かたち小説素描

かたち

何処かの国の超高層ビルオープンの添え物

「……」

此処はどぉこ、私はだぁれ。ちょっとおちゃらけた人間ならば、意識が覚醒して広がる世界が記憶と食い違う場合そう述べるだろう。私、古湯加奈子という人間もそのような人に倣い、適した状況を迎えれば絶対に述べてやるぞ、という精神で生まれてこのかた16年えっほらおっほら馬鹿みたいな素振りを世間に演じながらも頭の隅では様々なシチュエーションに備えて特訓してきたのだ。たとえば北のお国のおっちゃんに連れ去られても余裕たっぷりな姿勢を最初に示して僅かばかりの抵抗意思を示すのだ。此処はどぉこ、私はだぁれ、ってね。

しかし現実というものはなかなか思ってない、ふざけたものを示してくれる。もちろんそれでも本物ならば述べられるだろう。私は残念ながら本物ではない。だから述べられなかった。

「そ、それでも、程度、程度って、もんが、あっ、あ、あるででで、しょうよっ…」

「なんのはなしー?」

朗らかなのんびり女児の声。私より上方にいるものだろうか。余りに小さな私の独り言にこの危機的状況で反応するふざけた存在を一目みたくて私はゆっくりと首をなんとか上げてそのものを確認しようと考えたが固定された腰と胸、反った姿勢から首を上げることは厳しい。そもそも何処までこの姿勢が保つことが可能なのか。生命の皮算用はただ数分の延命しか施せず、その間に許される行為もくだらない、ふざけた戯言で終了。もう詰んでいるのだ。何も考えなくて構わない。

「私は三好っていうの。早川三好。由々しき中学二年生! よろしくね」

幼いのんびりした声に似合わない中学二年生という言葉に私は驚くがしかし。どちらにしても気の方が何処かずれているどころではない少女だ。明らかな高層の情景、ビルの壁だろう、制服姿の古湯加奈子は身体を地の方向とは真っ逆さまに張り付けられている。華奢な手首、手を挙げれば見つめたくなる腋、年相応よりは少々育った健気な胸、黒く長いスカート、そして少しおにくがついた足がとにかく彼女の肉体部位の価値など関係なく厳重に厚く傍目には黒いガムテープのようなもので固定。足の部分はもはやミイラのような厚さ。スカートはミイラパッケージの上にぱたぱた風で乱れないようにテープで固定。上半身は反った姿勢で固定されているため、少々筋肉は震えを帯びはじめている。

私は今恐らく、地面から何十メートルも離れた高層ビルの壁面に重量に引き寄せられる方向を向いて縛られている。風がびゅんびゅん吹き身体は凍える。固定されずぶらりと浮いた首斜め七十五度はよっぽどのことがない限りこれからの人生計画が夢想にしかならないことを教えてくれる。悪趣味だ。金持ちの趣味に引っかかった私であろう。私の認められる記憶ではただ怠い数学の授業に昨日のときめき読書が後引いてうたた寝こいてしまっただけなのに、どうしてこのような悪に巻き込まれているのか。非現実だ、こんなもの。

「助けて助けて助けてよ!」

「カラス、食うな! 突くな! お父さん、お父さんは何処に居るの! おとうさぁーん!」

肉体が固定されて手と首ぐらいしか自由のない加奈子。加奈子が確認できる視野には横に縦に定間隔で何十、何百、性別年齢肌立場がよりどりみどりの人間が加奈子のように張り付けられている。余りに非現実的状況と手を繋ぐ現象に巻き込まれたものの意味になりえない叫びは私に焦燥、虚無を植え付けるだけだ。しかし目を覚ましたときから聞こえる彼女、彼、おばさん、おじさん、少年少女等の叫びが聞こえなければ私も彼らと同じような行動をとっていたであろう。

「なんか凄いよね。やっぱり私、死んじゃうのかな」

ただ自分の状況を受け付けられない脳と口をくっつけただけの反射的言葉が目立つなか、古湯加奈子の上方早川三好中学二年生はやけに達観した口調で加奈子に話し掛ける。加奈子はどうして三好が其処までに状況と繋がらないお惚けた態度が取れるか分からなかったので聞いてみる。

