【終】Ⅱ『唐紅獅子、吼え歌うままに』


〇 〇 〇


 ミランダの発言に千鳥は「冗談にも程があります!」と叫び、ラルゴは「未調整のギアを、ですか?」と青白い顔で訊ね、フォルテは「何を考えているのですか!」と動揺していた。


 ギアの発動にはスピリチュアル・サウンドが必要不可欠である。しかし一番重要視すべきは【適性】だ。

 どんなにスピリチュアル・サウンドの数値が高くても、凄まじい戦闘能力を保有していても発動に繋げなければ無意味である。


 そして何よりも大切なのは発動の【先】だ。使いこなすには奏着者がギアに耐えるか、ギアが奏着者に耐えるかのどちらかしかない。

 

そうならないために奏着者の数値に合った調律をする必要があった。


 保管庫にあった未調整のギアならば尚更だ。もしギアを発動させれば、その後に起きるのは【反動】である。予想不可能の代償を一般人が支払う羽目になるのだ。

 調整済みのギアならばバックアップなど容易い。しかし今から対応するのは未調整のギアである。


 今の時代は科学が全てを証明し、全てを物語る。お伽話に出てくる魔法のような奇跡など起きるわけがない。


『大丈夫だよ!心配いらないって!このドクター灰沢が付いているんだから!』


 不安になってる暇があったら手を動かして!と言わんばかりに能天気な口調で灰沢は告げる。 

 メイン画面の片隅に表示された小画面では慌ただしく周囲の機材を調整し、バックアップが行えるようにノートパソコンを操作する彼の姿があった。


 そんな灰沢の言動に触発されたのか、千鳥達スタッフは「負けてられない!」と言わんばかりの勢いでコンソール画面を操作し始める。


「大きなズレとかはそっちで対処してくれよ!」

『そのつもりだよ、千鳥くん!』

「皆でやれば大丈夫ですよね!」

『ナイスポジティブだよ、ラルゴくん!』

「皆、バカじゃないの?私もだけど。」

『相変わらず厳しいね、フォルテちゃん!』


 それぞれの持場を固めて対処に備える周囲にミランダからモニターチェックを託された桃花は驚く。


「これが希望を抱くニンゲンの姿、ですか?」


 ふぅ、と呆れたように溜め息を吐くと桃花は冷ややかな目を向けて言葉を吐いた。


「なんて、愚かなのでしょう。」


〇 〇 〇


「おお、ついに起動したか!」


 待ち望んでいたぞ、と言わんばかりにノートパソコンの画面に表示された数値に灰沢は狂喜する。

 薬品で汚れた指先でキーボードを忙しなく操作する彼の姿にレイモンドは複雑な表情で溜め息を吐いた。


 【雪村怜斗】の記憶を共有する。


 伯父である灰沢との付き合いは長い。生まれてから現在に至るまでの月日を過ごしている。

 母親である雪村六花の兄ということもあって、灰沢とは家族のように顔を合わせていた。


 最初は灰沢のかっ飛んだ思考と言動に【怜斗】は度肝を抜かれていた。

 だが長期入院が必要なほどに病弱だった彼にとっては心の支えとなった。


 灰沢の熱意に心を打たれ、いつか助手になりたいと思うようになっていた。それは『治療』と言う名の人体実験を受けてからも変わらなかった。


 愛憎入り混じりながらも「後遺症を隠してくれた借りを返す」という使命を【怜斗】から託されるとレイモンドは灰沢とともにギアの開発に携わってきた。

 しかし3年前の出来事によって築き上げた信頼は崩壊し、彼は彼で灰沢との距離を置くようになった。


 理由は一つ、灰沢が犯した【罪】だ。それが原因で彼の息子であり、【怜斗】の従兄は行方不明になった。現在に至っても生死はおろか遺体すら未発見である。

 自らの行為によって息子の安否が確認出来なくなった。それにも関わらず何食わぬ顔で普段と変わりなく研究に没頭し、今も数値と睨めっこしながら調律に励む灰沢の姿にレイモンドは怪訝な顔を浮かべる。


「どうしてなの?伯父様。」


 どうして、そんな風に平然としていられるの?と愛想を尽かしながらも叔父を案じるレイモンドの言葉は警告音とともに容易く掻き消された。


〇 〇 〇


「どうしてなんだ!」


 苛立ちながらもシオンは歌い、そして応戦する。


「どうして発動しないんだ!」


 一向に好転しない現状。

 一度も発動しない新機能。


 募る苛立ちと低下する歌力に焦りを覚えながら巨大な《アンノウン》達に立ち向かう。

 エネルギー源である歌力は孤独や絶望、憤怒や憎悪などの『負』を象徴する感情に対して過敏な反応を示す。


 その感情が強いほど歌力は減少し、奏備の機能に支障をきたす。


 滲み出た『負』の色を取り除き、態勢を立て直す余裕はシオンの中で失いつつあった。

 有象無象の集まりだった大勢の《アンノウン》が突如として共食いを始め、取り込みながら融合し合った末に巨大な《アンノウン》として生まれ変わったのだ。

 【災厄】を具現化した巨獣達に苦戦を強いられながらもシオンは歌い、青い刃を向ける。ベンジャミンとの連係に問題は無い。奏備の異常は起きてない。


 では何故、発動出来ない?


