03:兵卒教導

 青い青い雲の無い空に、黒点と雷音が木霊する。

 一昔前ならば、魔法と形容されたであろうソレ。騎馬も鎧も城塞すらも容易に穿ち殲滅せしめるソレは、大砲カノンと呼ばれる新鋭の兵器だった。


  旧くは東の大陸から伝来し、幾度かの改良を経てフランスに渡ってきた大砲カノン。恐らくはこれこそが、イングランドにフランスが対抗しうる唯一の方策だろうと、今や人外の高みから睥睨するジルは思う。


 永くモンゴルの脅威に晒されず、旧態依然とした騎士道を本懐に剣を掲げてきたフランスの軍隊は、その古い体質によってイングランドに連敗を喫し続けた。突撃においては名を名乗り、それぞれが名誉と武勲の為に甲斐甲斐しく突撃するかつての仏軍。そして鴨がネギを背負ってきましたとばかりに的を射落とすのが、赤い軍服を纏ったイングランドだった。


 剣を主武装とするフランス軍に対し、海峡を渡ってきたイングランド兵は、その何倍もの射程を持つ長弓を得意とする飛び道具アーチャーの集団だ。だから両者の相性は初めから最悪で、この失地挽回には、ジル・ド・レの祖先にして英雄たるベルトラン・デュ・ゲクランの登場を待つ事になる。




「これはこれは、随分と物々しい響きだ。われの時代と、半世紀でこうも変わるか」


 顎を弄りながら、そう呟くのはジルの隣に立つ巨漢ゲクラン。ジルと同じく鉄仮面で顔を隠す彼は、感慨深げに教導を見下ろしている。


「変わるものだろう、それは。貴公によって取り戻されし仏領は、またイングランドに蹂躙され、そしてジャンヌの旗の下に息を吹き返した。今作戦の本懐は、在るべく版図の塗り替えにこそある」


 イングランドが明確な敵国である事は揺るぎないにしても、対するフランスは敵味方が入り混じった伏魔殿だ。ヴァロワ家率いるブルゴーニュ公国は、相変わらずイングランドとの同盟関係を維持したままだし、王家の内部でも権力争いは絶えず久しい。リッシュモンの如き有能は将軍が僻地に追いやられるのも、そういったしがらみが遠因にある。


「なればこの度の戦も勝てるであろう。なにせ大砲カノンとやらに併せ、ノルマンディーの総大将と呼ばれたこの吾が居るのだから」


 とまれゲクランとも言えば、各所の守備隊長から名を上げ、最後は国王の代理人とまで字名された英傑である。一騎当千たるこの古強者と、フランが用意した近代兵器を組み合わせるのなら、今度こそはフランス軍の勝利や揺るぎなしと、ジルが思うのも無理は無かった。――と、俄に響くのは、砲声の合間を切り裂く少女の声。




「そこ! 隊列を乱さないで下さい! 一人で何もかもやろうとしない! 各人持ち場を守り、己の職分にのみ徹するのです!」


 ジルもゲクランも、互いに表に出ることは出来ない上、こと大砲カノンについては門外漢な手前、眼下で指揮を執るのはペストマスクを被るフランだ。


「面白いものだ。マレシャル・ドッ・フランス。我が主君モナルクの言の葉に依れば、これからの戦場は、あれもこれもではなく、あれかこれかになるのらしい。――砲手は砲手として、弓を射ず、剣を振るわず」


「そうらしい。あの子供にどこからそんな智識が沸いて出るのか、私には皆目見当も付かないが……だがアレが言う限りにおいて、ソレは真実に等しいのだろう」


 頷くゲクランを横目に、ジルもまた頷いて返す。フランの卓抜たる慧眼は何者にも囚われず、さながら一羽の鷹の如く世界を見下ろして舞っている。そう言えばジャンヌの時もそうだったなと内心で笑みを零し、ジルはふと空を見やった。


「私に見えぬモノを指差し、ソレに向かいひた走っていく……か」


 この時ジルはリッシュモンから、とある噂があると聞かされたのを思い出していた。




 ――ジル、あのペストマスクの少女だが。

 昨晩。二人きりの場で耳打ちしたリッシュモンは、逡巡しゅんじゅんしながらも続けたのだ。


「何か?」


 質問の意図が分からずに返すジルは、相変わらず真意の読めないリッシュモンの無骨な顔を見つめる。


「兵士たちが噂をしている。あの少女は、ジャンヌ・ダルクの再来ではないのかと」


 あり得ないと口から出掛かったジルではあるが、それはフランを知っていればこその話である。なるほど確かに、そういう見方もあるのかと改めて思う所だ。


「……いいえ閣下、ジャンヌは確かに死に至りました。その遺灰をこの手で掬った私自身が何よりの証人です」


 希望も絶望も漂わせず、ただそうとだけ答えたジルを、ようやっと失意を浮かべたであろうリッシュモンが、言葉少なに頷いてみせる。


「そうか。いやすまない。青騎士ブレゥ・シュヴァリエについては、一切の詮索を禁ずる。その約束に同意したのは私だった」


 落胆したように肩を落とし踵を返すリッシュモンを、そこで初めてジルは、自らの同胞なのだと少しばかり確信を抱いた。


「……閣下」

 引き止める声に、リッシュモンは微かにだが振り返った。


「――ジャンヌは確かに死に至りました、ですが。その遺志までは死していないでしょう。我々が在る限り。フランスが残る限り。彼女の遺志は必ずや貫徹し得る……そして、その時にこそ」


 言いかけたジルに、リッシュモンは力ない微笑みを向けて、穏やかな同意を示した。


「かの聖女は蘇るでしょう。我々の心の中に。我々の祖国の内に」


 斯くて一礼するジルに手を振って、リッシュモンは夜の闇に消えていった。――開戦はもうすぐ其処まで迫っていた。満月が欠け、鎌の様に血を滴らせ微笑んだ時、戦端は切って開かれたのだ。

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