「あ、あなた、ってひひひとはっ!」

やばい、私変な人。加奈子は周りの人々のような反射的言葉を押さえつけているだけで内心は全く彼らと変わらない。無理していることが世間にバレた、もうそんなこと関係ない状況なのに加奈子は赤面し出さなくても良い汗を垂れ流す。

「やっぱり怖いですよね。私も怖いです」

早川三好中学生二年生の人生を古湯加奈子は自分自身のどうしようもない心の体勢を立て直しながら考えてしまう。何処の土地かしれない都会感漂う情景、強く凍える風吹き惑う高層ビルの壁面に張り付け。そうなったものに共通する感情を受け止めながら自分自身の言葉をなんてことなく呟ける早川三好は今までどのような人生を送ってきたのか。ごく一般的と形容してしまう日本の学校に溶け込んだ加奈子では創作世界の映像を借りてしか想像出来ない。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

どのように自分自身に様々な思い込みを重ねても圧倒的なリアルに勝てない。古湯加奈子は彼女の生涯とは違う目に見える生命の危機と共に生存している。自身の上に居る早川三好と対等に話すには余りに弱すぎる。加奈子は自身の状況に呑み込まれても、縛られ固定された肉体で叫ぶことだけはしたくない。小さな、自分の、自分自身壊したくなかった。

「……」

三好はあれから話してこない。会話にならない加奈子を見限ったのであろう。仕方ない。加奈子は自分自身を守るだけで精一杯なのだ。見ず知らずの高層ビルに張り付けられている縁だけで話せられるほど、たとえ会話にならなくともそれすら余裕はない。仕方ない。仕方ないのだ。

薄く汚れが空気に拡散されて浸透した空、僅かな視野には黒く悪性を世間に示す鳥、烏の姿が目につく。自然の食事に事欠けているのか、ただの食いしん坊か知らないが烏は壁面に張られた「餌」に興味を示して羽音を強い風に紛れさせてビルの壁面にやってくる。加奈子の周りにはまだ被害はないが遥か下、上の方からは烏の嘴の被害を訴える叫びが先程からそれ以外の人間の嗚咽のなか際立って示される。加奈子が覚醒してから暫く時間が経っていた。延々と続く叫びは何ももたらさないと気づいてしまった人が殆どのようで今となっては本当に鈍感、過剰さだけが分かりやすい遅れを諦めの空間に傍目には生き残り続けている。壁に張り付けられた者の感情進行は次の段階に進んだようだ。最初に言葉のようなただの駄々を空間に表出できなかった加奈子は嗚咽に落ち現状に少しずつ溶け始めている人に嫉妬の気持ちが湧き上がる。彼らはとてつもなくずるく、私はとてつもなくせこい。声にならない涙が加奈子のぱっちりとした瞼から荒れて汗で滲む額を伝っていく。

「何か下から声が聞こえてくるぞ」

烏の餌として此処に存在するのか、全く意図の掴めない状況に私たちは馴れていく。加奈子は自分自身以外のものが如何して自身と同じ空間に居るのかは知らない。他のものも加奈子と同じように高高度にいきなり放り出された身なのか、其々の経緯があるのか。どうであるにしても何処かの声を落としたい盛りの少年が発言した言葉の先に皆んな注目する。先程から聞こえる地上の生存音は次第にその盛りが増している。嗚咽の時を迎えていた高層ビル壁張り付け集団の神経は地上の盛りに向き、嗚咽に混じりひそひそ声が目立ち始める。ほんとだ。俺たちに関係あるのか。どうせ北の国に拉致されたんだ、見せ物だ。様々な声が加奈子の耳に入ってくる。その中で加奈子は下の音、それが一体何であるのか掬い取ろうと必死になるが中々地上は遠過ぎる。せめてでも様子を眺められれば良いのだが加奈子の首の角度では向かいのビル下方までは視野の限界でとてもではないが直下から聞こえてくる騒ぎの様相を眺めることですら不可能である。諦めるほかない。

