ロクシーとヒルダ
私とミヨンママはテレビ局に到着した。私たちは楽屋に向かった。
廊下の向こう側に、艶やかな長い金髪の女性がいた。彼女はサングラスをかけており、何人かの付き添いに囲まれていた。彼女がサングラスを外したのを見て、私は「あっ!」と声をあげた。
ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド。
「は、初めまして、こんにちは。私はアスターティ・フォーチュンと申します」
私はロクシーに挨拶をした。しかし、彼女はしばらく私の顔を見てから、冷たい声でそっけなく答えた。
「あら、あなたがアスターティ? よろしくね」
そして、プイとソッポを向いて、付き添いたちと一緒に自分の楽屋に入った。
私は正直言って、彼女のそっけない態度に不快感を抱いた。大物芸能人には色々な種類の人たちがいるけど、彼女のような無礼な人は、あまり育ちの良くない成り上がりが少なくない。私はロクシーの出自を知らないが、おそらくは下流層出身だろう。
私たちは、本番に向けてリハーサルをしている。サーシャたちもデヴィル・キャッツも真剣だ。
ロクシーも真剣にリハーサルをしているが、私は彼女の取り巻きたちの中に若い黒人女性がいるのを見て、思い出した。
いつか、カフェで見かけた二人の女性客。一人は金髪の白人で、もう一人は黒人。私は彼女たちをそこら辺の学生だと思っていたけど、実はロクシーと付き添い人だったのだ。私が生身の彼女と「会った」のは今日が初めてだけど、彼女を「見た」のは二度目なのだ。
そして、本番。ベテラン司会者と人気アナウンサーのやり取りの後で、私はステージに立った。
「Lucidity」
私たちは無事に演奏を終えた。観客席からは大きな声援や拍手が鳴り響いた。しかし、私はスタジオを見渡し、ゾッとした。
ロクシーが私をにらんでいる。
やはり、彼女は私を快く思っていないのだ。
番組の生放送が終わり、私たちは楽屋に戻った。
《何て嫌な人だろう》
私は口には出せなかったが、ロクシーに対しては間違いなく嫌悪感を抱いている。「敵」…そんな言葉すら思い浮かぶ。多分、彼女も私を「敵」だと認識したはずだ。
私は確信した。彼女と私が間違いなく不倶戴天の敵同士である事を。
ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド。私はあれ以来、しばしば彼女について考えている。
彼女自身も一般人から嫉妬される立場だけど、彼女は自分より若い私に嫉妬しているのだ。しかし、私は彼女の悪感情に対してカマトトぶる気などない。ただ、私は自分の彼女に対する悪感情を公にする訳にはいかない。下手をすれば、大スキャンダルになってしまう。
この業界には、口は災いの元という言葉通りの人間が少なからずいる。ロクシーの後輩の中にも、そのような女性歌手がいた。彼女はラジオの生放送中に中高年女性を蔑視する発言をしたのが問題となり、しばらく謹慎処分になっていた。それに、彼女は先輩ロクシーやその他女性歌手たちを馬鹿にする発言をしていたので、余計にヒンシュクを買っていた。だから、しばらく干されていたのだ。
少しでも自分を善人らしく見せるために「嫉妬という感情が理解出来ない」フリをする人間がいるが、私はそんな人に対してうさんくささを感じる。生身の人間ならば、大なり小なり他人に対する嫉妬心を抱くのが自然なのに、それを否定するのは卑怯でいやらしい。それに、嫉妬心が薄い人間とは、よっぽど自信があるか、よっぽど他人に対して無関心か、よっぽど他人を見下しているかのいずれかだろう。私はロクシーをそんな人だと思っていた。
しかし、私はあれでロクシーが「ただの人」「ただの女」であるのを知った。いかにも常人離れしたイメージのスターだけど、実際には平凡な悪意を抱く人だ。
マリリンは今、妊娠中で休業している。予定日は10月だという。私はマリリンからロクシーについての話を聞いた。マリリンの旦那さんは色々な女性相手に浮気をしているようだが、その中にロクシーがいるらしい。しかし、ロクシーの男性関係はそれだけではない。政界・財界・芸能界の大物相手の交際が話題になっている。むしろ、スキャンダルが当人の本業みたいだ。
「あんな人にはなりたくないな」
「枕営業」という言葉がある。女性芸能人が有力者と肉体関係を持ち、そのコネで仕事を得るという汚いやり方だけど、ロクシーには常にその噂がある。さらに、元々そういう仕事をしていたのが成り上がったという噂もある。
幸い、私はミヨンママや業界の有力者たちからそれを強制されていない。全くの処女だ。何しろ私は、フォースタスの婚約者であり、大切な使命があるのだ。
「フォースタス、会いたい」
ブライアンから聞いた話だけど、あの人は今、劇団〈シャーウッド・フォレスト〉で裏方の仕事をしているらしい。この劇団の主宰がフォースタスのハイスクール時代からの友達らしい。それで、この人はフォースタスに同情して、あの人を雇ったそうだ。
いずれにせよ、私はまだまだあの人には会えない。
私は、夢の中でしかあの人には会えない。
✰
「今日のゲストはアスターティ・フォーチュンさんです!」
