【序】Ⅰ『青年の名は陽介』







【数週間後】日本某所







「陽介くん。今日まで頑張ってくれてありがとう。」


 そう告げる工場長に陽介は複雑な心境であった。自身の目の前には工場長である日高玄吉が花束を持って立っている。 

 差し出された花束を受け取りながら陽介は横目で周囲を見回した。


 先輩や同僚の従業員達は彼に対してあからさまな畏怖の念を抱き、何人かは辞めることを喜んでいる。陽介は日高に視線を戻した。日高本人は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


 だが彼の内に秘められた本音を陽介は読み取ることが出来なかった。否、本音など知りたくなかった。ある事情から日雇の仕事でしか働けない陽介を雇ったのは日高だ。

 半年もの間、面倒を見てくれた日高や業務内容を丁寧に説明してくれた先輩、自身の相談に乗ってくれた同僚達に陽介は心から感謝している。しかし分け隔てなく接してくれた従業員はほんの数人であった。

 

 多くの従業員は陽介を恐れている。反抗してこないことをいいことに酷い言葉を投げかけられた時もあった。

 彼らに対して陽介は反論しなかった。今まで就いてきた仕事は全て日雇であったし、自身が何者なのか覚えてない始末である。


 そんな薄気味悪い人物と一緒に働くことは相当なストレスだ。工場長として多くの部下の上に立つ日高の決断を陽介は否定しない。

 幸いにも日雇の仕事は沢山ある。此処で培われた経験を活かせる。だから後悔なんてない。悲しいけれど、明日は明日で頑張らなくてはならない。


 陽介は気持ちを切り替えるように自分自身を鼓舞すると、日高を見据えながら口を開いた。


「今まで大変お世話になりました。」


 陽介は日高に頭を下げる。続いて従業員一人一人に挨拶をした。別れを惜しみ、「せっかく慣れてきた頃なのに」と陽介の退職を嘆くのは友好的だった従業員数名である。大多数からは無視され、拒否されたりもした。

 挨拶を返してくれる従業員もいたがあまりにも素っ気ないものであった。彼らの反応や対応に陽介は慣れている。それで一喜一憂していても埒が明かない。

 

 従業員全員に根気強く挨拶をしてから事務室兼更衣室へと向かう。用意されたロッカーを開けて私服に素早く着替えると数少ない私物をリュックサックに詰め込んだ。

 

 陽介は再度、日高に挨拶する。そして先程まで着ていた作業服を袋に入れて返却すると駐輪場に足を運んだ。駐輪場の端の方では紅い折り畳み式自転車が寂しそうに持ち主の帰りを待っていた。


「待たせて悪いな。」


 陽介は小声で話し掛けると施錠を解きながら周辺を見渡す。駐輪場の利用者は陽介だけではない。他の従業員も利用しているが彼らの自転車やバイクはまるで避けるように停められていた。

 

 嫌われるのには慣れている陽介でも、そのように露骨な停め方をされてはさすがに頭にくる。

 陽介は自転車に跨るとペダルを踏み締めて走り出した。去り際に具現化された陰口達にアッカンベーをしてから帰路についた。


 青年の名前は陽介。しかし本名ではない。年齢、職業、住所、国籍、家族構成。その身元は全て不詳。

 自分自身が所有する記憶は一番古いもので瓦礫の下と青い花、その次が病院の真っ白な天井という有様だ。

 彼の担当医曰く、『大災害に見舞われた場所で奇跡的に助かった唯一の生存者』とのこと。その悲惨な出来事が起きたのは今から3年前である。

 

 身元を特定出来るものがなく、当時着用していた衣服は原形を留めていなかった。集中治療室で数か月以上意識不明の重体だった陽介は目覚めてから数週間で驚異の回復力を周囲に見せつけた。

 