 もし、このままの状態で母艦までもが著しい【学習】を遂げたらどうなるのか?


 もし、今後アンノウンが出現する度に異例の速度で【学習】し続けて自分達では対処出来ないような強大な力を得たらどうなるのか?


 どろり、と『負』の色が【青】を侵食する。双剣を持つ手がカタカタと震え出した。

 シオンは動揺する。震えを止めようと必死に抑え付ける改善される兆しは見えない。

 心に溢れ始めた恐怖を強引に押し殺すとシオンは巨大な《アンノウン》が放つ砲撃を全速力で回避した。


 反撃を試みる。青い言の葉を歌として、紡げなかった。陸に打ち上げられた魚のように口を開閉させることしか出来ない自分にシオンは動揺する。


「シオン、どうしたんだ!歌力の低下がやばいぞ!集中し、ぐわっ!」


 次第に歌力を低下させていくシオンにベンジャミンは喝を入れる。だが、その言葉は途中で途切れた。

 轟音の直後、黒煙を纏いながら墜落するベンジャミンの姿にシオンの攻撃が止まる。


 次の瞬間、高火力の接近を報せる警告音が鳴り響いた。視界を塗り潰すような白い眩しさにシオンは怯む。

 【学習】によって収得したであろう大規模な砲撃の断片に彼は息を呑んだ。


 回避は不可である。

 直撃は確定である。


 奏備の破損のみならず、肉体の蒸発は免れない。シオンは受け入れ難い【現実】を睨み付ける直前、黒い瞳に白銀に輝く『何か』が入り込んだ。

 獣の姿をした『それ』はシオンに襲い掛かる砲撃を鋭く光る爪で切り裂き、冷たく輝く牙で噛み砕いた。


 枝分かれした砲撃はシオンの横を通り過ぎる。途端に『それ』の攻撃を受けた白い砲撃は紅色に染まった。

 シオンに襲い掛かってきた砲撃は彼を守るようにして後方の巨大な《アンノウン》に直撃し、様子を窺うように宙を旋回していた母艦をも沈めた。


 轟く爆発音。

 吹き荒ぶ爆風。


 それらを跳ね除けるように獣は高らかに吼える。状況を理解出来ずに呆然とするシオンの目の前を横切ると空を蹴って駆け抜けた。


『シオン、聞こえる?今、どんな状況なの!』

「ミランダ、分からない。ライオンらしき姿をした銀色の兵器が出現した。」


 あれの正体は何だ?何が起きているんだ?とシオンはミランダに訊ねる。


 指令室は何やら慌ただしく、騒がしい。焦りも苛立ちも何もかも筒抜けである。

事実を隠すわけにはいかない、と告げるようにミランダは意を決すると静かに口を開いた。


『あのライオンは兵器じゃないわ。《暴走》しているのよ。あなたが目の敵にしていた一般人の彼がね。』

「何だって!」


 唖然とするシオンにミランダは言葉を選びながら事の発端から現在までの流れを語る。

 バトが予備のギアとリングを託されたこと、その一式を陽介という名前の青年に託したこと、そして発動と同時に《暴走》したこと。


 シオンは無言になる。自分やベンジャミンは蚊帳の外に置かれ、知らない内に一連の出来事が起きていた。それに対して怒りを覚えたからではない。

胴体やたてがみに紅色の模様が施された白銀の獣。否、《暴走》によって機械仕掛けの獅子と変わり果てた陽介を憐れんだ。


 威嚇するように咆哮しながら空を蹴り、飛行形態を展開すると巨大な《アンノウン》に攻撃する。

 爪で胴体を裂き、牙で喉笛を潰すような戦法を甘んじて受けるほどに巨大な《アンノウン》は呑気ではない。


 背面を変形させる。銃口のような背ビレを生やすと夕立のような集中砲火を陽介に浴びせる。

 しかし兵器を具現化したような獅子になった彼は怯むどころか苛烈さを増した戦闘を繰り広げる。


 巨大な《アンノウン》を容赦なく抉り、穿ち、削っては屠っていく。

 

 巨体が白く変色し、崩壊しながらも反撃の手を緩めない巨大な《アンノウン》に陽介は「もう用は無い」と告げるように牙を剥いた。

 弱肉強食を体現するが如く巨大な《アンノウン》の腹部を貫き、腸を引き摺り出すように風穴を明けた。


 完全に活動を停止させた巨大な《アンノウン》には目を向けずに次の獲物を求めて陽介は走り去る。

 人間としての理性を失い、強大な力に取り込まれていく彼の姿にシオンは「自業自得だ」と皮肉を言えずにいた。


ベンジャミンは度重なる調律を必要としたために発動に時間を費やした。

ヴァネッサはギアが耐えられずに3桁台の調律と調整を繰り返した。

エミリアは幾度もなく《暴走》したため大規模な調律と使用者本人の訓練が欠かせなかった。

シオンはギアに耐えてギアを従わせるように誰よりも早く使いこなした。


 しかし陽介は自分達四人とは全く異なっていた。


「エミリアの時はあんな姿にはならなかった。」


 どういうことなんだ?とシオンは本来の目的を忘れてしまったように獅子へと成り果てた陽介を見ていることしか出来ずにいた。

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