今年の桜は良い桜

 9月、新学期。私は相変わらず、仕事と学業の両立で忙しい。ルシールやフォースティンとも、メールのやり取りをたまにするだけだ。

 あれ以来、ヒルダは来ない。電話やメールも来ない。何の問題もなければ良いが、気になる。

 私はロクシーと共演しなくなった。どうやら、彼女の所属事務所がテレビ局に圧力をかけたらしい。ロクシーの共演NGリストに私の名前が挙がったようだ。そして、放送作家としてのヴィクターも彼女とは関わらない。

 ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド。彼女は芸名通りに輝くスターだ。まるで沈まぬ太陽のように。彼女は歌だけでなく、映画も大ヒットしている。彼女が表紙を飾るファッション雑誌も、すぐに売り切れる。大手芸能事務所に所属しているから有利なだけだと批判する人も少なからずいるけど、決してそれだけではない。

 彼女自身のギラギラした野心が、彼女をショービジネス界の「太陽女神」として輝かせているのだ。彼女に近づくと焼け焦げて蒸発しそうだ。彼女の恋愛ゴシップの相手になった男性有名人たちも、彼女の前では燃えカスのようだ。

 私は、そんな恐ろしい人を敵に回してしまったのだ。


「フォースタス、あなたに逢いたい」

 私は一人、自室で物思いにふけっている。そう、あの人を思う。

 フォースタス・チャオ。

 私が子供の頃から恋焦がれていた人。あの人と私が婚約したのは、研究機関〈アガルタ〉の計画に基づく「実験」だけど、私にとっては、そんな事などどうでも良かった。

 私がまだ幼いうちは、あの人は優しく接してくれた。しかし、あの人は徐々に私と距離を置くようになった。

 他に好きになった異性がいたから。もちろん、あの人は私に何も言わなかったけど、私は他の「女」の影を感じていた。

「私がフォースタスを好きなのは、計画なんて関係ない。ただ単に、あの人が好きなだけ」

 もう16歳。いや、まだ16歳。このもどかしさ。私はますますいらだつ。

 ただ、不幸中の幸いは、私があの人の存在以外に生き甲斐を持っている事だ。他のバールたちが私利私欲抜きで縁の下の力持ちの仕事をしているのとは対照的に、私は自分がやりたい事を仕事にしている。

 そう、他の人造人間たちには許されない生き方を、私には認められている。しかし、私の正体は、世間ではトップシークレットなのだ。

「確かにあんなひどい事はあったけど、私はあの人を嫌いになれないし、なりたくない」

 私は、部屋の灯りを消し、布団に潜り込んだ。せめて、夢の中では最愛の人に逢いたいのだ。



「今日からフォースタスがウチの所属タレントになるのよ」

 私は驚いた。

「ブライアンがあの子のマネージャーよ」

 私は信じられなかった。しかし、それは本当だった。邯鄲ドリームの所属タレント名簿に、新たにフォースタス・チャオの名前が加わった。

 しかし、ヴィクターもミヨンママも、私たちに対する配慮なのか、私たちを会わせなかった。


「ごめんなさいね、アスターティ」

 私は久しぶりにアガルタに行った。一通り検査を受けてから、ミサト母さんに会いに行った。ミサト母さんは言う。

「私たちの身勝手のせいで、あなたを苦しめたのね」

「いいえ、そんな事はないわ。私、フォースタスを責めるつもりはない」

「ありがとう、アスターティ。あなたが許すなら安心だけど…」

 ミサト母さんは窓の外を見る。外は紅葉とイチョウ並木で暖色系に染まっている。

 ここ、アガルタには、研究者やバールたちやその他職員だけでなく、退役軍人たちもいる。退役軍人たちは、アガルタ特別区で第二の人生を歩んでいる。いつか、ゴールディが私に手作りアクセサリーをくれたけど、材料を売っている手芸店のオーナーも退役軍人だという。

「ゴールディやアスタロスも忙しいから、なかなかあなたに会う機会がないわね」

「挨拶をしたかったけど」

「そうだ、挨拶といえばマツナガ博士がいるけど、会いに行ったかしら?」

「いいえ、まだ会っていないわ」

「あの人もあなたを心配しているわ。会いに行ったら?」


 私はマツナガ博士の部屋に行った。

「失礼します」

「よく来たな、入れ」

 マツナガ博士はモニターで、ある劇団の演目を観ていた。

「〈シャーウッド・フォレスト〉という劇団だ。ここの主宰者は、あいつのハイスクール時代からの友達なんだが、こいつらは見どころのある奴らだよ」

「あいつ」。あの人、フォースタス・チャオの事だ。

「この主宰者のスコット・ガルヴァーニという男は、時々テレビドラマに出てるな。なかなか演技がうまいぞ」

 スコット・ガルヴァーニ。そうだ、思い出した。何度かドラマで見た事がある役者さんだ。しかし、この人がフォースタスの友達だとは知らなかった。

「どうだ、お前? 役者の仕事に興味はないか?」

 私は博士の質問に意表を突かれた。

「そんな事は思ってもいませんでした」

「なるほど、『です』ではなく『でした』か…面白い」

「ドクター、それってどういう意味ですか!?」

 私は博士が何を言いたいのか分からなかった。それに、博士は何かを企んでいるようで、何だか不安だ。

「ハッキリ言って、俺はロクシーが嫌いだ。あの女は虚名で武装しているが、あいつは何か重大な秘密を隠し持っているぞ。まあ、俺にとっちゃどうでもいい事だが、あいつの事務所の妨害に負けないように気をつけな」