8月。私は夏休み中、いくつかのテレビやラジオの番組に出演した。ライヴハウスでも何回か演奏した。私だけではない。デヴィル・キャッツの二人も、本業のダンサーの仕事だけでなく、ラジオパーソナリティの仕事をしている。
ミヨンママは、フォースタスの弟ヴィクターに、邯鄲ドリームの社長の役職を受け継がせた。そして、ミナが副社長に就任した。私は、ヴィクターがまだまだ若いので不安に思ったが、ママが言うには、しばらくは自分とミナが事実上の司令塔でいるという。これは思い切った決断だ。
そのヴィクターはフォースタスたちと一緒にバカンスに行った。ミヨンママは言う。
「ヴィックもシリルも、あの子を立ち直らせようとしているのよ。そのきっかけとしてちょうど良い機会よ」
今は夏休み中だけど、ルシールやフォースティンには会えない。あの子たちは受験勉強中なのだ。満足な話相手は、ミヨンママやミナ、サーシャやデヴィル・キャッツくらいだ。
「え!? 離婚しちゃうの?」
「やはり、そうね。あのバカ旦那なんて、捨てて正解よ」
ミヨンママはため息をついて言う。ママは問題のダメ男に心底から呆れている。浮気と暴力と金遣いの荒さというダメ人間なんて、結婚なんてすべきではない。
私はマリリンが離婚するのを知って驚いた。まだ身重だけど、やむを得ない決断だった。マリリンは、長女アリスと一緒にお姉さんの家に戻った。この家は内科クリニックなのだが、ゲイナー姉妹の両親は長女ジェラルディンにクリニックを任せて、別荘に引っ越した。ジェラルディンは若くして一国一城の主になったのだ。
ゲイナー家は、三姉妹の末娘フォースティンも含めて女ばかりの所帯になった。
「あ、またあの子が来ている」
窓の向こうに一人の女の子がいる。彼女は私と目が合うと、目を背けて、立ち去る。これで何度目だろうか?
私が外出する際に彼女に会うと、彼女は物陰に隠れる。そんな事が何度かあった。
最近、我が家の近くでしばしば赤毛の女の子を見かける。くせっ毛がアフロヘアみたいに丸く膨らんでいる。そんな髪が目立つ。おそらく小学校高学年くらいだ。その顔立ちは、美少女というよりも美少年みたいに凛々しい。彼女は私と目が合うと、顔を赤くして目をそむける。どうやら彼女は、私に対する悪意はないようだが、それにしても気になる。もしかすると私のファンなのかもしれないけど、正直言って、あまり歓迎は出来ない。
なぜなら、ファンを装ったアンチが嫌がらせをする危険性があるからだ。熱狂的で独善的なファンのストーキングだってある。色々と気をつけなければならない。
しかし、問題の女の子からはそのような「邪気」は感じられない。私は孫悟空みたいな彼女に興味を抱くようになった。
「ねぇ、ちょっと」
「は、はい!?」
私は思い切って彼女に声をかけた。彼女は思い切り恐縮している。私は彼女を怖がらせないように、優しく問いかけた。
「別にあなたを責めるつもりはないわ。あなた、私に何か用があるの?」
彼女は半ば泣き出しそうだったが、答えた。
「すみません。私、あなたのファンなんです。だから会いたくて来たんです」
「でも、しょっちゅうここに来ているようなら、色々と疑われるわよ」
「ご、ごめんなさい。でも私、あなたの事を尊敬していて、弟子にしてもらいたいから来てるんです!」
「え、弟子!?」
私は困惑しつつ、彼女を家に入れずに、近所のカフェに連れて行った。お互いに初対面だし、家に入れるのは色々と危険だからだ。私は彼女に飲み物とケーキをおごった。
彼女の名前はヒルダ・マーズ。今年の12月に12歳になるという。ヒルダは複雑な家庭環境にあるらしく、家出をしているようだ。
ヒルダはギターケースを背負っていた。彼女は6歳の頃からギターを弾いていたという。近所に住んでいた女性から演奏を習っていたそうだが、その人はエディ・ヴァン・ヘイレンの子孫を自称していたらしい。もちろん、子孫云々は眉唾ものだけど、ヒルダがその人の影響でプロのミュージシャンを目指しているのは確かだ。
「でも、早く家に帰らないと、家の人が心配するでしょ?」
「あんな奴ら、知るもんか!」
ヒルダは声を荒らげた。他の客たちがこちらに注目したし、私も驚いたが、彼女は自分の家族を恨んでいる。ヒルダの継父、すなわち母親の再婚相手がマリリンの元旦那さんと似たようなダメ男で、母親に暴力を振るって、堂々と愛人を家に連れ込んで好き勝手に振る舞っているのだ。
私はミヨンママに相談しようと思った。しかし、全く無関係の一般人のトラブルに首を突っ込むべきではないと言われるだろう。困った。しかし、私はこの子を放っておけない。
「今の私はなんの力にもなれないけど、いざという時のために連絡先を交換しましょう」
「あ、ありがとうございます!」
ヒルダの顔は涙でビショビショだった。私はティッシュを取り出して、彼女の顔を拭いた。
「おいしいケーキを食べさせてくださってありがとうございます。ごちそうさまでした」
「何かあったら連絡して。もしかすると、邯鄲ドリームの顧問弁護士の方に相談出来るかもしれないから」
「ありがとうございます!」
ヒルダはギターケースを背負い、帰った。いや、そのまま家に帰ったのかは分からない。継父だけでなく、実母からも育児放棄されており、学校でも居場所がない。私は彼女が心配だ。
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