「ははは。烏の餌かー」

別にそのような話ではないのだが何故か早川三好中学二年生はそうでしかあり得ないようにそっけなく言葉を彼女の周りに残す。その言葉は辺りのものになに、烏の餌だとと激怒したり、やっぱり烏に喰われて死ぬんだわという悲哀など、ビルの壁に真っ逆さまに固定されて身動き出来ず烏以外に何も絡まずに少々の時間を経たせいもありそうと決まった筈もないのに妙に信憑性を得ていた。加奈子も何処の国かは知らないが、私をこのような状態にした者によるショー的な意味を含めて、暗く空気が似合う都市の烏への供物として喰われるんだろうと考えた。嫌だなぁ、死ぬということはもう間違いないけれども烏に喰われる、鳥の嘴が私の肉をちょびりちょびり突いて食っていき、血まみれになって逃れようにも身体は頑丈なテープで固定されていて、じわじわ味わいたくもない苦しみに身を費やすなら一瞬で死ぬほうが楽だとどれだけ身体を揺れ動かしてもテープから逃げられず小便と涙とよだれを垂れに垂らして気絶しても肉体は苦しみを帯び始め、何十羽による烏の食事により空いた身体はテープからずれて血まみれ贓物まみれの醜い肉体はどこのお国か知れぬ生存が行われている都会の地上にばらばらになりながら落っこちる話を頭の中に思い浮かべた。どのような話にしろ報われない、考えただけで胸が苦しくなる。

何百人いるか知らないが早川三好中学二年生が流した言葉の波及は確実。少しずつ自らに起こった運命を受け止めようと必死に生きてきたものたちは横やら上、下から流れてくる言葉にやられて自らの心を暗くする。現在進行形で烏にちょびりちょびり喰われ続けるものが存在する事実も相まって阿鼻叫喚。

『確かに君たちは烏に喰われることもあるだろう』

加奈子たちの前の古びれたビルは電子掲示板のような効果があったようで何やら文字が流れ始める。日本語、英語、ハングル語、中国語、その他様々な言語の文字が並ぶ。張り付けられた皆は其れをみて其々の感情を目に映らぬ文字発信者にぶつけ始めるがもちろん意味はない。文字は続く。

『君達は選ばれた人間。誇りを持てばよい』

選ばれた人間と言われると悪い気はしないが、余りに生命の危機と隣合わせ。ふざけるなと加奈子は胸の中で思う。

『君達は私たちが新しく建てた超高層ビルオープンの添え物として選ばれた』

先ほどから響き渡る地上の狂乱はオープンに先立つ式典が盛り上がっているという話か。しかし添え物というとつまり使い捨てというわけだ。そういうものは風船でお茶を濁せば良いのにこの都市は人命が余りに軽いのだろうか。正気を疑う。

『私たちは忘れない。我が社の発展に費やしてくれた君達を』

「ふざけるなー」「如何してこんなことに、こんなことに」「責任者はどこだ! 俺がとっちめいてやる」

どれだけ叫んでも誰も出てくることなく電光掲示も役目を終えたようでなんの言葉も現れなくなった。まぁしかし。どうもしようがないことは事実である。

時間は過ぎていく。どうやら烏界の噂話、次第に烏の羽音、加奈子の視野にも彼らの姿は増えていく。まだまだ加奈子の方には烏なんて余り来ていないのだがそれも時間の問題。悲鳴と嗚咽と絶望の声が響き渡る。加奈子も自分が死ぬこと、未来が失われ生命の感覚が消えて、それからは、それからは一体どのようになってしまうのか。頭の中でこの感情は収まらない。しかし、叫びなんてもっての他なんだ。

「烏さーん。私はまずいよー。おいしくないよー。ほんとだよ」

加奈子たちが縛られている方にも烏は少しずつやってくる。六メートルほど右斜め下の加奈子の視野になんとか映るおじいさんの元に烏が十羽ほど集まり目玉や脳を美味しく引きちぎる。加奈子は目を逸らしたが何処もそのような塩梅でもうどうしようもない。目を瞑っていよう。それが一番。どうしようもない嘔吐感。加奈子は浴びていないし吐くにまで至っていないのだが、加奈子の左横の若いOLさんは嗚咽とともにゲロを吐きに吐いて目を虚ろにしている。そして加奈子たちの前方に七十羽程の至る烏の集団が台風のようにゆったりどっそり廻りながらやってくる。先に人肉を頂き集団に参加する者による辺りに撒き散らす猟奇的な血、壁面に縛られてた生命を削ろうとばかりの尖った鳴き声。まだ人肉を味わっていない者と味わった者が混ざり合い、彼らはどんどん加奈子たちの方へ近づいてくる。上方の早川三好はもう既に烏に喰われているんだろうか。先ほどから、いたい、いたい、やめて、なんで、あれっ、まずいよ、そんな、そんなと言葉を呟いている。

