第1話 さいかい
「助けて」
どこか遠くから
どこか聞き覚えのある、
その感覚はかつて異世界に迷い込んだ時と同じで、だから直感的に、その声が異世界からのものであること、自分が再び異世界との
一度境界を越えてしまえば、簡単には帰ってこられない。
最悪、死ぬまで。
前回は幸運にも、ごく短い期間で帰ることができたが、それでも元の世界に帰ってきたときには、決して失うことのできない大切なものがそこにあることを、人生で初めて感じることができた。
こちらの世界にも、守るべきものがある。
それに異世界に行ったとして、助けを求めるその人を救える保証はない。
無事に帰るどころか、足を
帰るまでの間、家族や友人たちをまた心配させ、悲しませることになる。
きっと普通の人ならば、ここで少なくとも少しはためらうのだろう。でも僕は――
「みんなごめん。必ず帰ってくるから」
ほとんど考える事すらしないうち、そう結論を出してしまう。
誰かが助けを求めているのなら、ここでいかなければ、きっと
自分が自分でなくなってしまうような気がするから。
そう理由を後から付け足して。
その
大切な人をまた悲しませる事になると知りながら、ろくに考えもせず勝手にこんな大切なことを決めてしまうなんて、なんて冷たい人間なのだろう。
そんな風に考えながら、しかし僕はためらうことなく足を前へ
普段眠りから覚める時と変わらない、あの感覚で目を覚ます。
それは元の世界と何も変わらない。
ただ
するとようやくこの時になって、普段の僕の理性と判断力が戻ってくる。そして思う。
よく考えてみれば、これは考えるだに、恐ろしい状況ではないか?
理性の告げる言葉に、今頃になって言いえぬ恐怖と寒気を覚えながら
と、その視界に映し出される、明らかに昨晩ベットで寝た時からは考えられないもの。
それでも現実をすぐには受け入れられない僕は、腕で雑に目をこすって確かな
それは歴史の教科書か絵本に出てくる古めかしい城のそれのような、
高さ10メートルはありそうなそれは明らかに
引き上げられた
僕のいた世界にこんなものがあるだろうか? 古い城を復元したもの、という可能性も否定はできない。
だが前後の状況を合わせれば、答えは簡単に出る。
それなのにそれを認めようとしないのは、今頃になって
「――嘘だろ」
後悔してももう遅い。もう帰れない。僕は本物の異世界に来てしまった。
「いや待て、まだ決まったわけじゃ」
それでも
――
「――」
どうやら僕はカッコイイ勇者や英雄になどなれないらしい。
有名な英雄や勇者が実はこんな
それも一度目ならまだともかく、僕が異世界に来るのは、もう二度目なのだ。
「――落ち着け、まずは深呼吸。それから……」
そう口に出して、何とか気持ちを落ち着けようと
だが現実は待ってなどくれない。それは異世界でも同じこと。
次の一瞬、
直後足元の地面に差し込む巨大な動く影、地面から心蔵に伝わるように響く、低い振動。
続く
もしこの時まで
だがあの日からの努力が作り上げた肉体と精神は、その恐怖と圧力に
――立ち止まってはいけない。
動くのは逆に危険ではという考えをあえて振り払うように、足を開いて
そこにあったのは、城壁と同じ高さの石造りの
白い
首は長く、頭は肉食恐竜のそれに、後ろ向きの角を2本伸ばしたようなもの。
僕のいた世界の生物の
ドラゴン。
「――まずい」
人間が
それが嘘か本当かは知らないが、少なくともこいつが相手でしかも素手では、
と、その視界に映し出される、塔の根元に
――逃げろ!
叫ぶ本能に従うまま、曲げた
入口まで数十メートル。
直後動き、僕へと手を伸ばし始める影。
力を
――間に合わない!
本能が叫ぶ中、足元から伝わる、巨体の生み出す振動。
動かし始めた足は簡単には止められない、ならできる動作は一つ。
詰まった息を
できるだけ姿勢を低くすることで敵から見える
次の一瞬、恐怖のあまり思わず目を閉じてしまった僕の背中を
それとほぼ同時足元を
直後体勢を崩した僕は、
直後、両肩とこすれた
だが背後からは、
激痛を気にしている
手を地面について上体を起こし、再び地面を
わずか数メートル先の塔の入り口、時間にして数秒があまりにじれったい。
――早く! 早く! 早く!