 歩行や動作は全くもって異常無し。

 怪我による後遺症無し。

 療法士が用意したリハビリテーションを全てクリア。


 あの大怪我が短期間で完治するのはおかしい、と看護師達の間で囁かれ始めた頃に事件は起きた。

 担当医に指定された検査を受けに向かう途中で陽介は見知らぬ男性達に取り囲まれたのだ。

 きっちりと撫で付けられた黒髪、目元を覆うのは黒眼鏡、身に纏うのは黒い服。

驚く陽介に黒い集団の一員は語った。

 「我々は君の身元引受人だ、一緒に来て欲しい」と。 


 彼らに付いて行けば自身が何者なのか分かるかもしれない。淡い期待が陽介の中で湧き上がる。

 差し出された手を取ろうとした瞬間、その考えは愚かで浅はかだと警鐘を鳴らすほどの濃い恐怖に襲われる。


 付いて行ったら二度と生きて帰れない。

 自分が自分で無くなってしまう。


 白い絵の具の上に黒い絵の具がたっぷりと覆い被さるような感覚に耐え切れず、陽介はその手を振り払うと自身を取り囲んでいた黒い集団の何人かを突き飛ばした。

 黒い集団の制止を振り切って脇目も振らず逃げ出した。次々と出現する彼らの増援を躱しながら病院を脱走して行方をくらましたのである。 

 

 陽介は逃げた。逃げて、逃げて、逃げ続けた先で日本という国に辿り着いたのが2年半前である。

 自分自身を証明出来る書類等がないため、就ける仕事は日雇のみと言う状況が現在も続いている。今回は下宿先として世話になっているおばちゃんの紹介であった。


 工場で部品を組み立てたり運んだりするのが主な内容だったが、やはりクビを切られてしまった。

 理由は陽介自身が一番分かっている。原因が中身以上に、この外見であることを彼は痛感していた。


「これじゃあ、クビにされても当然だよな。」


 信号が赤から青に変わるまでの間、陽介は隣り合わせになったトラックの車体に映り込む自身の顔を見て溜め息を吐いた。 

 『陽介』という如何にも日本人らしい名前に反して外見はハーフと言っても無理があるほどの正真正銘の外国人である。


 短く切り揃えられた金髪、彫りの深い顔立ち、透き通るような青い瞳、長身でがっちりとした体格。

 この姿に周囲が怯えるのも無理はない。遠巻きにされるのも仕方ない。自分に至っては誰なのか分からない始末である。


 最初の頃は焦燥感を覚えた。当然、焦るあまり苛立ちを覚えた。逃走中には視界に入ったゴミ箱を足蹴りしては小指をぶつけて痛みで蹲ることも多々あった。

 今現在も自身が何者なのか分からない。記憶が戻った時のことを考えては不安になり、実は極悪人では?と馬鹿な妄想もした。

 

 しかし慌てても焦っても仕方ない。悩んでいても時間の無駄である。これはもう一種の諦めだ。身内と思われる人物が目の前に現れて「俺の息子だ!」とか「私の恋人よ!」と言ってくれれば実感が湧くし有難いのだけれども。

 陽介はハッと我に返る。鏡代わりにしていたトラックがエンジン音を立てて走り去ったことに驚いたのもあるが、聞こえてくる歌が彼を現実に引き戻した。

 

 この歌を自分は知っている。いや知っていて当然である。何故ならば陽介はこの歌を、この歌を歌う彼らの大ファンなのだから。

 流れてくる歌に合わせるように鼻歌を歌いながら陽介は自転車を路肩に停車させた。

 大通りに面したビルを見上げる。ビル上部に設置された大画面モニターに映る四人の男女に彼は釘付けになった。


 一組の男女が見つめ合いながら伝えたくても伝えられない情念を歌にして紡ぐ。

傍らではもう一組の男女が歌に込められた想いを表現するようにステップを踏みながらダンスを披露する。

 青と紫、緑と黄が織り成す色鮮やかな世界に陽介は目を輝かせた。


「やっぱり最高だな、colors。」


 今注目のトップアーティスト、colors。デビューと同時に地球のみならず銀河系に存在する星々を震撼させ、瞬く間に魅了したアイドルグループ。


 彼らを初めて知り、そして彼らの歌を初めて聞いたのは病室の中である。集中治療室から普通の病室へと移動した際、テレビ画面を介してcolorsに出会った。

 画面の中で歌うcolorsはキラキラと輝いて眩しかった。 彼らが歌い、踊る度にステージを鮮やかな色彩を放つ世界へと生まれ変わっていく光景は今でも覚えている。

 

