第9話 仲直り

 7月に入り蝉がうるさくなってきた頃、俺はようやく香里先輩に連絡をとって合う約束をした。正直、気は進まなかった。気まずいし、どんな顔をして会えばいいのか分からない。でも、俺は香里先輩と話しをしなければならない。じゃないといつまで経っても前に進めない。

 香里先輩と会うのは放課後、17時にローリエだ。

 その日の俺は全く授業に集中できなかった。ずっと香里先輩のことが頭から離れず、会ったら何から話そうかとそんなことばかり考えていた。おかげでテスト範囲を聞き逃したり、先生に問題を当てられたり散々だった。

 放課後になると優斗と青葉夏菜に挨拶をしてすぐに教室を出た。その際、優斗からがんばれよと声をかけられた。

 

 思ったよりも早く着いてしまった。まぁ学校終わってすぐ向かったから当たり前だろうけど。約束の17時まであと30分近くある。店内で待っていようかと思い、入り口に立つとドアに本日休業という張り紙が張られていた。

 休みか、どうしよう。香里先輩に連絡しようかと思ったがやめた。なんとなく直接会ってから言葉を交わしたいと思った。

 香里先輩を待っている間、中学校の頃のことを思い出していた。香里先輩に初めて声をかけたときのこと、一緒に遊びに行ったときのこと、そして最後に拒絶されたこと、今日はその話をしないといけない。香里先輩は何か理由があってあんなことをしたはずだし、話したくないかもしれない、それでもその話をしないといけない。そして俺のことも。でないとお互い前に進めないままだ。


 しばらくすると香里先輩が歩いてくるのが見えた。少し緊張する。

「久しぶり」

「うん、久しぶり」

 お互いに短く挨拶を交わす。どんな顔をしていいのか分からないのだろう。香里先輩は微妙な笑顔だった。俺もそんな顔をしているだろう。

「今日ローリエ休みだって」

「そうなんだ」

「だから、どこか他に話せるところ行かない?」

「うん」

 俺たちは並んで歩き出した。それから5分程俺たちは終始無言だった。どこに向かうかも決めてなかったため適当に歩いていると、自然と歩きなれた道を通っていた。


「ここって...」

 香里先輩が独り言のように呟く。

 そこには小さな公園があった。所々錆びた滑り台、塗装が剥がれたブランコ、色あせたシーソー、汚れたベンチそれ以外には何も無い。遊んでいる子供もおらず寂れたような雰囲気があった。

「懐かしいね」

 本当に懐かしかった。ここは俺と香里先輩が中学のときに2人でよく話しをした公園だった。昔はもっと広く綺麗だったような気がするが数年のうちに変わってしまったのか、それとも記憶の中で美化していただけなのか、どちらにせよ変わらないものなどないのだと、少し寂しい気持ちになった。

「ねぇ水樹、この公園で話さない?」

 香里先輩は先に公園に入り、入り口で立っている俺を振り返りながらそう言った。その表情は俺と同じようにこの公園を懐かしんでいるようで少し安心した。

 俺たちは並んでベンチに座る。

「いつもこのベンチに座って話してたよね」

「そうだね」

「いつもいつも何話してたんだろうね。私たち」

「覚えてないってことはくだらないことじゃない?まぁ、そんなくだらにことが楽しかったりするんだけど」

「そうだね」



 しばらくの間、俺たちは無言だった。

 時折吹く風の音やその風に揺れるブランコの軋む音がこの静けさをより強調しているようで、7月だというのになぜだか少し肌寒い気がした。



「...ごめんね。水樹」

「...」

「拒絶したこと、何も言わずに離れたこと、今更何事もなかったように振舞ったこと。私、水樹に謝りたいことたくさんあるの」

「それは、理由があるんでしょ?」

「うん。私ね...」

 それから俺は香里先輩の今までのことを聞いた。幼少期に虐待を受けていたこと、それから男性恐怖症になったこと、本当は俺が荷物を持つと言ったときに断ろうとしたこと、でも話しをするうちに心を許すようになっていったこと、学校生活が楽しくなっていったこと、最後にあんな別れ方をしてしまったこと。そのことをずっと後悔していたこと。

