月虹虫回顧録

ナカムラサキカオルコ

隊商

 ミズヲがいる隊商は小規模だが、まとまりがよい。日が暮れる前には、悪霊除けあくりょうよけのまじないもきちんとしていた。若いからだの大きな男が、野営地やえいちの周囲をこまごまとした手順をくり返して回った。図体に似合わず作業は丁寧ていねいだった。近くまできて視線があったとき、男はすいと視線をそらした。

 新入りと呼ばれている彼は、すでに隊長から客人きゃくじんの評判をきいたことだろう。女たらしや女癖が悪いどころではない、男をとりあって人が死にかけたこともあるぐらいだとか、云々。呆れるどころか、蔑むほどの話である。そんな嫌悪は目に仕草にでてしまう。そんな扱いに、ミズヲはなれているし、一人で荒野こうやを移動する手間を思えばたいしたことではない。金を払って大勢おおぜいの人といるということで、かなりの安全を確保できるなら、陰口など気にならない。噂話を提供できてると思えばよい。

 暗い荒野にははるか遠い場所まで、点々と光の点が見える。彼らは皆、西の商業都市オクウトを目指している。野心に満ちた人間たちが灯す火だ。誰もがたくさんの儲けを期待して、夢見て、その場所へ集まろうとしている。

(自分のそのような者の一人に見えるのだろうか)

 ミズヲは考えたが、自分自身のなかには、そのような熱い炎は感じられなかった。かすかな閃光せんこうもない。ただ言われるままに、呼ばれるままに、買い求め、売り渡し、移動していく。なにも留まらない、なにも残らない。すくい上げて落ちる砂のように、落ちて埋もれていく。

(なにもない)

 ミズヲは自分のなかに沸いた哀愁のようなものをすぐに捨てた。なるべく十分な眠りを得ようと、はおるものを再度さいど引き上げた。ハッとからだをこわばらせた。

 暗闇に小さくうごめくものがある。けものか、悪鬼あっきか。光る二つの目がある。ざんばらの前髪のような長毛の合間からじっとこちらをみつめる、人間に似ているひとみは、火を怖がらない。

月虹虫げっこうちゅうだ)

 それとわかると、ミズヲは全身からゆっくり力を抜いた。人に危害を与えない。虫はしばらく居場所を迷ってから、たき火からほどよい距離をおいて、砂の中に潜り込んでうずくまった。虫といわれているが小さな生物で、全身を毛でおおわれ、小さい手足がはえている。

 月虹虫は、獣なのに、人の言葉を理解するという話がある。月明かりの下で、自分の身の上を語るという。夜に活動するのは、人の目を避けるため、変わり果てた己の姿をさらさないため。孤独に耐えられなくなった旅人の姿ともいわれている。単なる夜行性かもしれないが。他にも様々さまざまな伝説があったはずだ、思い出せない。

 かわりにミズヲの脳裏に浮かんできたのは、背の低い太った男の姿だった。ミズヲはここ数日の移動のあいだは、おおむね彼のことを考えていた。人なつこい笑みを絶やさない、計算高いことを隠そうともしない。オクウトでも指折りの大商人で、一年ほど前、別の街で、突然ミズヲを訪ねてきた。



 店で片付けをしていたとき、ざわめきが近づいてきた。小柄でふくよかな、愛嬌はあるが押し出しがよい男が、下男と野次馬やじうまを引き連れながら、やってきた。彼が進むにつれて自然と道が開けていた。男はミズヲをみつけると、ひょっと目をみひらき、満足げな笑みを浮かべた。

「君が、石を売るミズヲか」

 ミズヲはそうだとうなずく。

「君のうわさをきいて、顔を見に来た」

 無数の好奇心と羨望のまなざしが取り囲み、固唾かたずをのんで見守る。

「わたしはオクウトのザルトだ」

 はっきりと名乗ると、周囲は低くどよめいた。やはり、西の都の。かの高名な大商人。

「次はぜひ、うちにきてくれ」

 人々の驚きの声は、また大きくなった。ミズヲは返す言葉をみつけられず、少し目を見開いて男を見つめるしかなかった。男の名前は知っていたが、自分に縁があるとは思っていなかった。ザルトはにやりと笑った。

「うちには腕のいい宝石商もいる。君の勉強にもなる。君はきっと来てくれるよ。特別な祭だ。たくさんの人と荷物が集まってくる。君は、私のもとへ来てくれなきゃ、困るんだ」

 自信が満ちあふれ、笑みをたやさない。小さいのに人を圧倒してくる。彼を煩わしくさせる人間やできごとが、この世になにかあるのだろうか。



 明日には彼の街につく。自分の話し声が聞こえないくらいの、喧噪けんそうのなかにいる。身ぶり手ぶりを大きくして、人と会話をしなければならない。小さな生物は、微かなかすかな寝息をたてていた。ふくらんでしずむ小さな息づかいを聞きながら、ミズヲは眠りの淵におちていった。


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