 アヴァロン連邦暦346年のクリスマスイヴ。私は家でミヨンママ、ブライアン、ミナ、ヴィクター、デヴィル・キャッツの二人と、パーティを開いていた。

 マリリンの赤ちゃんは10月に生まれていた。女の子で、名前はクラリスだ。私はマリリンに出産祝いのプレゼントを贈った。今のゲイナー家もクリスマスパーティを開いている頃だろう。

 デヴィル・キャッツの二人は、今年の今夜も我が家に泊まるので、遠慮なくガバガバとスパークリングワインを飲み放題だ。私は未成年だからまだお酒を飲めないけど、多分下戸だろう。

 私たちは、ローストチキンやスモークサーモンマリネなどのご馳走を食べ、パーティはお開きになった。

 今夜はヴィクターも家に泊まる。ヴィクターはミナの部屋にいる。二人で色々と話しているだろう。


 私は一人、自室でテレビを観ている。今、音楽番組を放送しているが、あのロクシーのクリスマスソングのビデオクリップが流れたので、私はサッサとチャンネルを替えた。

 邯鄲トイズのロクシー人形は、ミヨンママの知り合いの女性の娘さんにあげた。今の私には、もう必要ないものだから。以前は憧れていた#偶像__アイドル__#に幻滅した今では、もう邪魔なものでしかないから。もちろん、人を人と思わない「セレブ」は珍しくない。ロクシーもそんな凡庸な「セレブ」に他ならない。私もミヨンママも、彼女が一番の「仮想敵」だ。

 アガルタのマツナガ博士もロクシーが嫌いだと言っていたけど、なるほど、確かに男性目線から見れば「男を単なる財布やアクセサリーとしか思えない女」に過ぎないだろう。一部の成金男が「生きたアクセサリー」として連れ歩くような美女。確かに、彼女のような女性像を不快に思う人間は、老若男女問わず少なくない。それに、あの人の人気はすでにピークを過ぎているような気がする。

 今の私は仕事と学業を両立しているし、大学にも進学するつもりだ。目標はすでに決まっている。あの人、フォースタスの母校アヴァロン大学文学部だ。大学入試のためにも、音楽活動は少し控える必要がある。今の私はセカンドアルバムの録音作業があるけど、それ以外はメディアへの露出を控える。

 久しぶりに、ルシールやフォースティンと一緒に遊びたい。今の私の立場では、なかなかそのような余裕はないけど、テレビやラジオへの出演を制限すれば、あの二人と遊ぶ暇を確保出来るだろう。



 年が明けて347年、4月。私は今年もセントラルパークで桜の写真を撮る。そこに、さらにめでたい知らせがあった。

 ヴィクターとミナが結婚した。しかも、すでにミナのお腹の中には赤ちゃんがいる。そして、出産予定日は10月だ。

 今年の私は、あまりメディアに露出しない予定だ。何とかうまく学業と楽曲作りの両立を果たしたい。

 そんな私は、あのルシールとフォースティンの他にも友達が出来た。


「アスターティ!」

 新しいクラスメイト、ベリンダ・モンマス。小麦色の肌のかわいい女の子だ。

 淡い栗色の巻き毛。パッチリとした大きな目。愛嬌のある笑顔。屈託のない人当たり。私は、彼女に対して警戒心を抱く必要がなかった。そのベリンダのおかげで、私は少しはうまく他のクラスメイトたちと付き合えるようになった。

 この学校は、ある程度開放的でリベラルな校風のおかげか、女生徒たちの関係も「女社会」のマイナス面をほとんど感じさせない。もちろん、様々な「属性」によって色々なグループがあるけども、ここは良い意味で「他人は他人、自分は自分」という言葉がふさわしかったし、その通りの生徒たちが多かった。

 ベリンダが言う。

「シャーウッド・フォレストの劇のチケットがあるけど、観に行ける?」

「シャーウッド・フォレスト? 劇団?」

 そうだ、マツナガ博士が注目している劇団。以前、映像を見せてくれた、あの劇団だ。

「パパとママと三人で行く予定だったけど、パパに急用が出来たの。だからチケットが余ったのだけど、一緒に行ってくれるかな?」

 私はその劇を観たくなった。

「ありがとう。行けるかどうか、うちのママに訊いてみるね」


 私は家に帰ってから、会社にいるミヨンママに電話をかけた。

「もしもし、ママ?」

「どうしたの、アスターティ?」

「あのね、私の友達がシャーウッド・フォレストという劇団のお芝居のチケットをくれるって。あの人のお父さんが急用で観に行けなくなったから、チケットが余ったというのだけど…」

「当日券があるなら、私も観たいわね」

 ママもシャーウッド・フォレストに、そしてスコット・ガルヴァーニという役者さんに興味があるようだった。

「ヒサもあの劇団や役者さんに注目しているわ」

 ヒサ…マツナガ博士だ。ミヨンママはどういう訳か、マツナガ博士とは古くからの知り合いなのだけど、この二人がどうして知り合ったのかは分からない。多分、ミサト母さんの紹介だろうけど、色々な意味で謎だ。まあ、あまり深く追及しない方が良さそうだ。

「今度の土曜日ね。行きましょ」

 ママは許可してくれた。

 私は今年の春も、街中の桜の写真を撮っている。ソメイヨシノやヤマザクラ、八重桜にその他色々。桜の花に限らず、私は写真を撮るのが趣味だ。そのまま眺めるのも良いし、コンピューターで画像を加工するのも面白い。来月上旬には藤やライラックなどの花の写真を撮りたい。

「今年の桜は良い桜。多分、来年も」

 私はこれからもずっと、アヴァロンシティに春が訪れるたびにセントラルパークの桜の花を撮り続けるだろう。

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