心の内で
曲がり角の壁に両手を突き、勢いと速度を殺して階段へと体の向きを変えると、二段、三段と飛ぶようにして一気に
だがその直後、何かが気体を吸い込むような音が響くと同時、周辺の空気が後方に流れる
それと
考えるより先、倒れ込むようにして体を伏せ、両手を頭にきつく目を閉じた。
直後背後から響く、何かの吐き出される
ガスバーナーのそれをはるかに大きくしたようなそれが全身をつつみ、伝わる振動に全身が
轟音は数秒の間続き、一度やんだのち、再び空気を吸い込むそれがあり、繰り返し塔の内部に響き渡る。
背筋の凍りつく感覚と共に、内部から
全身から汗が
だが体の内部から発せられる熱に反し、外気は変わらず、石造りの通路に冷やされたそれのままだった。
――熱くない。生きている。おかしい。この塔と通路の構造では、ドラゴンの炎の
轟音がやんでしばらく、ようやく頭を
と、再び空気の吸い込まれる
だがそれと同時、入口を白く薄い光の壁のようなものが
バリアのようなものだろうか。
程なく息吹がやむと、巨体が地面を
だが先ほどの息吹と同じように光の壁に
その瞳はまさしく
だがそれでも、前回の異世界での経験と、これまでの厳しい
とっさに耳を
どうやら助かったらしい。
龍が入口を去って数十秒。
ようやくの
そうすることでようやく
明らかに
「――し、死ぬかとっ……おもっ……た」
乱れたままの呼吸で息も
「いっ、命がっ……いくつあっても……足りない」
そう何とか吐き出し、それからは全身の力を抜き、ただ体力の回復につとめる。
このままこうしてはいられないと再び動き始めるまで、少なくとも10分以上、そのまま動くことができなかった。
命を失って当然という状況だったことを考えれば奇跡の上に奇跡を重ねるように、体のダメージは小さなものだった。
地面にこすった皮膚も赤くなっている程度。
両肩もわずかに痛みが残ってはいるが、動かすのに
だが一度龍から逃れたとはいえ、状況的には塔の内部に追い詰められただけで龍も完全に
それに入口から外へ出たとして、周りが城壁で囲まれ門が閉ざされている以上、逃げ場はない。
そう考えたところで不思議なことに気づく。
普通城壁というのは外からの敵に備えるものだが、記憶をたどればこの城の城壁は内側、つまりこの塔を囲むように円形に
つまりはこの塔を囲むための城ということになる。
城の知識は比較的ある方だと思っているが、そんな造りの城など見たことも聞いたこともない。
だが残されている
不思議に思いつつも残された
通路に窓はないが、代わりに蛍光灯のような白い光を放つ、野球ボールほどの大きさの不思議な水晶体が壁にあり、階段を上るのに苦労はしなかった。
やがてある程度階段を上ると、そこに木製の古めかしい門が現れる。
それは多少頑丈そうではあるが侵入を本格的に
それも僕の世界の文字、漢字と仮名交じりの日本のそれで。
闇の
マンガやアニメによく出てきそうな
いちいちかまっていられない。
そう手で押すと、裏から何かが外れる様な金属音が響いた後、門は
と、門の先で階段は終わり、床は
この先に何があるのだろうか、そう
先ほどからの不思議な現象の数々は、やはり魔法というやつなのだろう。
それを調べたいとも思ったが、その
それまで
それは神聖な雰囲気であたりを包みながらも、その空間が
そうしてほとんど意識しないうち、吸い込まれるように歩を進めていた僕は、その白銀の
そして息をのんだ。
肩にかかる程度の長さの、薄い赤を
身に着けた、
その
その両手首を
足元に
息をすることさえ出来なかった。
ただ見つめることしかできなかった。
その一瞬、時が止まったようにさえ感じた。
だが次の一瞬、確かに動いた彼女の、か細く弱り切った指が、再び時が流れ始めたことを告げていた。
「――誰?」
かすれた弱々しいその声が心を
それは僕を再びこの世界へと
そしてそれより
どうして気づくことができなかったのか、今となっては不思議にさえ思った。
やがて視線の先のその人は、
この世のどんな黒より
右の瞳に垂直方向に筋状の、左頬に火傷による赤く痛々しい傷を負い、元の比較的きれいな顔立ちの
その
やがて彼女は僕の顔をまじまじと見つめ、
その表情は明らかな
「――うそ……どうして? どうしてあなたが、ここに?」
何度瞬きしても視界から消えない僕の姿に、彼女は表情から
「緑」
きっと彼女の瞳に映る僕の表情も似たようなものだろう。僕自身、目の前で起こっている出来事が信じられない。
「――ティア……さん」
頭の中が真っ白になる中、自然と口をついて出た彼女の名前が、7年前終わったはずの物語と、二人のさいかいを告げる。
彼女にとって僕は、滅びた世界と大切な人を救うという、夢と希望を奪った存在。
僕にとって彼女は、大切な人の命を奪った、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます