聖女錬成 - La Pucellation -
糾縄カフク
一章:讐鬼生誕
00:聖女炎上
それは騎士にとって悪夢だった。
幾度も幾度も脳裏を過る、
せめて責め苦があれば救われたろう。
或いは
だが彼女は、あの少女は一度として恨まなかった。
人を、我々を、今際の際にあって尚――、救われるべき
足元に火が
それが延々と、呪詛のように
なぜ斯くも信心深き少女の命を、これほどまでの
溢れ出る涙を堪える様に瞼を閉じる騎士の脳裏に、ほんの数刻前の惨劇が、これ以上なく鮮やかに蘇る。
* *
響くのは、
鮮血にも似た赤い戦旗が風になびき、その中で息を潜める様に、騎士を含む僅かな盟友たちは剣を握っていた。
――中央の広場、
しかし彼女の助力で即位したシャルル七世は、権力を手中に収めるや
やがて国王に見放されたジャンヌは孤立を深め、自軍を救うべく乗り込んだ敵地の先で、ついに
結末の分かりきった裁判で異端の
* *
「殺せ! 殺せ! 悪魔を! 魔女を! フランスの
戦地にあって処刑とは民衆の娯楽でもある。自国民を苦しめた年端もいかない少女の死を、イングランドの領民は歓呼で以て迎える。
「被告、ジャンヌ・ダルク。神の名を
その歓声を手で制した審問官が、形式張った質問をジャンヌに投げかける。
「私の名はジャンヌ・ダルク。
しかし聖書の一句を口にしたジャンヌは、これまでと同じ答えを返すだけだった。
「よかろう。だが貴様が向かうのは天国では無い、身を焦がしただ焼かれる、灼熱の地獄だ」
審問官の手の合図に合わせ、処刑人が
――このままでは。
騎士は握る剣の柄に力を込め、たとえ一人とて斬りかかろうと身構える。本来は強襲隊が広場に乱入し、その
――やめてくれ。彼女が一体何をしたというのだ。
だがいざ
「我らに罪を犯すものを、我らが赦すごとく。我らの罪をも赦したまえ――」
燃え広がる火がやがてジャンヌの体を包み、しかし黒い炭を落としながらも――、たった一つの声だけが止まずに聞こえる。
最早観衆も
たった一人の少女すら救おうとしない残酷な神への、たった一人の少女すら救えない無力な人への
* *
――ああ。
美しくも
騎士の乾いた涙の上に、もう一筋の線が描かれる。気がつけば周囲は薄暮がかっていて、世界の終焉を思わせる黄昏が、セーヌの河面を
騎士は立ち上がる。そして自らがかき集めた少女の遺骸を、腰袋にいれる……決意は固まった。最早揺らぐ事は無いだろう。
――神が彼女を救わぬのなら、人が彼女を救えぬのなら、悪魔よ。どうか我に、彼女を救う為の力を。
神は彼女を救わなかった。
王も彼女を救わなかった。
そして人も、無力で惨めな自分自身も、同じく彼女を救えなかった。
ならば。
ならば。
残された道は一つだろう。
神の無い世に。
信心の無い我に。
それでもなお
そして。
たった一つでも願いがあるとするのならば。
それは。
失われた彼女の救済以外には、きっとあり得ない。
彼女が一人の少女として歩む筈だった、幸せな日々を。
彼女が一人の羊飼いとして終える筈だった、
それらを、それらを、呼び戻し取り戻す手段があるというのなら。我が身を賭し捧げる事に、なんの惑いがあるだろう。よしんばそれが、外法による
騎士は歩く。決意を秘め、歩く。
騎士の名はジル・ド・レ。後に青髭と呼ばれる怪物。
1431年5月30日、この日だった。
ジル・ド・レと呼ばれた騎士が死に、人の皮を被った悪魔が、世に生まれたのは。
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