 香里先輩は多くのものを抱え込んでいた。今までずっと独りで抱え込んでいたのだろう。香里先輩は泣いていた。

 俺は香里先輩のことを何も知らなかった。

「ごめん、先輩。俺があんな、抱きしめるようなことをしなければ...」

「水樹は悪くないよ」

 涙を流しながら微笑む香里先輩の顔を見ることができずに目をそらす。

「でももし知ってたら、言ってくれたら何か...」

「言えなかった!私たち中学生だったんだよ?そんなの言えないよ。今こうなってやっと言えたんだから...」

「...そうだね」

 香里先輩が自分のことを言えなかったことも俺が傷つけてしまったことも、どうしようもないことだったと分かっている。それでもこの重い気持ちは無くならなかった。

「私は、水樹のことを嫌いになったことはなかったよ。あの時はびっくりして、確かに裏切られたような気持にもなったけど、それは水樹が悪いわけじゃない。私が勝手にそう思ってしまっただけだし…」

 香里先輩はまるですがる子供のように必死に言葉を繋げていた。

 あぁ、香里先輩はずっと自分を責めていたのか。

 俺とあんな別れ方をして謝りたかったけど嫌われたかもしれないと思うと連絡も取れなくて、時間が経つにつれて後悔は増して、独りで苦しんでた。 

 もっと早く再会できたらよかったな。

「先輩。俺は先輩のこと嫌いになったことなんてないよ」

 俺は前を向いたまま言う。香里先輩のがどんな顔をしているのかは分からない。

「俺も言わなきゃいけないことがあるんだ。俺、先輩に拒絶されてから...女の子に触れるのが怖くなったんだ」

 俺はあの別れから女の子に触れることが怖くなってしまった。どんなに少しでも触れてしまったら拒絶されてしまうんじゃないか、俺みたいな男が触れてしまったら気分を害してしまうんじゃないか。そんなことばかり考えるようになっていった。言葉を交わす分には問題はなかったがそれでもかなり気を遣った。今では落ち着いて良くなったがそれでも女の子には近づけなかった。

 青葉夏菜と出会ったとき、ぶつかったときだって手を差し伸べることができなかった。緊張して動悸が早くなり拒絶されるのではないかと思ってしまう。例え、相手がそういう触れ合いを気にしない人であっても、周りが気にするなと声をかけてくれても、これは俺の問題なのだ。

 最初は時間が経てば良くなっていくんじゃないか。好きな人ができればこのトラウマも克服できるんじゃないか。そう思っていた。でも、3年経ってもトラウマは消えないし、好きな人ができることもなかった。

 香里先輩は俺の話を黙って聞いていた。こんなことを話してしまったらまた香里先輩は自分の責任だと抱え込んでしまうかもしれないという思いはあった。それでも、話さないといけない。香里先輩は自分のことを話してくれた。なら、俺も自分のことを話すのが誠意であり、これからの俺たちのためでもある。そしてなにより、トラウマを克服するにはしっかりと向き合わなければ。

「...ごめんなさい。私のせいで、そんな、」

 やはり香里先輩は涙する。

「先輩、誰も悪くないよ。お互いに何も知らなかった。仕方ないことだよ。俺たちはお互いに加害者で、お互いに被害者だった。だから俺は先輩を許すし、先輩も俺を許してほしい」

 そう言って俺は立ち上がり、香里先輩に向かって深く頭を下げる。

「あの日のこと、本当にすみませんでした」

 香里先輩は堪えきれなくなったのか大きな声をあげて泣き始める。

「わ...わ..たし..みずきに...また..あえて..ほん...とう..に..うれしかった.......でも..わたしの....せい...で...」

 今の俺には泣いている香里先輩を抱きしめることも、頭を撫でることも、手を握ることもできない。そんな自分がとてつもなく嫌になる。だから俺は香里先輩に片手を差し出す。

「先輩、独りで抱え込まなくていいんだよ。これは俺たちの問題だ。2人で解決していこう」

「なに...これ..」

 香里先輩は差し出された俺の手を見てきょとんとする。

「俺からは触れられないから、その....少しなら大丈夫だと思うから」

 香里先輩は俺の手を握ってくる。両手でしっかりと握ったと同時に泣き声がまた大きくなった。

 俺は動悸が早くなり冷や汗が出て苦しくなる。俺は手を振り払いたい衝動に駆られるがそんなことはしない。できない。これは香里先輩が今までずっと独りで苦しんできたものだ。だから俺は耐えなきゃいけない。

 俺はできるだけ強く先輩の手を握り返した。


 そして、香里先輩が泣き止むまで俺たちはずっと手を握り合っていた。

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