 何があっても生き延びようと誓った。絶望に染まりきり、死にかけていた心に彩りを与えてくれたcolorsは陽介にとって希望そのものである。

 黒い集団から逃亡して路上での生活を余儀無くされて飢え死にしそうになってもcolorsの歌があったからこそ歯を食い縛って生き長らえた。

 日本に来て直ぐに始めた日雇の仕事でコツコツ貯めて購入した紅色のミュージックプレイヤーにはcolorsの曲が全てダウンロード済みである。

 

 だが陽介は青色を望んでいた。あの日、あの時に見た【青】を求めて必死に探した。

 似たような青は何種類もあったが、あの【青】には到底及ばない色だった。悲しみに打ちひしがれながら陽介が購入したのは紅色であった。 


 彼にとって赤色は好きになれない、苦手意識を抱かずにはいられない色である。【青】と出会った日に見た炎を思い出してしまうという理由もあるが、どうしても好きになれなかった。

 だが同じ系統の紅色は受け入れられた。どの赤色よりも特別な色であった。その理由には恩人のおばちゃんが深く関与していた。


『今月に発売されました新曲は如何でしたか?』


 昔の出来事を思い出していた陽介に穏やかな声が語り掛ける。モニター画面に向けて顔を上げるとメンバー達とともに微笑みながら手を振る青い青年と目が合った。colorsのリーダーを務める、シオン・アジュールである。


 水の惑星として名高いウォルタネス星出身の彼は青色の髪と特徴的な黒い瞳、そして淡い水色の皮膚を持つ青年だ。

 水を住処とし、水に住む生物達と共存するウォルタネス星人を象徴するヒレが耳と肘に生えており、首筋にはエラ呼吸用の裂け目が存在している。


 水を操る能力に秀でるウォルタネス星人だから出来るライブパフォーマンスは圧巻であった。ライブ映像は何度も見直したほどだ。

 そしてシオンの最大の魅力は眩しく優しい笑顔である。一度見たら老若男女関係なく釘付けだ。

 完璧過ぎる、格好良い。陽介はにやける顔を必死で堪えながら新曲のコンセプトを語るシオンに視線を戻す。


 今年、colorsの新メンバーオーディションが行われた。3年連続で候補者なしという結果に終わり、ニュース番組では『売れている故の傲慢』など酷い言われ様だ。

 オーディションへの関心からSNSで結果を知った際、陽介は妙な感覚に囚われた。

 単刀直入に『複雑な心境』と言うには様々な色の絵の具が心の中で混ざり合うような状態に陥ったのである。


「相変わらずだな」という呆れ。

「能力の高さを求められるのは当然」という納得。

「いつまでも空席なのは残念」という寂しさ。

「生半可な奴を加えたら許さない」という怒り。

「アイツらの決断ならば仕方ない」という安心。


 自身は画面の中の彼らしか知らない。対して彼らは自身など数多のファンの一人であり知る由もない。

では何故そのように思ってしまったのか。沸き上がった想いは本当に自身の物なのか。

 自分じゃない誰かの声と存在を振り払うように陽介はペダルを強く踏み締めて勢いよく走り出した。


 道中で幾度も自動車に轢かれそうになる。その度に回避し、直後にクラクションもしくは罵声を浴びせられた。それでも陽介は必死の形相でその場から離れるように走り続けた。

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