血が好きな少年の話

戸田 佑也

第1話

子どもの頃からなぜか血を見るのが好きだった。


何かの拍子に転んだりして擦り傷をつくったときに流れる、あの鮮やかな赤色を見ると心が落ち着いた。

乾いてしまってくすんだ赤色も悪くはないが、やはりそれではいけない。

あの赤色を見たくて時折わざと転んでみたりしたが、痛い割に思うように血が流れず辟易した。


小学校に上がって、図画工作の授業で彫刻刀を使って版画をつくる、というものがあった。

新しく買ってもらった彫刻刀には誤って指を切ったりしないよう安全装置のようなものがついていたけれど、学校に置かれていた彫刻刀は昔ながらの刃が剥き出しになったものだった。

僕は自分の指を削って血が流れるのを楽しんだのだけれど、やはり痛いのがいただけない。


図書館で借りた本を読んでいると、どうやら人は自殺する時に手首を切るものらしい、ということを知った。

気になって図書館のコンピュータを借りてインターネットで調べてみると、カッターナイフで手首を切って血を流している画像がたくさんあった。

何かつらいことや悲しいことがあったとき、僕は図書館に行ってこれらの画像を眺めるようになった。


中学生になると、まわりの友人たちにスマートフォンを持つ子たちが何人か出始めた。

親に話してみると、一年の間、試験で学年50番に入ればよいと言われた。

200人しかいない小さな学校だったので、上位25%に入ればよいだけだった。それほど難しいことでもなく、僕はやきもきしながら勉強を続けた。

結局20番より下になることはなく、中学2年生になる前の春休み、僕はスマートフォンを買ってもらえることになった。


包装を解くと、りんごのマークが輝く銀色の筐体が見えた。

わくわくしながら起動し、逸る気持ちを押さえて必要な設定を進めた。

そして僕はTwitterのアカウントをつくった。

図書館のインターネットにはTwitterにアクセスできないように制限がかけられていた。


図書館のコンピュータから、インターネットの海を渡り、リストカットして流れる血を見るのは僕の習慣になっていたのだけれど、ひとつだけ不満があった。

それはなかなか新しい日付の画像がアップロードされていなかったことだ。

僕は新鮮な血が見たかった。あの、流れたばかりの鮮やかな赤。

それは画面の上でも同じだった。もちろんそんなはずはないとわかっているのだけれど、日付が古いリストカット画像から見える血は、なんだか少しくすんで見えた。


スマートフォンを手に入れたばかりの友人たちが盛んにSNSで盛り上がっている会話に付き合っていると、Twitterの話になった。

健康な中学生男子なので当然えっちな画像をみんなで見ていたのだが、その中にひとつお風呂場で手首を切っている画像が流れた。

友人たちがグロい、などと言ってまた盛り上がる中、僕は息を呑んだ。

その日、帰ってすぐに、僕は親にスマートフォンがほしい、という話をした。


そしてようやく手に入れたスマートフォン。

僕は時々ダミーのツイートをしながら、リストカットの常習者たちを少しずつフォローしていった。

ただのメンヘラらしいツイートばかりしているアカウントはフォローを外し、きちんと手首やあるいは身体のどこかを傷つけて、流れる血をアップロードしてくれるアカウントだけを厳選している。

フォローしたアカウントの数は300と少し。決して多くはないけれど、自我自賛したくなるセレクションだと自負している。



僕のタイムラインには今日もたくさんの血が流れている。

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