激動 PM00:00 遠野 縁
「来ないで変態っ!!」
「そのおみ足をぉぉぉぉっ!!」
変態が飢えた野獣の如く目の前に迫り、心身共に貞操の危機を訴えている。
そんな状況から逃れる為なのか、非常に直感がよく働く上に火事場の馬鹿力というべきか、普段以上に身体が機敏に反応する。
「いやっ!!」
「あふんっ!! おぉぉう、ぉ、ぉ」
魔の手から必死に逃れている少女、遠野 縁は足目掛けて滑り込んでくるブリーフ一枚の変態をジャンプしてやり過ごし、やたらと盛り上がっている筋肉まみれの背中を踏み台にして背後へと抜ける。
踏み台にした際、聞きたくもない野太い嬌声が耳に届くが聞かなかったことにして距離を取った。
暫く余韻に浸るかの様に痙攣していた変態は、まだ足りないと言った様子で更なる刺激を求めて起き上がり、抑えることができずに震えている少女へとギラギラとした視線を向ける。
「ちょっと、貴方の同僚でしょう!! どうにかしてください!!」
「……済まない。油断した。ちょっとだけ待って欲しい」
ファーストコンタクト、最初に飛びかかる直前。
氷室が少女を突然変身した変態の毒牙から守る為、反射的に二人の間に割り込んだ。
が、それは誤りだった気づいたのは我を忘れ薙ぎ払うように繰り出された豪腕に吹き飛ばされた後だった。
幾ら戦闘力が高いと言っても耐久力自体は普通の人間と変わらない。
咄嗟の事だったので魔導で強化することも間に合わなかった。
斎藤の様に肉体系の異能を持っている訳でもない彼は割と洒落にならないダメージを受け、騒ぎより外れた場所で一緒に居残っていた部下から治療を受けている。
巨体に血走らせた目と危険人物そのものに見える斎藤だが、実際は斎藤に少女を害する行動など取れるはずもなく、腫れ物を扱うかの様に足を触らせてほんの少しだけペロペロさせて上げれば落ち着くのだが、そんな事を被害にあったことのある杉山以外知るはずもなく、知ったとしてもそれを許可するとは到底思えない。
ただ、勢いに押されて貞操の危機を覚えるのは間違ってはいない。
過去に被害にあった少女達が離した証言の九割は身の危険を感じたと言っており、残りの一割は天使の様な心の持ち主なのか斎藤の心の奥に優しさを見たと証言していた。
変態行為が清らかな少女を見つけ出す手段なのだとしたら、斎藤は意外と見る目はあるのかもしれない。
しかし行為そのものが犯罪である事実は消えず、ペロペロする時点でアウトなのは言うまでもない。
「はぁ、はぁ、ハァ、ショォジョ……ォォォォォアァァァ」
「あっ、まずっ! ん、えぇいっ!!」
突如として先程までの動きとは比べ物にならない速度で突っ込んできた事で、反応が間に合わずに足を掴まれてしまう。
びくともしない強靭な腕に掴まれているにも関わらず、痛みなどなくむしろ優しく労るような感触。
だが、そんな予想を裏切る様な現実は逆に彼女の恐怖を掻き立てるには十分なもので、掴まれていない足で反射的に蹴り飛ばしてしまった。
「え……?」
元々【時遊び】を使うことすら忘れてしまう程混乱していた彼女は、自分という非力な少女が出した蹴りなど変態に効くとは思っていなかった。
しかしダメ元で繰り出した蹴りは再び予想を裏切る様に劇的な効果を生み出す。
「ぉ、ぉ、ぉぉ……ぉぉ」
蹴り飛ばされた変態は地面に倒れ伏し、ご褒美を頂けた事で喜び打ち震えているかの如く激しく痙攣していた。
「へ、変態……」
理性が拒絶し、生理的に嫌悪する。
そんな変態が居る部屋には一秒たりとも居たくないと、ようやく我に戻った彼女は【時遊び】を使い己の速度を加速させ消える様に部屋から逃げ出した。
全ての景色がゆっくりと流れる中、あれが葵の同僚なはずがないと叫びたくなる衝動を抑えながら、未だ脳内にこびり付いて離れない恐怖により、振り返ること無く出口へと駆け出していく。
