろそろ、要件を教えて貰おうか」

「はへ?」

「急にお前が奢るなんて、いくらなんでも怪しすぎる。どうせ、何かあるんだろ?」

 リョウもつまみに手を出そうとしたところで、唐突だったため驚き、変な声を上げた。すると、つまみを口に入れ、喉のうねりを鳴らす。少し考える仕草をした後で、リョウは思い出したように言った。

「あぁ、お前の今後についてだよ」

「はあ?何のことだよ」

 リョウの言葉に、今度は俺が変な声を出す番になった。字面だけでは何のことなのかさっぱり分からない。咄嗟に聞き返した。リョウは待ってましたと言わんばかりに、ニヒルの口をさらに釣り上げて答えた。

「お前、これ受ける気はないか?」

 そう言って、取り出したのは一枚の紙だ。よく見ると、そこには派手に装飾されてると共に、文字が大きく記されている。俺はそれを手に取るとすぐさま読み上げた。

「なになに……『第三皇女の指導者募集中!王国の名だたる剣士よここに集まれ!!』だって?この国の第三皇女と言えば確か、」

「セオリア様だ。その人は独学で剣術を学んでいたんだが、さすがに限界があったらしく、こうして民衆に呼びかけているらしい」

「はぁ?女が剣を?」

「やっぱ、そうなるよな。国中でも皆そんな反応するよ。当然、王族たちもだ。だから、貴族の優秀な剣士じゃなく、民衆のどこにでも居るやつらに呼びかけるのさ。そんな浅はかな夢を抱くなってな」

 そんなのは当たり前だ。他国では女でも優秀であれば兵士団に混ざったり、軍として先陣を切る者もいるらしい。しかし、この国ではまず有り得ない。

 男は剣士。女は魔術師。

 単純明快なしきたりが、この国の揺るぐことのない一般常識であり、国としての正常な流れなのだ。その中に混入した一つの異物は、誰もが排除しようとする的となる。これが王族でなければ、こんな対応すらしてもらえずに、正常へと矯正されていたことだろう。チャンスがあるだけマシというものだ。しかし、成功例の顧みないチャンスは絶望という追い討ちしかかけない。

 俺は紙を見ながら、会ったこともない皇女を哀れんだ。

「無謀だな」

「どっかの誰かみたいにな」

「...うるせ。こんな募集、受けて何になる。俺はパス、他を当たれ」

「あのなぁ、お前ももう18歳だぞ。そろそろ、新しい仕事の一つくらい探さなきゃいけないだ──」

「うるさい、黙れ!!」

 カッとなった俺は、怒気の纏った声を張り上げた。勢いよく立ち上がったせいで、椅子は鈍い音をたててなぎ倒された。一瞬、世界が固まったように静寂に包まれる。やってしまった。「あ、すみません」と周囲に謝ると、皆が何食わぬ顔で元の賑わいへと浸かっていく。今日は運が良かった。拳の1発くらいは覚悟したものだ。

 頭が一気に冷やされ、落ち着きを取り戻した俺は、椅子を立てて腰を下ろした。リョウは申し訳なさそうな顔をしていた。やめろよ、こちらまで気まずくなるだろう。

「お前、まだあのことを引きずってるのか?」

 図星だ。ぐうの音も出ない。あの日から、結局一度も剣を握っていないのだ。もう一度、戦場へ復帰しようと思ったことはある。しかし、剣士としての誇りもない。守りたい者もいない。自分は一体、何のために剣を振れば良いのか途端に分からなくなった。

 実際、金自体には困らない。今までの貯蓄と、終戦の褒美として受け取った莫大な謝礼金もある。恐らく、余程のことがない限り底を尽きることは無い。だったら、何もせずにこうして暮らしていてもいい。その方が、誰も傷つかず、苦しむこともないはずだ。いや、そんな利他的なものではない。単に自分がかわいいのだ。失って、自分が苦しむのがとてつもなく怖い。

 俺はもう、剣を握れない。

 リョウはやるせない様子で、そっとため息をついた。

「まぁ、こうなるとは思ったよ」

 リョウにしてはあっさりとした反応だった。彼なら「えー!そんな事言わずに参加しろよー!!」とでも図々しく言うのかと思っていた。

「でも、すでに応募したからなぁ」

「…………はぁ!?」

「王族にバックれたなんて知られたら牢獄行きかもな」

 引くのが早いなと思ったら、そういうことかよ!!って言うか、そういうのって本人の許可が必要じゃないのか!?

