【急】Ⅱ『ヴァイオレットパンサー』


〇 〇 〇


 気付いた時には微笑んでいた。

 気付いた時には手を振っていた。

 気付いた時には、巨大な何かが迫っていた。


 失っていた意識を取り戻すと同時に降り掛かった災難を見つめながら陽介は呟く。


「ごめん、義母さん。」


 頑張ったけど自分の運は尽きちゃったみたいだ、と彼は明美への謝罪を口にした。そして変え難い運命を受け入れようとした時である。


「〝何を諦めておる?その命、尽きるには早過ぎるぞ。〟」


 鈴を転がすような可憐さと鋭利な刃のような冷静さを兼ね備えた少女の声に陽介は驚く。

 諦めようとしていた自分の頬を問答無用で殴って有無を言わせずに首根っこを掴んで運命を変えようとする紫の一言とともに全身に衝撃が走った。


 ふわり、と気高く咲き誇る花の香りが鼻孔を擽る。


 視界の端に白銀と黒紫の二色が入り込んだ直後、砂煙が舞い上がり轟音が響き渡った。


 痛みは無い。

 意識は有る。

 まだ生きている。


 何が起こったのだ、と動揺を隠せない陽介の聴覚が深い溜め息を捉える。どんな狂犬かと思いきや実際は秋田犬。秋田犬と思って近付いたら、ぽわぽわのポメラニアンだった。

 そう残念がるように少女は肩を落とすと口を開く。


「〝シオンの怒りを買ったのがどのような輩かと思えば体格だけが取り柄の童ではないか?〟」


 視線を感じて振り向くと赤い瞳で此方を見つめる少女の顔が陽介の青い瞳を支配する。

 まるで見えない内側まで観察するように目を向ける紫の彼女に陽介の頬が一気に紅潮した。

 この状況で見惚れるなど場違いだが、彼女の凛々しさに直面して何も感じない方が無理な話である。


「ヴァネッサ・ヴァイオレットさん、ですよね?」


 緊張感の無い表情で見つめる陽介にヴァネッサは呆れ果てながらも優しく微笑んだ。


「〝金髪の童よ。我を畏れぬ剛胆ぶり、一目置いてやろう。だが先ずは己の状況を理解したらどうだ?〟」


 彼女の指摘に陽介は自身が置かれている状況に気付く。目の前にいる紫の少女に自身は所謂、『お姫様抱っこ』をされている状態だった。


 否、言い換えると飼い主に抱き上げられる大型犬の状態なのだが今の彼はそれ所ではない。

 顔を真っ赤にして慌てふためく陽介を面白がるようにヴァネッサは無言でニヨニヨと笑っていた。


「来るのが遅いっての、ヴァネッサ!」


 何処で道草を食ってたのさ!と問い掛けるエミリアに彼女は気に病むことなく答えた。


「ひぃろぉ、おそい、くる、てっそく。」

「アニメや漫画の見過ぎだ!シュミリュン語以外の言葉を覚えるならば、ちゃんとした教材使えっての!」

「きょーざい、つまんない!あにめ、まんが、とくさつ、げーむ、たのしい!」


 エミリアの言葉に反論するように現在放送されている魔法美少女の決めポーズを取ろうとして抱き上げていた陽介をヴァネッサは大雑把にポイッと投げ捨てる。

 ビシッとポーズを決める彼女の傍らでは盛大に尾骨を打った陽介が痛みに悶えていた。


何だ、このバカ過ぎる地獄絵図。


 先ほどまで《暴走》しかけていたエミリアはその光景に脱力する。エミリアの件で緊張感に包まれていた指令室に至ってはメイン画面で見せ付けられる現状にあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

 次の瞬間、その束の間を引き裂くような怒号に包まれる。自分の存在を無視するなと抗議するように勢いよく肢体を起こしながら巨大な《アンノウン》が立ち上がった。


「〝やれやれ。あれだけ丁寧に切り刻んでやったのに再生するとは驚き呆れる。〟」


 執念深く付き纏う者は嫌われるぞ、とヴァネッサは巨大な《アンノウン》に告げる。

 陽介の横を通り過ぎると彼女は紫の言の葉を紡ぐ。歌を力に変換しながら巨大な大鎌を手に取った。


〇 〇 〇


「相変わらずのグッドタイミングだな、巫女の奴。」

「でも良かったじゃないか、千鳥。エミリアさんの数値は安定してきた。ヴァネッサさんが来てくれた。」


 まだ気を緩められないけど少しでも安心出来る要素があれば全然違うよ、とラルゴは穏やかに語る。

 どんなに指令室が緊迫した空気に包まれてもラルゴの穏やかな優しさと装着者のみならず民間人や軍隊の命を優先する強い信念に千鳥は何度も助けられてきた。


「そうだな、ラルゴ。俺達も負けてらんねぇぞ。」

「うん、僕達は僕達で頑張ろう。」


 濃い苔色の短い体毛で覆われた拳を突き出すラルゴに千鳥は紺色の羽毛で覆われた拳をコツンと当てた。


 彼らに対してミランダとフォルテの周囲には重々しい空気が漂っていた。ミランダはエミリアの出身地である惑星ライトニアの上層部からの通信を受けた。

 その際に彼らから『ある提案』をされたのだ。エミリアを【名誉ある死】の名の下に戦死させることである。


『不慮の事故として処理して欲しい。尊い犠牲を払ったと処理するのは君達の得意分野じゃないか?心配しないで頂きたい。彼女の代わりは此方で用意しよう。』


 その言葉にミランダは憤りを覚えた。歪んだ信念を以て兵器として育てておきながら「英雄として死んでくれ」と告げているようなものだ。

 エミリアのような逸材はいない、とミランダは反論したが持て余す時もある。もし【彼】が聞いたら、その上層部に問答無用で怒鳴り付けていたに違いない。


 選択を迫られた時に躊躇ってしまう自分の優柔不断さを痛感し、ミランダは溜め息を吐く。傍に居たフォルテは横目で彼女を見てから徐に口を開いた。


「ミランダ司令官、先ほどの無礼をお詫び申し上げます。ですがエミル、いえジョルトイは私の友人です。もし彼女の身に何かありましたら司令官でも許しません。」


 絶対に、とフォルテは念を押すとコンソール画面を操作して表示を切り換える。彼女の脳裏に蘇ったのは幼い頃の記憶だ。


 故郷のオオカムルフ星でジョルトイ一家に出会い、エミリアと仲良くなった。当時は雪が降っていた。寒い中、エミリアと遊び回って笑い合った後に二人で風邪を引いた。

 互いの家族達に心配され、フォルテ自身は父方の祖母にとんでもなく痛い拳骨一撃と説教を受けた。


 数日間はエミリアとともにベッドで寝込んだが絵本を読み合い、故郷について語り合った。風邪で苦しい思いをしながらもとても楽しかった。今も色褪せない思い出を噛み締めるとフォルテは任務に意識を集中させる。


「バト、聞こえる?」

『はい、フォルテ様。』

「青年の居場所を突き止めたわ。」

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