第18話*伍 外側_

 尖塔。やり。あるいはオベリスク。


 その形容しがたい建造物モニュメントは、円形の部屋中央部に鎮座していた。


 ハルトは部屋中央のそれを見上げると、隣のフレイに話しかける。


「これを見せるために、ここまで僕を連れてきたの?」


「そう。でもアンタに見せたいのは、それだけじゃない」


 フレイはそういうと、頼りない足取りで中央の記念碑へと歩み寄る。そのすぐ後ろをあの白い犬が追った。


「この空間は何?それにこの塔みたいなものは?」


「ここは『黙示の間』」


「そして」とフレイは付け足すと、静かに尖塔に刻まれた碑文を手でなぞる。


「これは、黙した亡者を忘れないための石碑」


「亡者……」


 この場所にたどり着くまで、この少女――フレイはほとんど何も発することがなかった。フレイはただ一言「見せたいものがある」と、ハルトの手を引いてここまで駆けてきた。


「アンタ達、ルクスの人は知らないんでしょ?のこと」


「外側って、ルクスの?」


「そう。ルクスという国の外に広がる世界のこと」


「知らないわけではないよ。海が広がってて、その先の大陸に大小の国があるっていうことくらいはちゃんと……」


「地理的なことじゃない」


 フレイは振り返ると、短く否定する。


「世界ののことを言ってるの。あたしは」


「在り方って、どういうこと?」


 少女の表情が翳る。


「世界が積み上げてきた歴史、それに立脚した現状いま。そこに生きる人々の思想や、行動の拠り所となる信条。そうある姿。形而下けいじかの話じゃない」


 それは、およそ幼い少女の口から語られているとは思えない台詞だった。


「その、なんていうか……。要するに世界を取り巻く情勢ってことかな」


「端的にいえばそう」


「それなら、知らないって程でも……」


 の話であれば、学校の授業で習ったことがある。世界の形や、フレイが指摘する世界の在り方も。与えられた知識ではあるが、確かにこの頭の中にある。


「へえ。じゃあ聞くけど、ここに刻まれたものが何だか、アンタにはわかるの?」


 そう言いながら、フレイはコンコンと後ろの石碑を叩いた。


「これは……。何かの名前……?」


 近くに寄って刻まれた碑文を見る。読めないが、それが何かの名称の羅列であることは、何となくわかった。


「人」


「え?」


「『人』の名前。これ、全部」


「そ、そうなんだ……」


 刻まれた文字の羅列は、優に百万は超えているかに思えるほど、果てしなくつづいていた。まるでそれが一つの物語を紡いでいるかのように。


「で、これが世界の在り方とどう関係があるの?」


「……」


 フレイはその言葉を聞くなり、怪訝そうな、あるいは悲しみを湛えた表情を浮かべる。


「……そう、だから言ったのよ。『アンタ達は知らない』って」


「……どういうこと?説明してよ――」


 ――その時だった。


 破裂音が鼓膜を揺らし、ハルトは思わず耳を塞ぐ。


 何が起きた。この音は銃声……!?


 音の方向を見ると、銃を構えた兵士が立っているのが分かった。


「——っ!」


 まさか敵襲なのだろうか。ダルシスはしばらく此処に居れば安全だと言っていた筈だ。なのに何故――!


「フレイ下がってて!」


 咄嗟に銃の射線上に立ち、掌に力を込めると、ハルトは叫ぶ。


「ここは僕が――」


 後ろを振り返る。


「え……?」


 そこには怯える少女の影はおろか、先ほどまで一緒にいた白い犬の姿もなかった。


「なんで――」


 鳴り響く銃声に、戦慄が耳朶を撫で上げる。無理もなかった。


 ――幾百、幾千という弾丸が、この身を貫いていたのだから。


 放たれた銃弾が、かかとを抉り、脹脛ふくらはぎを掠め、ひかがみを貫く。


 腹には風穴が開き、臓腑を裂いて、それが脳を攪拌する。


 不思議と痛みはなかった。戦慄を覚えたのは、体を貫かれる苦痛でも、身を裂かれる恐怖でもなく、無表情の兵士たちの相貌かおだった。


 人を貫くことに何の感情もないように、ただ立ち尽くし、撃鉄を下ろし、引き金を引く機械。


 なんだ、こいつらは――。


 気が付けば、周りには骸が転がり、悍ましいほどの悲鳴と慟哭が虚しく響いていた。


 視界は砂塵に染まり、倒壊した建物が亡骸を押しつぶすのが見える。


「なんだ、これ。なんで僕、こんなところにいるんだ……」


 先ほどまでの光景は一体なんだ。フレイは、ダルシス王子は、セプティは、アシモは――。


「みんな、どこにいるの!」


 叫んだ。力いっぱいに悲鳴を上げた。しかし辺りには死体しかない。絶えず耳を劈く銃の咆哮が、この身を千々に引き裂く。


「どうして――」


「こんなことになった、かな。言いたいことは」


 銃声に交じって、フレイの声が響く。


「フレイ!どこ、どこにいるの!?」


「ここだよ」


 足元から声が聞こえて、咄嗟に地面へと視線を落とす。


「ふれ、い……?」


「どう?これが世界の在り方」


 それは歪な球体。髪が生えてて、耳がついてて、口が開いてて、瞳はしっかり見開かれている。


 頭だ。さっきまで知っていた少女の頭だ。


 でも違う。頭はそんな風に


「あ、あ――」


 意識が遠のく。不明瞭な違和感を残して、消えていく――。




 ――ほんとに悪趣味だよね。みせるなんて。



 少女の声が聞こえる。フレイの声ではない。聞き覚えのある。あの懐かしい声だ。



 ――ちょっとだけ、悪戯しちゃおうかな。



 少女はころころと少し笑う。



 ――あなたも、何一つ知らないのは一緒。だから……。



 ああ、そうか。またが来たのか。そんなことを思った。少し寝すぎたかもしれない。



 ――そろそろ起きて、___



 ああ、めんどくさい。




 ――***——

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