 リョウは勝ち誇ったかのように笑う。激しく殴ってやりたい衝動に駆られた。ここで、一発堪えた自分を褒めてやりたい。

「そうゆう事だからよろしくー。あ、金は置いてくから」

 それだけを告げると、リョウは紙の上に小袋を置いて歩いて行った。銅貨の擦れる音が変に耳に残る。店の端で一人取り残された俺は、一口サイズのつまみをチビチビと食べていた。

 また、剣士として世に出るのだろうか。

 俺にそんな資格はあるのか。

 リョウの言った通り、そろそろ仕事に就くべきなのか。

 それならば、わざわざ剣士じゃあ無くてもいいのではないか。

 疑問が疑問を呼び、混沌とした思考へ陥る。気がつけば、その場には何も入っていない皿のみがあった。どうやら全部平らげてしまったようだ。店を見渡すと客は半分ほどにまで減っている。時計はすでに11時をまわっていた。残り1時間もせずに店は閉まってしまうだろうから、切り上げよう。

 そう考えた矢先、店員がやって来た。他でもないミーシャである。お粥を持って来てくれたようだ。ミーシャはお粥の入った茶碗を渡すと、怪訝そうな顔をして俺に問いかけた。

「ずっと考え込んでいたみたいですけど、どうかしたんですか?」

「ちょっとな」

「なんなら相談に乗りますよ。これでも、何百人もの愚痴と自慢は聴いてきましたから!」

「それ、大声で言ってもいいのか?」

 無い胸を精一杯突き出して、目を輝かせて告げるミーシャに苦笑いを浮かべるしかない。まぁ、こういう所もご愛敬なのか。

 そうは思いつつも、彼女の言葉に甘えて、俺はこれまでの経緯と悩みを打ち明けた。彼女は相づちを打ちながら、親身になって聴いてくれた。俺が一通り話すと、少女は少し考える素振りを見せて答えた。

「いいんじゃないですか?受けてみても」

「そうかな?」

「はい、悩んだ時は行動あるのみですよ!!私の経験から言って、何もしないで後悔するのが一番良くないと思います」

 そうミーシャは自信満々に言い放つ。思わず、少し笑ってしまった。どうすればあんな自慢げに、胸を張って言えるのだろうか。可笑しかった。同時に羨ましかったのだ。彼女は一歳年下のはずなのに、優柔不断で、どっちつかずの俺なんかよりずっと大人だ。

 俺は深く頷いて言った。

「そうか、うん、そうだよな。俺、受けることにするよ。ありがとう。ミーシャのおかげで決断することが出来た」

「お力添えが出来たなら何よりです。ここはそういう場所ですから」

「じゃあ、これお金ね。相談料込みで」

 俺はリョウが置いていった小袋とともに、金貨を一枚添えて渡した。彼女は一瞬目を見開くが、直ぐにそれを両手で受け取る。

「じゃあ、俺はこれで」

「あ、あの!」

 帰ろうと身支度を済ませたところで、彼女は声を張り上げた。彼女らしくない行動に、俺は驚きつつも振り返った。彼女の頬は店のランプに照らされて、少し火照っているように見える。

「また、いらしてください!悩みがあればいつでも相談に乗りますから!!」

「あぁ、そうするよ。ありがとう。」

「い、いえ!」

 彼女に軽く手を振り、俺は軽い足取りで帰路へと向かう。これからやるべき事に想いを馳せる。今日の夜空の星はいつもより色付いて見えた。

「ハバキリさん……」

 私──ミーシャは彼が見えなくなると、今まで振り続けていた右腕を降ろした。そして、両手で彼から貰った金貨を握り、胸に当てる。私達、ウェイターやウェイトレスにとって、この金貨は大きな意味を持つ。業界用語ではこれをチップと呼び、ウェイターの格付けの指針として存在する。よければチップ一枚を、普通またはそれ以下ならば何も無いといったようにだ。中でも金貨はその中でも最も上に当たる評価を示す。

 つまり、私はハバキリさんから最高評価を貰ったことになるのだ。もちろん、ハバキリさんはそれを知らない。本人が言うように単純に感謝の意を表したかったのでしょう。それでも、私は気持ちが高揚する。今までチップを貰ったことはそれなりにあるが、こんなにも嬉しくなったのは初めて。いつからなのかなぁ。私が、彼にこんな感情を抱くようになったのは。

 初めて出会ったとき、彼は目にも当てられないほど荒れていた。酒に溺れ、ただ泣いている。そして、女性の名前を呟いては更に酒を飲む。時には他の客と口喧嘩をすることもあった。最初は彼女にでも振られたのかなぁ程度にしか思っていなかった。しかし、彼を迎えに来たリョウさんが、私にだけこっそり教えてくださった。戦争で彼の最愛の人を亡くしてしまったという内容であった。

 その時から、私は彼に気を配るようになった。お酒は飲みすぎないようにしながら、彼の話を聴き、時には栄養のあるものをまかなった。彼は優しすぎたのだ。一人で抱え込んで、でもどうしようもなくて、もがき苦しんで、そして全てを失った。せめて、私だけでも彼のそばにいたい。ふと気がつけばそう思うようになっていた。

 あぁ、私が彼に好意を寄せるようになったのはその時からなのね。今でも、彼を想う度に胸の鼓動が鐘を鳴らすように高鳴る。彼の名前を口ずさむ度に心が苦しくなる。

 いつでも、私はハバキリさんを心からお待ちしております。そして、いずれ──

 今日の夜空は、私の決意を示すかのように色付いて見えた。
































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