「はぁ、はぁ、なんとか振り切れましたかね……」
正門付近に到着してようやく能力を解除し、追ってきて居ないことを確認する。
彼女の異能により、本来の時間で換算すれば部屋から飛び出してまだ十秒も経ってはいない。
少しの間、後ろに視線を向けた後安心したのか乱れた呼吸を整えながら決意する。
「もう二度と葵の居ない時に顔を出すことはしませ――――っ!?」
呟きを終えようとした時、けたたましい爆発音が周囲に響き渡った。
音の聞こえ方からして遠い所で起きたということは理解できたが、周囲から聞こえてきたという事実に違和感を覚えデバイスを起動すると。
そこには非常事態宣言が発令されており、最寄りのシェルターか対策庁への避難指示が示されていた。
「二人は――――!!」
同時に家族である二人の少女達の身を案じる。
デバイスで現在位置を確認すると、燈火はスーパーからの帰り道、雫は未だに家に居ることが示されていた。
「迎えに行かなければ」
非常事態により正門から避難してくる市民達が濁流の様になだれ込んでくる中、流れに逆らい進んでいく彼女の手を掴もうとする人物が居た。
「ダメだ。君は遠野の家族だろ。彼の為にも君は安全な所に居なくちゃダメだ」
聞こえた内容に振り返った先には、デバイスを操作している間に追いついてきたのだろう。
先程変体した変態と思わしき人物が、変身前の姿で彼女へと手を伸ばして真剣な表情を向けていた。
それは先程まで己の欲望に振り回されていた雰囲気はなく、心から彼女の無事を願う物が瞳の奥に確認することが出来た。
家族が葵一人だけなら素直に従っただろう。
少なくとも今の彼は信じるに値する瞳をしていると彼女は直感する。
だが彼女は、遠野 縁には妹のように想っている二人の家族が居るのだ。
それを放って自分だけ安全な所で震えていることなどできはしない。
故に答えは決まっていた。
「貴方。そちらの雰囲気を纏っている時の方が素敵ですよ」
「ありがとう。とりあえず避難場所に――――っ!?」
「ごめんなさい――――」
斎藤が掴もうと伸ばした手は彼女に触れること無く空を切った。
何故なら一瞬前まで手の届く位置に居たはずの彼女は、影も形もなくなっていたのだから。
残された言葉と届かなかった手に固まっている彼に大きな声が掛かる。
部下の治療もあり、漸く自由に動ける様になった氷室が少女を追って飛び出した斎藤に追いついたのだ。
「斎藤っ!! 非常事態だ。何をしているっ! 早く防衛に――――」
「――副長。斎藤 幸也。これより職場を離脱します」
しかし、氷室の言葉に対する返答は命令違反どころではなく職務放棄といってもいい内容。
彼が少女に並々ならぬ執着を見せるのには理由がある。
正確に言うなら色物二課と呼ばれている部署に所属しているメンツは、多かれ少なかれ何かを抱えている者が多い。
彼もその内の一人だ。
「何を言っている! そんな事が許される訳が無いだろ!!」
まだ彼が学生だった時、近所の少女達と仲良くなって遊んでいた時期があった。
その当時はまだ性癖を拗らせてなどおらず、至極一般的な感性を持ち少女達とは兄妹の様に接し、そんな彼に少女達はよく懐いていた。
しかし、穏やかな日常は唐突に通り魔という存在によって崩された。
振りかざされる白刃。
初めて目にする恐怖に竦み上がり、目の前で為す術無く奪われていく少女達の命。
その時耳に届いた、助けを求める声が未だ脳内にこびり付いて離れない。
そしてその時まで発現せずにいた異能が危機に際し覚醒した事で、生き延びてしまった自分を許すことができないでいる。
そして何時しかそれが原因か、精神安定の為に執拗な程少女を求めるようになってしまった。
「僕は、僕の信念の為に対策庁に入りました。それを果たせないのなら居る意味などありません」