加奈子は目を瞑っていたのだがそうすると耳の感覚が尖る。如何してか今高層ビルの壁面に張り付けられた現実、何の救いの手がかりもなく重力に引かれる方向のまま拘束された受け入れがたい事実、身体は手と首から上以外は拘束されて動かせない。言葉を、意味にならない叫びを続ける以外に能はない。風は強く凍え心を殺す。『人間』でなくなりただの物質となった私たちに襲い掛かる烏の生物音。様々な、様々なものが、余りにも余りにも加奈子の耳に侵入してくる。嫌だ、辞めて。ポタ、ポタと涙で滲み掴めない加奈子の前方に上方から降ってくる受け入れ難い現実の赤が垂れていく。加奈子は先ほどから意味のもたない叫びを吐露している。前方を舞っていた烏の集団は高層ビルの壁面に勢力が届き加奈子の周りのものを襲っていく。そして加奈子にも腹を減らした獰猛な烏が嘴を突く。

加奈子の上方からやって来た烏、彼の黒く意志をもたない瞳には私とは思えない酷く醜い生物の顔が映っていました。私の記憶ではつい先ほどまでは普通の女子高生の生活を送っていたのにどうしてこんなところで死んじゃうの。私の顎に彼の灰色の足が止まり瞬時に嘴で突かれる。恐怖に震えて閉じた瞼にぎゅにゅっと柔らかく鋭い固体をもって眼球は圧迫、痛い痛い痛い! 全身で訪れた痛みを逃そうとして筋肉骨血液は震えているのに身体はテープの固定の域を出られないから痛みは口から吐き出る。胃液、血液、よく分からない液体が重力に引かれて加奈子から遠ざかる。加奈子は尚も人から見れば傲慢に生存中の加奈子の肉を頂こうと潰れた右目に嘴を突こうとする烏を首を振り回して蹴落とす。しかし烏は至る所に飛んでいる。痛みに絶叫しながらもほんのちょっぴり一安心した加奈子の元に何十羽にも渡る烏が目から垂れている血の匂いに引かれてバサバサ羽を羽ばたかせ加奈子の顔、食う場所の少なく肉が薄みな顔こそ貴重なお肉でも申すかのように一斉に嘴が加奈子の顔、頭、を突つき、肉体にもどんどん止まり突つかれて、加奈子は当たり前のように絶命した。烏は絶命した加奈子になんて構わず、美味そうに肉を千切っては食い、千切っては食いと貧欲に食する。どんどんと肉を食い、固くてとても貫けないテープで覆われた箇所も食いちぎったどろどろの腹から少しずつ入り食う。烏が余りに肉を食うもんだから、肉体の固定位置とずれたテープから加奈子の身体、骨と乱雑に残る肉は抜け出しバランスを崩しながら地面にへと落ちていく。あれだけ群がっていた烏は大地に墜落していく肉など知らんとばかりにそっぽを向いて次の飯は何処だと血の匂いを辿り飛び去っていく。少々気の弱げな烏は固定されたものを失ってもビルの壁面に張られているテープにこびりついた肉の切れ端をちょびちょび食っている。中にはテープにこびりついた血液に自身の羽を染み付かせる烏もいた。

加奈子のように喰われに喰われた人間はテープの固定から解放されて都市のアスファルトの大地へと引かれていく。

何の意味も持たない見栄だけの超高層ビル。誰もがやったことない趣向で人々にアピールしようと拉致されて超高層ビルの壁に張り付けられた人間の結末は皆が皆、寂れ自然が見えなくなった都会に暮らす腹を空かした烏の嘴による肉の剥ぎ取りショック死、肉身を失った死体も拘束から解放されて落ちていく圧力に耐えられず途中でバラバラとなり地面に落ちれば全て粉砕する悲惨な結果であった。もちろん超高層ビルオープンの式典、屋台も立ち並び大賑わいだった超高層ビル前の道は大混乱。余りに露悪的なショーが行なわれたこの超高層ビルには誰も近づかなく程なくして超高層ビルは廃墟となった。会社とやらももちろん倒産。この企画を考えた社長はこの世の表から姿を消して今もまだ何処かで生存している噂だ。

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