たとえどんなに変態扱いされようと、自分がこの制服を着ている理由は変わらない。
目の前で少女が危険に飛び込んでいくと言うのなら、今度こそ自分はそれを守り抜かねばならないのだ。
それが対策庁に入る際、己に課した戒めであり変わることのない覚悟。
氷室は向けられた視線と言葉は決して変わることはない物なのだと理解して嘆息する。
そして吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「……好きにしろ。ただし、後で覚悟しておくんだな」
「ありがとうございます。副長」
小さく氷室に一礼した彼は、最も得意とする身体強化式起動して彼女が向かおうとしていた方角を思い出し跳躍する。
彼は斎藤 幸也。
特殊捜査係の頼れる壁役であり、その身その魂を盾に少女達守り抜く守護者である。
「どの組織かは知らないが、少女達に手を出そうというのならタダじゃ済まさない」
◆
「通信妨害まで入るなんて、何なんですかもうっ!!」
周囲の時間がゆっくりと進む中、一番近くにいる燈火と合流する為にデバイスで現在位置を調べながら走っていた縁は、通信妨害により機能を果たせなくなってしまったディスプレイに悪態を吐いていた。
「メッセージはなんとか飛ばせたと思いますけど、こう現在地がわからないというのは不安ですね」
普通は時間を止めて向かえばいいと考えるだろうが、自分以外の時を止めるという概念に干渉する行為にはそれ相応の代償が付き纏う。
簡単に言えば消費する魔力が段違いに多いのだ。
今の縁でも莫大な魔力を有してはいるが、連続稼働を続けられても十五分が限度。
それに時間を止められているとはいえ、移動するのは結局の所自分なのだ。
加えて魔力を使い切れば虚脱症状で倒れる可能性もある。
それを踏まえると走りながら時を止めていられるのは十分も無い。
彼女の足で十分以内に辿り着ける場所に二人がいるのかといえば否。
故に比較的消費魔力の少ない加速を使用するのである。
「とりあえず雫は家から動かない様子でしたので、まずは燈火――で……?」
――カツン。カツン。
これからの行動計画を脳内で組み立てていると、定期的に地を鳴らす音が耳に届く。
別に普段なら気にも留めない。
だが、現在は自分は加速しており日常生活で耳にする”定期的な足音など”聞こえるはずがないのだ。
「あら、これは可愛らしいお嬢さんね。けど、こんな時に一人歩きは危険じゃないかしら?」
いつの間にか目の前には、下駄を鳴らしていたと思われる三日月があしらった黒い着物を纏う女性が立ち塞がっており、走ることを止めて立ち止まって向かい合う。
「これはご心配ありがとうございます。けど貴女――――」
同じ”時間”を生きている事を嫌でも理解させられる様に、互いに長い髪は緩やかに吹き抜けた風を受けて靡く。
少女は銀の光を放ち、向かい合う女性は対照的に光を吸い込むような黒。
――――死んでいるはずでは無かったのですか?
少女の問いに返答は無く、その似通った容姿は少女の心をざわつかせる。
自分が大人になったらこのような姿になるのだろうと自然と理解する。
同時に目の前の女性を幼くすれば今の自分と同じような見た目になるだと確信する。
間違えるはずがない。
何故なら毎日鏡で見ている顔なのだから。
美人と言ってもいい容姿に、ある意味安心すると共に何時迄も返ってこない問いにもどかしさが募った頃、ようやく女性が口を開いた。
「私の足、ちゃぁんと付いてるでしょ? それが答えよ」
からかうような色を含んだ声が少女の耳に届くと共に、周囲から全ての色が消え失せた。
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